わたし(家庭教師)―番外編―

須藤家のバレンタイン

 バレンタインデイ。女の子が、好きな人に、思いをこめたチョコレートやそれに代わるもので代用して、思いを託す日。もしくは、別に恋心じゃないけど、日頃お世話になっている人に感謝の気持ちをこめて渡す日。それでなくとも、お互いの気持ちを交わすように、お友達と甘いプレゼントを交換し合う日。
 色々、ある。まあ、とにかく、普段言えないようなことや、思っているけど言葉に出来ない思いを伝える日、であることには変わりは無いんじゃないかな。そういうことだよね。
 本命チョコとか、義理チョコとか、友チョコとか、最近だと逆チョコ、なんてのもあるけど。私の場合、これって何チョコ、っていうのかな。
 なんだかよくわからない気持ちをこめながら、ぐるぐるぐるぐるかき回す。シルバーのつやつやしたボウルの中には、まだ溶けきっていない刻んだチョコレートがあった。只今テンパリング中。
『愛情こめて混ぜてね』
 なんて美哉ちゃんに言われて、気持ちもテンパリングです。うん、なんて微妙なしょっぱいギャグ。
「ねー美哉ちゃん」
 隣りでなにやら粉を量っている美哉ちゃんに声をかけてみる。だって暇なんだよ。いつまで混ぜればいいの、これ。ちょっとくらいは溶けてる気がするけど、全部は溶けそうに無い気がするんだ、コレ。
 目盛りを真剣に見つめながら、美哉ちゃんが満足そうに『うん、よしピッタリ!』と呟いた。
「あとは混ぜて……なんか言った? 安登」
「うーん……コレ本当に溶けるの?なんかまだ硬いよ?」
「根気よく混ぜてればその内溶けるよー。お湯入れちゃダメだよ、台無しになるから。気をつけてね〜」
 ……入れちゃダメなのかあ。危ない危ない。溶け方が悪いからちょっとお湯足してみようかと思ってたたところなんだよね、うん。入れたらどうなるんだろう。いや、ダメダメ。美哉ちゃん台無しになるって言ってたし。ひたすら混ぜるしか無いってことだよね。
「うーん……あー、でも、とろとろしてきたー」
「でしょ? ダマがなくなるまで丁寧に混ぜてね」
「うん……ていうか、私混ぜるだけ? 他に何かしなくていいの?」
びく、と美哉ちゃんの肩が大げさなんじゃないかというほど揺れた。何か不味いものでも飲み込んでしまったような顔をしている。なに、どうしたの。
「あの……美哉ちゃん?」
「いっ、いいよ! 大丈夫! 他の事は私がやるから。ていうか、安登は混ぜることにだけ集中して。ねっ!」
「うん……」
 な、なんでそんなに必死の形相なのかな。私、なんか余計なこと言ったのかなあ。なんかひたすら目を合わせまいとしてるのかさっきより忙しそうにしてるし。なんか美哉ちゃんにさせっぱなしって言うのも申し訳ないんだけどなあ。人様のお家のキッチンをお借りしてるし。
 あ、この場合の人様って、美哉ちゃんちね。うちで作ると、双とファシルがいるからまるわかりでしょ。美哉ちゃんちに行くって言う時点で勘のいい双辺りは多分もう察しがついてるのかもしれないけど、それでもチョットくらいサプライズみたいにあげたいよね。
 ……あ、そういえば。
「そういえばさあ……」
「うっ、うん何? もう準備はできてるからあとはチョコを溶かすだけだよ! 他にはなーんにも、すること無いからね!」
「う、うん……」
 そのことはもう、別にいいんだけど。ちょっと、美哉ちゃんのほうがテンパってない? 大丈夫かな。
「これさあ、私はあげる人決まってるけどさあ、美哉ちゃんは誰かにあげるの?」
「ええ!」
 急に大きな声を上げたと思ったら、見る間に顔が赤くなってきた。驚きすぎだよ美哉ちゃん。なんか今日テンション高くない? バレンタインだからなのかなあ。
「あのー……美哉ちゃん?」
「あっ、え、えっ?」
「その……もしかして……す、好きなひと、とか」
「そ! そんなんじゃないよ! 違う違う違う違う」
 それは、肯定ととっていいって事、なんだよね。私でさえ見抜けるほどの白々しい嘘に、美哉ちゃん自身でさえしどろもどろになっていた。なんだか、これ以上つっこむのも可哀想かも。ここまで取り乱されちゃうと、ねえ。
「あー……うーん、まあ、いい、や……」
「えっ」
「うーん、あ。ほら、溶けた! これどうするの?」
「ああ……うん、それをね……」
 ああ、どうやら、美哉ちゃんは好きな人がいるらしい。そういえばそんな話、いままでしたことなかったなあ。まだ桃色に染まっている美哉ちゃんの頬を見つめながら、私は何となく、羨ましく感じてしまった。


 恋とはどんなものなんだろう。好きっの種類て、色々あるって私にもわかるけど、そのどれが恋なのかはよくわからない。よく、ドキドキするのが恋だ、なんていうけど、ドキドキするってどういうこと? どんな時にドキドキするの? 緊張とは違うドキドキ? 恋をするって、どんなこと? 初恋、みたいなのはあったかもしれないけど、あんまり自信ない。何がどうしたら、その気持ちが恋って言えるのかな。
 私もいつか、ちゃんと解るときが来るのかなあ。そうしたら、あんな風に、美哉ちゃんみたいな顔ができるようになるのかなあ。
 私でもちょっときゅんとくるような、甘くて、でもちょっとだけ大人びた、綺麗な横顔。そんな美哉ちゃんの横顔を思い浮かべながら、焼きたてのガトーショコラを持って、私は自宅に着いた。
「た」
 ただいま、と言おうとした瞬間。
「毎日チョコレートばかりじゃ、さすがになぁ・・・・」
 リビングから、うんざりしたようなファシルの声が聞こえてきた。
 うん? なに? 何故だかこそこそ歩いて、リビングのドアに聞き耳を立ててみた。
「でも捨てるわけにもいきませんし」
 なんだかちょっと困ったような双の声。
 捨てるって、なにを?
 わかるような、わからないような、微妙な感じ。このまま盗み聞きをしててもしょうがないかも。半ば諦めるような気持ちで、私はリビングのドアを開けた。
「ただいま〜……」
 あ。みんながみんな、そんな表情で顔を見合わせた。
 テーブルの上には、可愛らしい包装紙にくるまれた包みが何個も置いてある。30個以上はあるね、これは。正直予想はついてた。そりゃあ、貰うよね。予想はついてたよ、うん。
「おかえりなさい、安登」
 双が一瞬気まずそうな顔を浮べたけど、またすぐに温和な笑顔で迎えてくれた。ああ、でも、気付いちゃったよ。『まずい、聞かれてたな』見たいな顔した、絶対。ごめんね。聞いちゃいました。
 それに比べてファシルときたら、ソファの上でふんぞり返って、いつもと変わらない不遜な態度。ああ、この表情にほっとする日がこようとは思わなかった。まあ、ファシルが気まずそうな顔するわけ無いか。
「なにつったってんだよ。寒いから早く閉めろ」
「うん……」
 なんかなあ。ちょっとだけがっかりしつつ、扉を閉めた。わかってたけど、実際見ちゃうと、あげる気なくすよね、やっぱり。
 ダメダメ。作り笑い作り笑い。万一この鞄の中にチョコレートがあるなんて知れたら、二人ともどんな顔するか。想像もしたくないよ。せっかく作ったのに、『またか……』みたいな顔されるのは、誰だって嫌だもんね。二人にしたって、無駄に食べる甘いものが増えちゃうわけだし。それもなんか、可哀想だし。
 平常心を装って、今初めて目に付いたようにテーブルの包みを眺めた。
「すごいねー、これチョコレートでしょ」
「……うぜえのなんのって。こんなのよこすくらいなら血を寄越せ、血を」
「そういうこと言わないの!みんな心をこめてるんだから!」
 私のは、恋心こもってないから、あげる資格無いけど。
「ちゃんと食べなよ。恋する乙女の真心を無駄にしちゃいけません」
「うっせ。命令すんな」
 つーんと目をそらすファシル。ふう、よかった。気づいて無いみたい。早くコレ部屋に持ってっちゃお。いそいそとリビングを出ようとした、その時。
「ちょっとまて」
「ひゃっ」
 いきなり背中を引かれて、勢いで後ろのめりに倒れ、そうになった。そう、ならなかったのは。クッションの上、もとい、ファシルの上。
 って、あれ? ファシル、大きくなってる。双、と、くっついて、る?
「あ……あの、双? ファ、シル?」
 背中から私を抱きとめたまま、むぎゅ、と抱き寄せられる。
 ううううう、なななななにっ、なんなのっ。
「な、な、にしてっ」
「甘い匂いがします」
 か、嗅がないでっ。首に顔埋めないでっ。
 何してんの二人ともどうしたの二人ともなんなの二人ともおぉ。
「な、なに、あ、甘い、って……」
「作ってきたんでしょう。美味しそうな匂いがくっついてますよ」
 ふんふん。前髪が、首筋をさらさらくすぐる。も、もうやだ。
「嗅がないでえーっ!」
「じゃあ出してください。ホラ、早く」
 うう。何なの二人とも。なんか意地悪だし。それはいつものことだけど。
 半泣きになりながら、鞄の中を弄った。それが鞄の中からちらりと覗いた瞬間、取り上げられた。
「あっ、ちょ、返して!」
「どうして? 僕らの為に、作ってきてくれたんでしょう?」
「そっ、そんなんじゃないもん! 自分で食べる為だもん!」
 嘘じゃないよ。だって、もう二人に上げる気なくしちゃったもん。自分で食べる気満々だったもん。
 でも彼らはそんなの無視して、いやがらせっぽく、私を抱きとめながら遠慮なく包み紙を解いた。
「開ーけーなーいーでー!」
「ああしてこうしてばかりですね。我侭はいけません」
「わがままじゃないもん! ああーっ」
 開けられちゃった。包むのだって簡単じゃないのにい。
 両手サイズのガトーショコラ。みんなで食べようと思って、あえて二つに分けなかったの。ほんと、軽い気持ちだったんだよ。甘いもので二人を困らせようとか、そんなんじゃなくって、さ。
「双、皿とフォーク」
「はいはい」
「ええっ」
 いつのまにか分離した双が立ち上がってキッチンに向った。ファシルは何故だかまだ私を抱きとめたまま。
 ていうか、食べるの?
「ちょ、ちょっと離して!」
「おっと、暴れるなよ。大人しくしてないと問答無用で吸う。容赦なく吸う。致死量レベルで吸う」
 なに。なんで。なんでチョコレートで脅されなきゃなんないのっ。
 そうこうしているうちに、にこにこ微笑む双がお皿とナイフとフォークを持ってやってきた。慣れた手つきで、均等に切り分けていく。
「ちょ、ちょ、ちょっとぉ! 勝手に……」
「安登は紅茶とコーヒーどちらがいいですか?」
「え? あ……じゃ、紅茶で……」
「おれ、水」
「はいはい」
 はいはいじゃないくってえ!どうしてこうなるんだよう。ファシルは離してくれないし、双はにこにこしながらまるっきりスルーだし。
 身動き取れないまま首だけがっくり項垂れると、ファシルがなんだか少し不機嫌そうに呟いた。
「往生際が悪いんだよお前は」
「……だって、さっき、毎日チョコレートはイヤだって」
「嫌とは言っていない」
 嘘吐き。食べたくなきゃ無理に食べなくていいんだよ。私のは、みんなのみたいに、綺麗な心こもってないもの。
「私のはいいから……他のみんなのを」
「そう言わないでください、安登」
 飲み物を持ってきた双が、私とファシルの前に飲み物を置いてくれた。それと、綺麗に切り分けられた、私のガトーショコラ。
「一番最初に食べるのは安登のって、僕ら二人で決めていたんですよ」
 双が、ニッコリ微笑んだ。
 うう、ちょっと、ずきゅんときたじゃないか。それと同時にファシルの戒めが解けて、ファシルは自分の分のお皿を取り上げた。
「あーったく腹減った。もっと早く帰って来いよバカ」
 憎まれ口を言いながら、一口分切り取った。そうして、何故だか私の口に、問答無用でつっこんだ。
「なにふ」
「いいから食え。毒見だ、毒見」
 失敬な。ちゃんと美味しくできてるもん!
 もぐもぐ食べると、安心したようにファシルもそれを頬張った。ちょっと。双もそれを見てから食べるって、どういうこと。ニコニコ笑って誤魔化そうとしないでよ。なんでそんなに警戒してるの、二人して。
 むすっとすると、双は優しい目をして、私を見つめた。
「美味しいです。ありがとうございます、安登」
「まあ、お前にしてはマシな味だな」
 うう。ちょっと悔しいけど、何も言い返せなかった。いつになく二人が優しいのが悪いんだ。嬉しくなっちゃったじゃないか。
 ちょっとだけ、他の女の子たちに申し訳ないけど。でも、やっぱり、嬉しい。嬉しいな。どきどき、じゃないけど代わりに、ほわほわした、暖かい気持ち。これはこれで、素敵な気持ち、だなあ。
 恋かどうかなんてわからないけど。でも私、やっぱり二人の事が好きだなあ。時々意地悪だけど、優しくって、暖かくって、嬉しい。こういう気持ちがあるから、やっぱり、作っちゃったんだよね。
 食べてもらえて、よかった。美味しいって言ってもらえて、よかった。作って、よかった。
「えへへ……」
「なんだよ気色悪いな」
「だって美味しいんだもーん」
「自画自賛するな」
「ふーんだ」
 いつものやりとりをしつつ、ほんわかにこにこ、いつもより甘くて嬉しい時間が続いた。今年は私にとっても、ハッピーなバレンタインとなったのでした。


 それで、このチョコどうするの? 毎日食べるの?
 食べ終わった後に、テーブルの上に積まれた他の包みを眺めて、私がそう聞いた。迂闊な質問だったと気付くのは、そのすぐあと。底冷えするほど精錬された微笑で、双は言った。
「もちろん処理しますよ。……みんなでね」
 そのあとは言わずもがな。もう当分はチョコレートどころか糖分も要らない。って言いたくなるほどのバレンタインを、みんなで味わったのでした。

The end.

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