わたし(家庭教師)

気分積分―8―

 足取り軽く向かう学び舎。桜の絨毯踏みしめて、今日も昨日と同じ道を辿る。
 ずっと続くこの道は、白咲高校の名物と言っても過言じゃないかな。この道を通った人はみんな気に入る、季節が一番感じられる場所。春は道を埋め尽くす花びらの絨毯。夏は若葉が眩しい木漏れ日の道。秋は茜色が冴える古典の風景。冬は雪の花が灯る白銀の世界。春夏秋冬飽きることなく、表情を変える魔法の小路。きっともうすぐここも葉桜になって、そうなったら段々と夏の色に変わっていく。
 ファシルは、もう見たのかな、この小路。昨日の朝は一緒に行ったわけじゃないし、帰りだってこの小路を抜けてからの途中で待ち伏せされただけ。もしも通ってないなら、見せてあげたいな。きっとファシルも気に入ってくれる。
 でもどうして、昨日は待ち伏せされてたのかな。きっとファシルは私に何か言いたいことがあったのかも、しれない。私、話も聞かずにあんな事言っちゃったし。人と喧嘩するってことがこんなに心がかき回されることだったんだって、知らなかった。今までそういうの避けてきたから、解らなかった。
 ファシルはどう思ってるかな。私のこと嫌いになっちゃったかな。学校に居るかな? それ以前に私に会ってくれる? 本当にちゃんと双が言ったとおり、帰ってきてくれるかな。仲直り、できるかな。できるならしたいな、早く。
「どうしたの、校門で突っ立って」
「え?」
 かけられた声にはっと我に返ると、いつのまにかもう小路は越えて、校門の寸前まで着いていた。いつからいたのか美夜ちゃんが脇からじっと、私を見つめてる。うう、色々びっくりした。
「お、おはよ、美夜ちゃん」
「うん、おはよう。……なんか、元気ない?」
「そ、んなことないよ! 普通普通」
 うう、ちょっとぎくりとしてしまった。美夜ちゃんの丸い瞳が見透かしてるみたいに見えて、色々とばれちゃっているのかと思っちゃったよ。ちょっと大げさに首を振ると、美夜ちゃんはまだちょっと気になっているのか私をじっと見ながらも、歩き出す。
「うーん、昨日元気なかったから今日も具合悪いのかなーと思ったけど……無理してないよね?」
「う、うん! 今日朝ごはんいっぱい食べたし!」
「へー……どれくらい?」
「えーとね、目玉焼きでしょ、サラダ、クロワッサン、ベーコン、ウィンナー……あとスクランブルエッグにコーンスープと、それから」
「まだあるの?! それは食べすぎでしょ〜」
 からからと美夜ちゃんが笑う。私は冗談じゃなくてホントにそれくらい食べさせられたんだけどね。お腹ぽっこり、治ったかな。こっそり擦ってみると、家を出てきたときよりは少し引いていた。制服なら他の人にはわからないかな。良かった〜、ファシルに見られたらまたなんて言われるか。
「……あ」
「ん?」
「っん、ううん! なんでもない……」
 危ない危ない。うっかりファシル学校に来てるかなって、口に出しそうになっちゃった。私達昨日で初対面ってことになってるんだからいきなり呼び捨てにしてちゃおかしいよね。苦笑いで適当にごまかしつつ、下駄箱に向った。


「どうしたの、安登。早く入りなよ」
 教室の扉の前で一人にらめっこ。後ろでは美夜ちゃんが控えてる。けど、けど、入りにくいんだよう。ファシルいたらどんな顔して会えばいいんだろう。なんだか怖くて、それ以上進めない。
「安登?」
「……う、ん」
 どうしても、取っ手に手が向かない。……ダメだ、美哉ちゃんに先に入ってもらおう。ううう、私の意気地なし。
「あのね、美夜ちゃ……」
 振り向いたと、同時のことだった。絶妙なタイミングで扉が開く。私はもちろん、振り返ることができなかった。誰が扉を開けたのか、すぐに解ってしまったから。だって美夜ちゃんの表情がぱっと驚きのものに変わって、段々蕩けてきたんだよ。うちのクラスで女の子にそんな顔をさせる人なんて、私一人しか思い当たらない。
 ――ファシル。学校、来てくれたんだ。
「須藤さん? どうしたのそんなところに突っ立って」
 ファシルの声じゃない。誰か他の、女の子の声。
 なんで。何なのこの気持ち。がっかりしたような、ほっとしたような、変な気持ち。どうしようもなくって、後ろを向いたままずりりと、横にずれた。うう、すごい不審。
「おは、よう。ご、ごめんね、邪魔しちゃって」
 ああああ声が上ずる。邪魔しちゃってって、何の邪魔だよぅ。美夜ちゃんも同じことを思っているのか、怪訝そうな目で私を見てる。というか、多分後ろの二人も同様に。早く行ってくれーっと、心の中で必死に念じる。
 ……謝るんじゃなかったんだっけ?私。でも、なんて? どうやって?
「安登」
「うん、ごめん、ごめんなさい!」
「……もう行ったよ? あの人たち」
 美夜ちゃんの声に、いつのまにか堅く閉じていた瞼を開く。美夜ちゃんの言うとおり、廊下の向こうにファシルと、その他数多の女の子達の取り巻きの後姿が見えた。
 ――あぁ、行っちゃった。
「安登、どうしたの? あの人たちと何かあったの?」
 ――あの人たちじゃ、ない。ないけど。たった一人。ファシル、私のこと、無視したのかな。
 さっきまで飛び跳ねてた心臓が、沼の底に沈んだみたいに静かになる。
 やだな。こうやって、どうすることも出来ずに、距離が開いていくのかな。何にも出来ずに離れていくのを見逃しているだけなのかな。それだけは嫌なのに。でも、双。どうしたらいいかわからないよ。仲直りの仕方が、わからない。どうしたら――。
「あーと!」
 むぎゅ。と、突然両頬を抓まれる。怒った美夜ちゃんの顔が、目の前にあった。
「ひっ……い、痛いよ痛いよ美夜ひゃん」
「もう! こうなりたくなかったら、洗いざらい全部吐け!」
 ううう、逆らいがたいお叱りのお言葉。でもね美夜ちゃん。そういう事は、する前に言ってほしかったな。
 じんじん痛む頬をさすりながら、私は追求する美夜ちゃんに洗いざらい話すしかほかなかった。


 とりあえず、話すにしても公に話せることじゃないので、美夜ちゃんにはお昼休みまで待ってもらって、部室で話すことにした。ここなら部員以外入ってこれないし、わざわざ別棟にある部室まで来てお昼を食べる部員もいない。ゆっくり内緒話をするにはピッタリの場所なんだ。
 でも、場所は良いにしても、そこからがまた問題だった。暫くはもくもくお弁当食べたりなんだりしながらかいつまんで話してたんだけど、そこで美夜ちゃんは誰もが思い浮かべるであろう疑問を躊躇なく投下してきた。
『安登とファシル君って、どういう関係?』
 まあ、そうなるよね。私が美夜ちゃんだったら間違いなく聞いているしね。でも、でもね、うーんと、なんというか、答えられないじゃない? 『赤の他人ですけど同居してます』なんて言ったら、ますますどつぼにハマりそうだし。
 ない頭を捻って、なんとか誤魔化すしかなかった。
「だからね、彼は私の母の姉の子供の友人の婚約者の弟だって」
「だから、全然他人でしょ」
 うう、全然騙されてくれない。こう、もにょもにょした感じでぼかせばなんとかなると思ったんだけど。おかしいな、漫画だとみんな上手く騙されてくれるのに。どこが間違ってるのかな。
 こんな時双がいればなあ。いたらいたで新たな疑問符が飛び交うんだろうけど。うーんと唸ると、美夜ちゃんはこれみよがしにため息をついた。
「わかった。じゃあ昨日は、そのファシル君と安登が喧嘩しちゃったってことなんだね?」
 あれれ。追求、しないのかな。ちらっと盗み見ると、美夜ちゃんは仕方ないなって、笑ってた。
「……聞かないの?」
「いいよ。だって安登を困らせてまで聞きたいわけじゃないし、今の問題はそっちじゃないでしょ?」
 み、み、み、美夜ちゃあん。さり気無いその優しさにジーンときて、嬉しさに心が奮える。お弁当箱がなきゃ抱きついていたかもしれない。美夜ちゃんって、とってもとっても、いい子!いい友達!
 きらきらと尊敬の眼差しを送ると、美夜ちゃんはちょっと照れたように目をそらしてお箸でちょいちょい、と促した。
「いいから話もどそ! ……それで、ファシル君との喧嘩について、でしょ?」
「あ……うん」
 そう、だった。私、ファシルに無視されたんだよなあ。あの冷たい眼差し。思い出すと、さっきまで歓びでいっぱいだった気持ちが萎れて、代わりに鉛を抱いたみたいにずーんと重くなる。やっぱり哀しかった、なあ。私がしたことを考えれば、ファシルの態度も当然の事なのかもしれないけど。でも、このままずっと無視され続けたら、仲直りしたくても出来ないよ。
 ファシルは私と仲直りしたくないのかな。家に、帰ってきたくないのかな。私は、帰ってきて欲しいよ。双だってにこにこ笑ってたけど、きっとファシルの事心配してたもん。そうでなきゃ、あんなに沢山のご飯……。
「安登?」
「あっ、……ご、ごめん」
「ううん。でも、どうするの?」
「え?」
「仲直りだよ。したいんでしょう?」
「……したい、けど、」
 けど。どうしたらいいの。それがわからないの。人と喧嘩したことなんて、なかった。だからかな。仲直りの方法も、解らない。ごめんだけじゃ済まされない気がして、ごめんを言うことも許されない気がして。だったら仲直りって、どうするの。沢山沢山傷つけちゃった人と、どうやって仲直りしたらいいの。
「わかんない……」
「わかんないって……」
「だって。無視、されたんだよ? ファシル、私の事嫌いになっちゃったのかもしれない、のに……仲直りなんて、できない」
 したくないわけじゃない、というかむしろ今すぐにでも仲直りしたいの。その気持ちは本当。だけど、もう一回ファシルに拒絶されたら、あんな冷たい眼差しで見られたらと思うと、ちょっと怖い。
 嫌われたく、ないんだよ。これ以上ファシルに嫌われたくない。思えば思うほど気持ちが萎んで、弱くなって、縮こまっていく。もやもやして、気持ち悪い。どうしたらいいんだろう。私は、どうしたらいいの? どうしたら上手に、仲直りが出来るの? 思いつめれば思いつめるほど、どうにもならないような気がしてきた。
「できないって、それでいいの? できないから、仲直りしようともしないの?」
「……そうじゃないけど」
 ちょっと咎めるように、美夜ちゃんが言った。私の中の弱い気持ちを、見抜いているみたいだ。
「仲直りはね、謝る勇気と、それをぶつける相手がいなきゃ成り立たないんだよ。一人で考えてたって、いつまでたっても何も進まないの」
 謝る勇気、と、ぶつける相手。相手は、ファシルだよね。でも私、勇気、出したかな。ファシルの目に尻込みして、勝手に引っ込んでた、のかもしれない。思い込んじゃ駄目なんだって、朝、双に教えられたばっかりなのに。ファシル、どう思ったかな。怖がってたなんて、思われたくないな。
「どうでもいいんなら、放っとけばいい。どうでもよくないから、仲直りするの。……安登は、どっち? ファシル君の事……」
「どうでもよくないよ!」
 思わず、即答していた。だって、どうでもいいわけないもん。ファシルは、家族だから。一緒に住んでる、家族なんだもん。なにがなんでも、仲直りしたい。あの家に帰ってきて欲しい。一日だって、心が離れたままなのは、嫌だよ。
「……うん」
 気持ちを確認するように、頷いた。そう、そうなんだよね。何が何でも、だよ。嫌われるのは怖いけど、このまま何もしないで離れていくのはもっと嫌だよ。ファシルにちゃんと謝って、私の気持ちを知ってもらえないのは、絶対に嫌だよ。頑張らなくちゃ駄目なんだ。ファシルを傷つけた分だけ、私も頑張らなくちゃならない。双も、待ってるんだから。

Continued on the following page. 10/05/07up.

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