わたし(家庭教師)

気分積分―5―

 そんなこんなで無事に始業式も終わり、学校の帰りに美夜ちゃんとアイスクリームを食べに行って、大満足で帰路に着いたのでした。
 なんて、ここ、まだ飛ばすところじゃないの。ギリギリ始業式に間に合ったところまでは、まだ良かったの。先に座っていた美夜ちゃんに『後で教えてね』なんて視線で訴えかけられた事はちょっとそこら辺に置いといたとしてもね。
 でも肝心なのがその先。はあやれやれ席に着いて間に合ったー、あーまた校長先生の長いお話やら諸連絡やらいっぱいあるんだろうなー、長いな憂鬱だなー、寝ちゃおうかなー。
 と、思っていた矢先。その矢の先っぽのほんの切っ先に、ちょこんと当たったわけです。本日二回目の、大問題が。

「続いては新任の先生方をご紹介します」
 始業式も終盤、諸連絡のその前、新任の先生の紹介の番になって、教頭先生が子守唄よろしく呼びかける。あの先生ちょーっとお年を召しているせいか、のんびり喋るんだよね。もう眠くなっちゃって眠くなっちゃって。目を擦っても眠気は醒めない。
 どうせ新任の先生って言っても一人か二人くらいなんだよ、きっと。うちの学校先生枠って変動に乏しいし、平均年齢やや高め設定だし。しかも大抵新任って言うと、定年で退職した先生の後につくベテランの人が多いんだよね。
 若い先生もいなくはないけど、全体的に見てみれば割合少ない。やいちゃん先生は若いくせにぼんやりしてて親父というか、もうおじいちゃん入ってるし。もうちょっと増えれば活気付くと思うんだけどな。漫画じゃあるまいし、格好良くて素敵な先生なんて滅多に現れない。現実というものは、いつだって無愛想なもんなんだって。
 だから編入の子はいざ知らず中等部から上がってきた子はみんな、いい加減中学から続いたこの退屈な行事にも、もう期待なんてとっくの昔にソールドアウト。ホラ、私みたいにうとうとするか、隣の人と話すかで、ちっとも興味を示さないんだ。
 そうやって滲み出るあくびをかみ殺しながら周りを観察していたから、当然私も前を見ていなかったわけで。前部から湧いたざわめきに、私を含めぼんやりしていた子達がほぼ同時に前を向いた。
「坂月双です。特別クラスのフランス語と、英語を担当します。よろしくお願いします」
 へ?
 あれ、なんか、語感が妙に気品のある丁寧語といい、聞き覚えのある名前だなあ。聞き覚えがあるというか、”言い覚え”すらあるよ。今朝呼んだばかりホヤホヤだよ。
 ええ? ええ? いや、ううん、まさかねえ、ファシルに次いで双まで、なんて。ええい、立ち上がるわけにもいかないから確認出来ないじゃない、もどかしいっ、椅子から腰が浮きかける。
 ああもうなんてじれったいんだろう。そうこうしているうちにも新任の先生達は次々に自己紹介していく。っていうか、なんか聞いてみると今年多くない? 声から数える限りだと7人もいた気がする。しかも全員声が若い。おじいちゃんどころかおじさんもおばさんもいない。
 何、どういうこと。皆もびっくりしているのか少し抑えめのざわめきがどんどん広がっていく。
「以上で先生方のご紹介を終わります。続きまして、諸連絡の方に移りますが――」
 ああ、ちょっと、ちょっとまって結局確認できなかった。私の席だと前からも端からも遠いから新任の先生どころか教頭先生も見えないって言うのに! もう、なんで新任紹介なのに壇上に上がらないの!
 誰に文句を言っていいかわからず頭がどんどん混乱していく。それから結局、最後まで双の顔は確認できず、あれよあれよというまに始業式は終わってしまった。


 ぐったり。教室に戻って、机に突っ伏す。さながら気分はスライムだよ。びっくりしすぎて脳みそ溶けそうなんです。
「安登、どうしたの〜? やっぱり具合悪いんでしょ?」
「いや……ううん、違うの、大丈夫なんだけど……」
 美夜ちゃんに心配かけたいわけじゃないんだけど、どうにも他に頭がいってしゃきっとしていられない。
 だってね、もしもあれが双だとしたら、ちょっと大事じゃない? 只でさえ何企んでるのかわからないファシルがいるのに、双まで私に黙って同じ学校にいるだなんて。これは嫌でも作為的なものを感じざるを得ないよ。
「安登〜……」
「ねえ美夜ちゃん」
「何?」
 困り顔の美夜ちゃんを、ちょいちょいと手招きして、隣の開いている席に座ってもらう。
 とりあえず確かめなくちゃ。精神的には、山登りした時よりも疲れてるんだけど。
「あのね、あの坂月双、っていう新任の先生……」
「んー……、えっと、眼鏡の、ちょっとかっこいい先生?」
 『眼鏡のちょっとかっこいい先生』。
 ぽわんと双の爽やかな笑顔が頭に浮かんできた。いやいやいや、まだ双と決まったわけじゃないし。
 っていうか、なんで美夜ちゃんそこまで知ってるの? 私の席とそう離れてたわけじゃないから、美夜ちゃんも見えなかったはずなんだけどなあ。いつ見たんだろう。
 じっと見つめると、その疑問が透けて見えちゃったのか、美夜ちゃんは聞く前に答えてくれた。
「やいちゃん先生の手伝いで教務室に行った時に、見たの。若い先生いっぱいだからついじ〜っと魅入っちゃって、その時目が合ったんだ。にこっと笑ってくれてね、ちょっとときめいちゃった」
 思い出して本当に頬を染めた美夜ちゃんが照れながら言う。
 ああっやりそう。双だったらやりそうだよその爽やか笑顔ビーム。買い物行くと行く店行く店で愛想振りまいてるもん。どっちが店員かわからないくらいにっ。
 て、今はそれどころじゃない。どんどん確信がましていくよう。もう、絶対双じゃん。どうゆうつもりなんだよう。もしかしてお母さんの廻し者なの? いやまさかそんな。そんなそんなそんな。
「ねえねえ安登」
「……なに?」
 美夜ちゃんが、やけにうきうきした眼差しで私に手招きする。な、なんかいい予感がしないのは何でだろう。
 恐る恐る耳を傾けると、美夜ちゃんはいかにも大事な秘めごとを洩らすかのように、囁いた。
「その坂月先生とやいちゃんのことなんだけど……」
 ごにょごにょごにょ。周りは誰も見ていない。
「ええっ」
「しっ。あんまり言いふらすなって言われたから、一応内緒ね!」
 ちょっと楽しそうに美夜ちゃんは口止めする。早速私に言いふらしてる時点でその忠告に意味は無いんじゃあないだろうか。というか内緒も、何も……それって微妙に私がよくないポジションになっちゃうんじゃあ。
 背筋がぞわぞわと嫌な感覚に襲われる。だって、だってね、そうしたらやいちゃん先生、知ってるってことに、なるのかな? いやいや、まだそうと決まったわけじゃないし。でもでもやばいよ、新学期早々大ピンチ。こんなこと知れたら、どうなるかなんて予想つかない。
『やいちゃんと坂月先生、同級生だったんだって。しかもこの学校の』
 つまりつまりつまり。大ピンチとは、学校の先生と、謎の転校生と、ふっつうの中等部上がりの女子が一つ屋根の下で住んでいますって、こと。そしてそんな私の住所を知り尽くしているのが私の担任であり坂月先生もとい双の同級生の、やいちゃん先生。おーまいがーと、いわらいでか。
 ねえねえお母さん。もしもこれがワザとだったら私、エジプトまで行って怒るからね、絶対。


 嵐の始業式が終わった後は、部活のミーティングが待っていた。高校の弓道部と中学の弓道部は一緒に合宿行ったりもするから、エスカレート組はもう申請済んでるんだ。
でも正直精神的にすっごく疲れていてそれどころじゃなかったんだけど、幸いなことに部活動は明後日からで、この日は新入部員勧誘のことと一年の大まかなスケジュールを説明されるだけで終わった。
 帰りは途中まで美夜ちゃんと一緒に帰ったけど、私があまりにもボーっとしてたから道が分かれる時までずっと美夜ちゃんに心配をかけっぱなしだった。
 だって、ねえ?帰ったら双とファシルに何から聞けばいいのやら。色々考えることが多すぎてまとまらないの。
 なんかもう、双のすること成す事お母さんが何か企んでるんじゃないかなって思っちゃうし。お母さんはそうゆうタイプじゃないっていうのは解るんだけど、どうもあのニコニコ爽やかな笑みを見てると胡散臭くって……。
 って、ダメだダメだ。なんか疑り深くなってる。いっつも手練手管でファシルに酷い事されてるから癖がついちゃったんだ。うう、お母さん、双、ごめんね。
「ひっどい百面相だな。引くわ」
「えっ……あ!」
 ファシル!
 が、いつのまにか目の前に立ちはだかっていた。張本人じゃないか!
 ていうか、引くってなに、失礼な。
「なに、ファシル、私のことつけてきたの?!」
「……お前自意識過剰だな。だーれがお前みたいなアブナイ人の後なんかつけるかよ」
 フン、と鼻で笑われた。学校でのあんな猫かぶりの爽やか笑顔じゃなくて、毒舌に皮肉たっぷり乗せましたな嘲笑。
 自意識過剰じゃないもん、危ない人じゃないもん。言いたいことがあるのにあまりに悔しくて声にならない。
 これだよこれ! こんな風に会う度に意地悪されていれば誰だって警戒心も高くなるよ。いつもいつも酷いことばかり言うんだもん。もういい、ファシルはこの際ここで今はっきりさせとこう。
 きつく睨むと、ファシルはおっとでも言うように口角を上げてにやりと笑う。人が剣呑にしてるのに楽しそうにするなっ。
「ねえファシル……」
「なんだよ」
「……はっきりさせようじゃない。私のこと……どう思ってる?」
「え」
 聞いた途端、ぐっとファシルの息が詰まった、ような気がした。時間が止まったみたいにかっちり止まる。
「な、どうって、どうって」
 なんでそこでどもるの。さっきまでの余裕はどこへやら、急にしどろもどろになって目が泳ぎだす。
 ええいもう焦れったい!はっきりしてよ。道端でずっと待っているのにも飽きて、ぐっとファシルに詰め寄った。
「だから、私のこと餌か何かと思ってるの? って事!」
「……は?」
 また、さっきとは違った意味で、ファシルの動きが止まる。
 急に落ち着いた表情は、段々と変化してゆく。止まった表情が段々と、不快へと、嫌悪へと――怒りへと。
「……餌? お前が、俺の?」
「だ、だって、いっつも意地悪するし、扱いだって酷い気がするし、私の血を飲むときだけしかご機嫌なところみせないし……餌か玩具ぐらいにしか思ってないんじゃないのかなって」
 静かに見下ろすファシルの冷たい眼差しが怖くて、今度は私がしどろもどろになりながらも殆ど言い訳になった理由を告げる。
 酷いことを言われていたのは私のはずなのに、なんでこんなに罪悪感が過るの。なんでこんなに、気まずいの。それなのに言葉を切った後にどんな目で見られているのか知るのが怖くて、口は止まらない。
 ファシルが怖い。怒ってる、の?
「だから、学校に来たのもそういう目的で来たんじゃないのかなって思って、」
「そういう目的って?」
 顔が上げられない。私の視線の先ではじりじりと、ファシルの足がにじり寄ってくる。怖くなって私も自然と後ろに足が退いていくけど、どんと背中に堅い何かが当たった。塀にぶつかったんだ。
 横をちらっと見た瞬間、その視界を遮るように勢いよくファシルが手をつく。びっくりして、肩が大げさに飛び上がった。
「言えよ。目的って、なに?」
「あの」
「俺があのぼんくらな坊ちゃん嬢ちゃんの巣窟に入ったのは、丁度いい餌場だったから、てか」
「そんな、」
 ファシルの言い方に思わず顔を上げてしまった。息が止まるくらいに近くにあったファシルの顔は、笑ってもいなく、怒ってもいなく、ただ言い表せない表情に歪んでいた。悔しいとか、悲しい気持ちがないまぜになってどうしようもなくなってしまったような顔だった。
 どうしよう、馬鹿だ、私。今になってやっと、私がファシルを傷つけたんだって気付いた。
「ファシ、ル」
「……そうだな」
 頼りなく薄い笑顔を浮かべた。あのファシルが。
「お前の言うとおりだよ。ほんと人間って馬鹿ばっかりだよな。上っ面しか見えてない。操作するのなんて簡単すぎて白けたくらいだ」
 それは、学校に入り込めたことを言ったのか、それともああやって猫をかぶってみんなを騙したことを言ったのか、どちらの事をいっているのか私には解らない。
 少なくとも今の私にはそのどちらでもない、私に向けて放った言葉にしか聞こえなかった。ファシルが私から受け取ったものをそのまま私に返した。そんな気がして、胸の奥がぎゅっと苦しくなった。
「俺にとっちゃ、あいつらもお前も、同じだよ。お前の言うとおり餌でしかない。玩具でしかない。これでいいか? いいんだろ?」
 違う。違うよ。
 でもそうファシルに言った私がそれを否定する権利はないよ。心のどこかで誰かが言った。
 私が言わせてるんだよ。復唱させてるんだよ。
 ファシルがそれを本心で思っていても、思っていなくても。
「ファシル、あのね、」
「それとも」
 乱暴に顎を掴まれ、そのまま強引に上げられる。見放しきったファシルの瞳が私を映す。
 怖い。怖すぎて、咽喉が震えた。
「玩具にして欲しいのか」
 唇の先で囁かれた。冷たい言葉がそのままその唇に乗って流し込まれる。それがあまりにも見放したような声で、身がすくみあがって足から力が抜けた。
 かくんと崩れるその隙に強引に越を抱かれ、そのまま乱暴に口付けられて首がのけぞる。噛み付くみたいに荒々しいのに、見えたファシルの目は冷め切っていた。それが私の心を凍りつかせて、考えるよりも先に身体が動いた。
「ゃ、……っだ!」
 押しのけるよりも先にファシルは飛びのいた。私が咄嗟に、噛んだからだ。
 ファシルはあまり慌てた様子もなく下唇を親指で拭い、拭った親指を見る。切れているのは一目瞭然で、拭いきれず滲んでいる血の色がファシルの唇を一層紅く彩っていた。
 それから目が離せなくなって、私はどうしようもなくただそれだけを見つめ続けた。動きたいのに、動けない。
 張り詰めた空気が私を縛る。
 けれどそれがくっと、口角を上げ笑みを作った瞬間。私の身体は途端に鳴り響いた頭の中の警告音に驚くように、走り出した。夢中で走った。怖くて、怖くて、けれどそれと同時に凄く悲しくて。息を切らしても、込み上げる涙を飲み込んで堪えながら、走り続けた。

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