わたし(家庭教師)

気分積分―4―

 高校からは初めてのクラス替え。クラスは特別クラスも併せて全部でアルファベットAからJまであるんだけど、私は普通科のGクラスになった。去年は美夜ちゃんと離れちゃって残念だったけど、今年は一緒だったから嬉しくって掲示板の前でやったーって飛び上がって一緒にはしゃいじゃった。
 それに担任の先生も部活の顧問の先生だから、ちょっと安心。あんまり知らない先生とか、厳しい先生だったら嫌だけど、私の顧問の先生は坂上灸さかがみやいとという名前でみんなからはやいちゃんとかキュー先生なんて呼ばれていて、結構皆から人気のある先生だ。いっつもぼさぼさの頭でぽけーっとしていて年齢も比較的他の先生より若い方だから、色んな意味で親しみやすいんだと思う。
 ちなみに私は美夜ちゃんと一緒の、弓道部。中学校からあったから、高校でも入るつもり。やいちゃんは中学校の副顧問だったの。高校では顧問なんだ。

「衣川ー」
「はい」
「田中ー」
「はい」
「吉宮ー」
「はーい」
「田中ー」
「はぁい」
「……田中」
「はい」
「ん、と……あれぇ? 田中が三人?」
 出席簿を片手に先生が首を捻ってる。
 ちょっとした偶然、かも。ありふれた名前だからかぶっても仕方がないけど、田中さんが二人じゃなくて三人、すごい。というかクラス編成の時に先生は確認しなかったのかな。先生の早速のボケっぷりにくすくすとクラス中が笑って、3人の田中さんたちは顔を見合わせてなんとも言えない表情になっている。
 それから先生は恥ずかしそうに顔を伏せて、慌てて次の人の名前を呼ぼうとしたんだけど。突然む? と、眉を八の字にして黙りきってしまった。穴が開くほど出席簿を見つめてる。
 どうしたんだろう。
 そう、皆が思ったときだった。
「先生」
 良く通る、凛とした声が後から聞こえた。先生が顔を上げて、皆も一斉に後ろに振り返る。私は前のほうの席で誰が言ったかよく見えなかったけれど、後ろのほうでどよっとざわめきが起こった。
 なに、なに? 何が起こったの? できるだけ首を伸ばしたけどみんな半分席を立って見ようとするからよく見えなくって、でも気になって私も身を乗り出してみようとした。するとその声の主が、ゆっくりと席を立った。
「Je m'applle facil de Diables Rouges.」
 流暢な、聞きなれない外国語。一瞬で人の目を惹きつけるプラチナブロンド。気の強さを思わせるような筋の通った眼鼻に、透き通った南の島の海みたいなシアンの瞳。見覚えのありすぎる、あの一見爽やかそうな、人を小馬鹿にした笑い方。
「……っあ!」
 ファシルっ?
 思わず声を上げてしまって、彼に向いていた目線が一瞬にしてこっちに向う。うわわわ、どうしよう。みんな「なに? 知り合い?」みたいな顔してるよぅ。
「あー……知り合い、かな?」
「え、いえ、あのっ」
 先生も今一状況を掴めきれてないようで、首をかしげている。
 な、ななななんて言えばいいんだろ。はい一緒に住んでます、なんて言えないし。というかなんでファシルがここにいてうちの学校の制服着てるの。今日お留守番だったはずでしょ? 意味解んないよう〜。
 混乱して、支離滅裂の私。するとふいに、先生がぽんと手を打つ。
「あ、そうだそうだった忘れてた」
 こいこいと後ろのファシル、らしき人に手招きをして呼び寄せると前に立たせて、彼の肩をぽんと叩いた。
「あーっと、フランスから留学してきた、えー……うん、じゃ、自己紹介」
 ぽりぽりと頭をかきながら、どうにも曖昧な感じに任せる。いつもの事だけどぼーっとしちゃって、頼りないなあもう。
 それから先生に促されてにっこりと笑ったファシルらしき人は、見た感じ爽やかな笑顔をクラスの皆に向けた。私から見ればちょっと、黒いものが混じっているようにも見えたんだけど。彼の自己紹介なんて、私は聞く必要もないと思うんだけど。
「Bonjour.Je m'applle facil de Diables Rouges.Je viens de Republique francaise.初めまして。僕の名前はfacil de Diables Rougesです。ファシルと、呼んでください」
 すらすらーっとフランス語っぽいものを話したかと思ったら、今度は日本語で挨拶。やっぱりやっぱり、ファシルだった。あの、ファシル。今日の朝お団子をつまみ食いした、意地悪ファシル。
 混乱の極みで頭真っ白。何がどうなっているのか判断が出来ない。しかも私の個人的な理由とは別に、みんなが呆気に取られたようにクラス中がシーンとなっている。一番最初に動いたのは、その元凶のファシルだった。
 いつのまにか私の席の前まで近付いていた事に、誰よりも呆けていた私が気付くのが一番遅かった。
「さっき、声を上げたようだけど、僕とは初対面だよね?」
 『僕』ぅ? な、何を言っているの。
 邪気がなさすぎて逆に怪しい表情。さらりと髪が揺れて、ファシルがふっと屈みこんだ。
「初めまして。これから、よろしく」
 ちゅ、ちゅ。と、両方のほっぺに、柔らかい感触。一瞬後に、クラス全体が一致団結したかのように『オオー!』と湧き上がった。
 それでも私の真っ白になってしまった頭の中には、私にだけ聞こえるような低く小さな声だけしか、届く事はなかった。
『こっちでもよろしく、な。安登』
 ファシル、ファシル。お留守番は、どうしたの。二つ残しておいたお団子は、全部食べちゃったの?


「安登っ、何アレ凄かったね!」
 HRが済んですぐ、案の定美夜ちゃんが私の机へと飛びついてきた。なんだか目がキラキラしてる。こっちはそれどころじゃないって言うのに。
「ふぁい」
「……何その気疲れしたみたいな顔」
 そりゃなりたくもなりますよ。ファシルのあの爽やか純度100%の笑顔見ただけで鳥肌まで立っちゃったんだから。
 なんなのあの別人さんは。アレは誰。本当にファシルなの? それとも営業用? 営業用なの? どこで習得してきたのあんな月9レギュラーも張れそうなほどの演技力。もうクラス中の注目集めて人だかりまでできちゃってるし、ちらっと遠目で覗いてみれば相変わらずにこにこ爽やか路線で応対しているファシル。
 普段は仏頂面もいいとこ、笑ったところで皮肉120%可愛さ余ってにくさ百倍の癖に! 
 あああ、もう支離滅裂。これが夢の続きだって言うならまだ納得のいきようがあるのに。誰でもいいから今の状況を三行以内で説明して。
 私の脳内処理能力を上回るハプニングに、気のせいか頭の中がオーバーヒートしそうになってきた。思わず頭を抱えると、美夜ちゃんが屈んで覗き込んできた。
「どうしたの安登? 頭が痛いの?」
「ううん……智恵熱でそうな気がして……」
「気、だけなの?」
「うん……ん?」
 えーっ! と、ファシルに群がっているであろう女の子達の残念そうな声が後ろから聞こえて振り返ってみると、ファシルが教室から出て行こうとしているのが見えた。ついていこうとする女の子達にさり気無く有無を言わせない笑顔で制止して扉を閉める。
 チャンスだ。今追いかければ二人になれるかもしれない。
 思い余ってガタッと席を立つと、美夜ちゃんは目を丸くして驚いた。
「どうしたの安登」
「ごめん、頭痛いから保健室行くねっ」
「え、始業式は?」
「気が済んだらすぐ行くから先に行ってて!」
 ああ、ゴメンネ美夜ちゃん。我ながら嘘以外に定義しようのない言い訳をついてファシルの後を追う。廊下の外はもう大体育館に移動しようとする人がちらほらいて、人の流れができていた。きょろきょろしつつ早歩きで人の合間を縫いながら、廊下を突き進む。
 とりあえず始業式が始まる前にファシルを掴まえなくっちゃ。そう遠くには行っていない筈なんだけどなあ。どこ行ったんだろう、トイレかな? そう思い立って角を曲がって進路変更しようとした時だった。
「おい」
「う、わぁっ」
 曲がりきる直前で突然誰かに腕を掴まれた。そのまま強引に引っ張られて、身体が後ろに倒れこみそうになる。
 こっ、転ぶっ。
「いたっ」
 どん、と誰かに思いっきりぶつかってしまった。
「どこ行ってんだ、馬鹿」
 うっ、この人を皮肉りきった声。恐る恐る見上げると、案の定仏頂面万歳の可愛げのない方のファシルの顔。
 肩越しに、申し訳程度に『屋上立ち入り禁止』の注意書きが立てかけられた階段が見えた。これはどうやら意図的に、私を待ち伏せていたらしい。まんまとおびき出されちゃったんだ。
 取って喰われるはずは無いと解っているのに、身体が凍ったみたいに硬直してしまう。ファシルは私の腕を掴んでいた手を離して、口角をクッと吊り上げて笑った。
「フン、間抜け面」
「なっ!」
いたいけな乙女を掴まえておいて言う言葉じゃないよ。さっきとは打って変わってちっとも爽やかじゃないか。変わり身早すぎ!
「ファシルッ」
 すぐさま振り向いて詰め寄ると、今度はファシルがぐっと引く。ううん、引くというより、面倒くさそうに嫌味な表情。いちいち腹の立つっ。
「なんで学校にいるの? どうやって入ったの?!」
「知ってどうすんだよ。お前の頭じゃ真似できないと思うけど」
「そうゆうこと聞いてるんじゃないのっ!」
 私の頭じゃってどういう意味?むかつくっ。どうしてこんな人を小馬鹿にしたようにしか話せないのファシルは。というか、クラスの中でと私の前でじゃ態度が違いすぎるでしょっ。
「もう、ファシル……」
「なんだよ」
はあ、どうしてそんなに態度不遜かなあ?王様じゃあるまいし。いちいち突っ込んでいてもペースに飲まれるだけだからもう諦めるしかないけどさ。ふんだふんだ、ファシルの天邪鬼。くそう、ちょっと私も拗ねてきたぞ。
「なんだよじゃないよ……すごくびっくりしたんだよ、私。行くなら行くで、前もって言ってくれれば良かったのにさあ、」
「いや無理だろ。さっき決めたし」
「えええ?」
 さっきって、じゃあ手続きは? 双は知らないの? 本当にどうやって編入したの。というか、よくよく考えてみれば、11もクラスがあるのによく私と同じクラスになったなあ……って、もしかして。さっき、普通は名簿確認してるはずの先生の様子がおかしかったのも。
 疑問が疑いに、疑いは見上げたファシルのいたずら小僧みたいな笑顔で確信に変わる。
「……私の頭じゃ真似出来ないんじゃなくて、普通の人は真似出来ない方法なんでしょ」
「ご名答。つか、気付くの遅くね?」
 くうう、一言多い。文字通り見下されているのがひしひしと伝わるこの嫌味。そうやっていい気になって笑っていられるのも今のうちだよ。
「来たかったんなら、素直にそう言えばいいのに」
「は?」
 途端にファシルの笑みが怪訝な表情に変わる。ふふん、私を驚かせたつもりなんだろうけど、そうそう思い通りになってやらないもんね。もうファシルの嫌味にも慣れちゃったんだから、私にはそうそうきかないよ。
 にやっと笑って見上げると、物凄く不愉快そうな顔をされた。
「何お前、気持ち悪いんですけど」
「ふーんだ。一人で家に居るのが寂しかったくせに。天邪鬼、寂しがりや!」
「はあ? ば、お前、馬鹿じゃねーの勘違い甚だしいにも程があるっ」
 慌ててる慌ててる。これは案外ズバリだったかもしれない。
 なんだ、ファシルも可愛いところあるじゃん。なんだかんだ言ってかまってちゃんなのが可愛いよね。
「おい、聞けよ!俺はな、」
「あ、始業式始まっちゃう! 先行ってるからねファシル!」
「おいっ」
 これぞ『嘘も方便』ならぬ『本当も方便』。なんちゃって。本格的にファシルが怒り出す前に先手を打って逃げ出した。
 時間もないし、詳しい話は家でも聞けるよね。今更来ちゃダメなんて言えないし、言う権利もないし。それに何より、思ったよりもファシルが学校っていう場所に浮き足立ってる、そんな気がしたからね。だから、まあ、どうしようもないので今は様子を見ておこう。
 そんな事を思いながら小走りで大体育館に向って、私は高校生二回目の始業式に臨んだ。

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