わたし(家庭教師)

方程式の成り立ち―8―

「ひやぁああっ! そそそそ双? えっ?!」
「うっせーよ、でけー声出すな」
 酷く迷惑そうに耳を塞いで顔をしかめる。その顔は昨夜見た人と同じで、金髪碧眼おっきい方の双に間違いない。でもでも、敬語じゃないよ?
 あうあうと混乱して双さんを見ても、苦笑いな表情。
 どっち? どっちが双なの? わけわかんないよ!
「何何何っ! なんで、どーやってここに? え?隠れてたの? どっち!?」
 ああああ頭が混乱するよぅ……。なんで双がここにいて、双さんもいて、金髪じゃなくってあの小さいのは……だぁああわからないぃ。なにこれ、誰か説明してよ。意味わかんないよー!
 混乱して言葉も出ない私を宥めるように双が近寄ってくる。で、金髪の双と並んだ。
「あ、安登落ち着いて……」
「へ…そ、双? え、でもそっちも双で……」
「俺は双じゃねーよ」
 にやにやと笑って、なんだか意地悪な笑い方。
 うううう…やっぱり昨日の双じゃないかあ。
 疑わしげに見ると、金髪双はすっと身を引いて、まるでどこかの紳士みたいに一礼した。
「Comme faites vous faites, une jeune femme stupide.Mon nom est facile」
 はいぃ? 何今の聞き取れなかった。何語?
 と、その途端黒い髪のほうの双がいきなりごん! と金髪双の頭を殴った。ああもう名前を呼ぶのもややこしい。
 混乱する私の前で金髪双が顔を上げて黒双を睨むと、黒双は世にも冷ややかな笑顔で金双の耳を引っ張る。
「いてててて何すんだよッ! MERDE!」
「Votre bouche est merde juste splendide!」
 なんだか何言ってるかわからないけど、喧嘩しているみたい。英語にしては発音が特殊なような気もするし……凄い早口で言い合いしてる。
 どうしよう。と、止めた方がいいのかな。でもなんか言ってる事わかんないしなー……。聞いてる分には宇宙人と会話してるみたいだ……。
「Je ne veux pas voir encore le visage!」
「C'est l'un l'autre!!」
 うううう、よくわかんないうちに終わっちゃった……。
 ふん、と二人とも顔を背けて、金髪双なんか勝手にふてくされてソファにふんぞり返ってる。いきなりわけわかんないうちに喧嘩しないでよぉ〜ッ!
 どうしたらいいかわからなくておろおろしていると、ふう、と息をついた黒双が苦笑いをして肩をすくめた。
「すいません、安登。いきなりこんな……」
 う〜ん、そりゃびっくりしたのは否めないけど……。
 ちらりと金双を見ると、勝手にやってろって感じであさっての方向を向いていた。……そもそもかきまわしたのこの人じゃないっけ?
「え……っと、その人は……?」
「ああ、こいつはその……ファシルと、言うんですけど」
 なんだか気まずそうに言いよどんで、その先を言おうとしない。でも、言ってくれないと困るんですけど……。
 と、金髪双がこっちを向いて、じろりと見上げてきた。なんだか態度悪いなぁ……。
「お前、昨日の事覚えてるか?」
 昨日の事って……昨日の夜のこと?
 そういえばと思い出して、怒りと羞恥を思い出して顔が赤くなる。でも金双はそれを煽るかのように妖艶に微笑んで首をかしげ、首筋をとんとん、と指し示した。
「鏡で、見てみろよ。首」
「ファシルッ……!」
 黒双が慌てたようにファシルと呼ばれる金双を諌めたけど、でもまだ怪しく笑っていた。
 そうして私は自分の首筋にそっと触れて。あの時感じた甘い痛みを、まるでフラッシュバックのように思い出した。


「安登ッ!」
 名前を呼ばれた気がしたけれど、そんなことにかまってる暇はなかった。脱兎のごとく洗面所に駆け込んで、パジャマを下に引っ張って首を剥き出しにする。
 見えたのは、紅い点が二つ。まるで、そう、何かに噛まれたかのような。
震える手でそっと触れると、甘く疼く痛み。何が起こったのかわからなくて、ただその二つの赤を凝視するしかほかなかった。
 何、これは。私は何をされたの。あのファシルって人は何を知ってるの。私に何をしたの。黒いほうの双は……何を知ってるの?
「心配しなくてもすぐ消えるよお嬢さん」
 すっと首筋をなぞる指。思い出す昨日の感覚。ぞっとしてその手を振り払って振り向けば、いつのまにかあの金髪の人が私の背後に立っていた。
 楽しそうに目を細める彼はあまりに妖しくて、私は突発的に襲ってきた恐怖に抗えずにその場にずるずると座り込んでしまった。
「昨晩のアレ、すげえ美味かった。……ご馳走様、な」
 身を屈めて、にっこりと微笑む。綺麗な顔なのに、その笑顔がどうしても怖くみえる。
 どうすれば、いいんだろう。私、これからどうなるの。怖いい、よ。この人、怖い。
「や、だ……」
「びびんなよ」
 私に触れようと、手が伸びる。
 昨日の夜の光景が、思い浮かんでくる。あの獰猛な眼差し。酷薄な笑み。
「やだっ!」
 思わず思いっきりその手を振り払ってしまった。
 払ったその手の先に何かが見えた気がして、あれ? と思った瞬間。ゴッと鈍い殴打音が洗面所に響く。倒れるファシルと、その後ろには修羅のごとく黒いオーラ漂う双。
 助かった、けど……さっき私、何を見たんだっけ?
「あの……」
「すみません安登。こいつ、礼儀がなっていないもので……」
 ファシルの首根っこを掴まえて、ぐいっと持ち上げる。す、すごいな……どこにそんな力があるんだろ。っていうか、死んじゃうよ……?
 双のファシルの扱い方があんまりなもんだから微妙な顔をすると、双は何を勘違いしたのか慌てるように私の顔を覗きこんできた。
「あの、大丈夫ですか!? まさかコイツにまた何かされたとか……」
「えっ、ううん、なにもっ! なんにもされてない……よ……」
 って、あれ? また? ……今、またって言ったよね?
 ううん、どういうことなのさー。
 ファシルの言う事といい双の言う事といい、考えたって、さっぱりわかんない。やっぱり全部話してもらわなきゃ。
 双が手を差し出してきたので、私はその手を掴んで立ち上がる。と、同時に顔の近付いた双をきっと見据えて言ってやった。
「昨晩のアレってさ……どういう、意味?」
 ぎしりと、双の身体が石みたいに固まる。でも、言い逃れはさせないからね。私だって押されてばかりじゃないんだから。怖がらせたぶんこってり絞ってやるんだもんね。


「バンパイア……?」
 実感なく反芻した言葉に、双は苦々しく笑って頷いた。
 彼の話によると、今私の目の前で不貞腐れたように座る金髪の男の人。この人が、双に憑いている吸血鬼なのだそうだ。向こうにいたときに、何故かとり憑かれてずっと傍を離れないらしい。というか、離れられないのだそうで。
 にわかに……というかはっきり言って全く信じられない話に私はなんと答えたらいいかわからなくて、気まずい空気が流れる。だってなんか凄く普通に話してるけど、あまりにありえないじゃない。幽霊じゃあるまいし、吸血鬼が人に取り憑くなんて。
 双、このファシルって人に何か脅されてたりするのかな? 本当のこと言ったら私が怒ると思ってるのかな。こんな嘘つかれるほうがよっぽど嫌なのにな……。
「あの、双……?」
「はい」
「別に私、今は怒ってないんだよ?」
 本当のことを話してもらいたくてそう言ってみると、双の隣に座って憮然とした表情を浮かべていたファシルが突然噴出す。双がぎょっとして目でたしなめるけど、それでも笑っていて。
 なに〜? 私が笑われてるの? 私そんなに可笑しい事言った? 自分たちのほうがよっぽどおかしい事言ってるじゃん!
 思わずむっとすると、余韻が抜けずに笑いながらファシルが私を上目使いに見上げてきた。なんだか私を馬鹿にしてるような笑い方。ちょっと感じ悪いぞこの人。
「安登、お前やっぱり頭が足りないな」
 …………む、か〜〜っ! なにこの人! 馬鹿って言われるより腹立つよ! やっぱ、やっぱりって何さっ。
 悔しくて言い返そうと睨んだその時、ファシルがおもむろに双の胸に手をぴたりと当てる。何をするの? と思った瞬間、まるで霧のようにファシル本人が消えてしまった。霧散したといったほうが、適切かもしれない。
「なっ、……あ、ええ!?」
 辺りを見回しても、どこにもいない。何がどうなったのと双を見ると、彼にも何かの変化が起きていた。
 ざわざわと、妙な気配。異変を感じて凝視すると、双の髪の色素が徐々に抜けていく。というか、金髪に変わっていく。
 それだけじゃなかった。目の色も、顔立ちも。何かの不可思議な映像を見ているように、瞬く間にあの黒髪の双が前夜私を脅したあの金双へと変わってしまった。目の前で。
 信じられないけど、目の前の光景は何よりもリアル。疑いようがないというより、本当に訳がわからない。
 こんな、ことって。
 頭が混乱して、私は、無意識に呟いた。
「一つに……なった…………?」
 ありえない、けれど何よりもリアルな目の前の男の人。私の言葉に微笑を返して、ゆっくりと頷いた。
「こういう、こと。……夢を見るよりは簡単でしょう?」
 ああ、確かに、そうだけど。夢と現もわからない昨日よりかは、何よりも確かな光景だけど。こんなありえない事が目の前でありえちゃってたら、頭が良くたって真っ白になっちゃうよ。

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