わたし(家庭教師)

方程式の成り立ち―7―

 人前でなんか泣きたくない。感情を吐露するなんてもってのほか。それも相手は殆ど知らない人間。ほら、早く止めなよ。みっともないよ。
 必死になって、自分に言い聞かせる。嗚咽を呑むには凄く苦労したけど、絶対に泣くわけにはいかなかった。それでもきっと顔は凄く歪んでると思う。自分をそこまでコントロールできるほど、私はできた人間じゃない。
 手は掴まれたまま、俯いて顔を隠した。じっと見られているのが解る。視線が突き刺さる。いたたまれなくなって、私は思わず口を開いた。
「あ、の……」
「なんですか?」
「えっと……その、そう、すいませんでした」
 なんだか、よくわからないまま謝ってしまった。双さんもそれは予想してなかったみたいで私の手を掴む手が緩んで、心なしか動揺が見える。
 ええっと、私なんでこの状況で謝ったんだっけ。と、思ってそれがわかった瞬間恥ずかしくなって、ますます顔が上げられなくなってしまった。
 いつまでたっても顔を上げない私に双さんが戸惑い気味に問いかけてくる。
「あの、安登? それはどういう……」
「だ、から……なんか変なこととか酷い事とか口走っちゃって……」
 甲斐性無しとかドジ馬鹿アホ間抜けとか。今考えると小学生も真っ青な悪口だよ。今時誰も言わないこんなの。大体甲斐性無しって私は双さんの妻かよって感じだ。
 さっきも混乱してたけど今も恥ずかしさで頭の中がぐるぐるしてる。どうしよう、怒ってないかな。
 でも、怒ってはいなかった。というか、双さんはいきなり笑い始めた。
「な、ななななんで笑うんですかっ」
「いえ、だって……甲斐性無しなんて言われたの初めてだなぁと思って」
 うわわわわ痛いところ突かれた。そこはスルーしてよ大人なら。
 恥ずかしさで火のように熱くなる。双さんはツボにはまったようでいつまでも笑ってるけど、私は別に笑わせる為に謝ったわけじゃないもん。
 そう思って、緩んだ手を振り切るようにして離した。双さんの笑いが止まる。
「あの、だからみっともないところを見せて悪かったと」
「どこが?」
 きっぱりと遮るようなその言葉に、反射的に顔を上げてしまう。そしたらさっきまで笑ってたくせに、妙に真面目な表情をしていた。その厳しい眼差しは私に向けられていて、何故だか責められているような気分になった。
「どこが……って」
「どこがみっともないんですか」
 それを、私に言わせる? 普通。なんだかもっと惨めでみっともない気になってくる。そうですかの一言で済ませてくれればいいのに。何が気にいらなかったって言うんだろう。
「だって、初対面の人にこんな……」
「初対面じゃないですよ」
「……私にとっては初対面と一緒です」
 いくらそっちが覚えていたって、私は全然覚えてないもん。そんなの知らない人と一緒だよ。
 意味のないへりくつにむくれると、双さんがふいに、苦笑いを浮かべた。仕方ないなあって感じの、笑い方。
「つまらない言い訳はもう終わりにしましょう」
 つまらない、言い訳?
「私別にいい訳なんか……」
「寂しかったんでしょう」
 どくんと跳ねる心臓。射抜くような言葉。
 動揺を押し隠せなくてまた俯く。
 見ないで。私のなかを勝手に覗かないで。
「……何も、寂しくなんかないです」
「どうしてそうバレバレの嘘をつくんでしょうね」
 呆れたようなため息交じりの言葉。嘘なんてついてないもん。貴方が勝手に勘違いしてるだけでしょ。
 でも言えない。あんまり喋ると、声が震えてるのがばれそうだから。
「寂しかったからあんな風に怒った」
「怒ってません」
「ああ、泣いたが正しいかな」
「泣いてません!」
 いやだ、この人。なんかやだ。わかったようないい方して、なんか酷い。言葉も態度も酷い。わざとやってるんだ、きっと。乗せられちゃ駄目だ。我慢して。
「お母さんが帰ってきて」
 耳を塞ぎたい。だけどそれじゃ負けた事になっちゃう。
「折角帰ってきたと思ったらまたすぐに出かけて」
 知らない、この人が言ってる事は全部嘘。私はそんなんじゃない。そんなんじゃない。こんな言葉に揺るがされたりしない。
「別れの言葉もおざなりで」
 知らない、私そんなの知らない。もうやめてよ。やめて。
「もうここのことなんかどうでもいいんじゃないかって思っ」
「やめて! 聞きたくない」
 やめて、認めたくない。知らない、私そんなの知らない。
 どうして勝手に言うの? 私、気付かないようにしてたのに。考えないようにしてたのに。 勝手に言って、勝手に決め付けて。どうして?
「寂しくない……! 私、別に今更、寂しいだなんて思わないっ」
「……安登」
「もう言わないでよどっか行って! どっか行ってよ馬鹿ぁ!!」
 ぐいぐいと胸を押し返して、距離をとろうとした。息が出来ないほど苦しくて今にも泣いちゃいそうで、でも死んでもこの人の前でなんか泣きたくない。ううん、自分の前でも泣きたくない。私はそんな弱い人間じゃない。
「黙ってください、でないと」
「安登」
「もうわかりましたから。だから」
「安登!」
 厳しい口調で諌められて。びくりと肩が揺れて声も出せなくて。
 なんで、この人、こんなに酷いの? 私が弱いって言いたいの? そんなにかき回したいの?
 力の抜けた手を、双さんは両手で包み込んだ。温かい手のひらで包み込んで、彼はぽつりと呟いた。
「安登……。寂しいって、言って下さい」
 声も出ない。だから精一杯の抵抗で、首を横に振る。
 でも今度は、頭を撫でられた。いいこいいこってするように、優しく撫でられた。
「寂しいって、言っていいんです」
「……」
「ねぇ、安登」
 くい、と髪を引っ張られる。
 ゆっくりと顔を上げると、にっこり笑う双さんの顔が映った。
「その為に僕がいるんですから。だから、言って下さい」
 どうして、わけわかんない。この人なんでこんな、解った風な事言って。どうして。どうして。
 どうしてわかるの。
「……さびしいよ」
「……」
「私いっつも一人なんだもん! 寂しいに決まってるじゃん!」
「……」
「私は要らないの? 私はいなくていいの?」
「……」
 なでなでと、ただ無言で撫でてくれる。ここにいるよって、言ってるみたいに。
 寂しいのに、でも全然寂しくならなかった。
「どうしていっつも一人なの?」
「……」
「どうしていっつも私……ひとりなんだよぅ……」
 いっつもいっつも、帰ってきても誰もいない家。家は寒いしごはんは冷たいし独りぼっちだし。一人で大きな家に住んでたって寂しいだけなのに。
 お母さんにとってはただ寝泊りにたまに使う場所なだけで。
 家庭じゃなかった。
「……これから、ずっと傍に居ますから」
 なでなでと、優しい手のひら。
 ああ、どうして私が昨日双を家に入れたのかわかった。
 寂しかったからなんだ。


 ぽろりと零れ落ちた涙をごしごし拭う。
 もう、すっきりした。なんか言いたいこと言っちゃったし。
 胸を貸してくれた双さんはそれに気づいたみたいで私の頭を解放して、また少し離れた。多分、私に気を使ってのことなんだろうけど。私はその気遣いを無駄にするかのように、一歩前に踏み出して双さんの手を掴んだ。
「双でしょ」
「……え?」
 ひくりと、双さんの……ううん、双の表情が引きつる。
 なんか、他人とは思えないもん。昨日と同じような感じで私の名前呼ぶし、笑い方も喋り方も一緒だし。唯一違うところと言えば……なんか悪どい笑みを浮かべない事かな。猫かぶってるのかな。
 ずずいと詰め寄ると、さっきとは打って変わって引き気味になる。焦ったように目を泳がせるし。うううん……怪しい。怪しすぎる。
「双でしょ」
「いや、ちがっ……あ、いえ確かに僕は双ですが…」
「昨日の、双でしょ?」
 だらだらと焦りが目に見えるよう。しらばっくれようとしても無駄だよ。私もう決めちゃったんだから。
「昨日の双だったらいいよ」
「へ?」
「昨日の双と今の貴方が同一人物だって認めるんなら…一緒に住んでもいい」
 なんかむちゃくちゃだけど、違うんなら追い出せるし万が一ホントだとしてもそっちのほうがどのみち許せる。昨日の双って言ったら夜と夜中とで違うんだけど、取り合えず私はちびっ子双推奨で。
じいいいいっと見つめると、双は微妙な表情で私を見下ろしてきた。
「……確かに僕は双ですが、昨日の彼は僕ではありません」
「昨日のって知ってるなら双でしょ?」
 違う違うと首を横に振る。何が違うって言うんだろう。首をかしげる私の前で、何かを言おうと双が口をぱくぱくさせる。なんだか言おうか言わないか迷ってるような素振り。
 ええい、はっきりしなさい。
「だから貴方は……」
「そろそろ俺の番だろ、双」
「え?」
 なんか言った?
 双をぱっと見ると、ふるふるふると首を横に振る。
 んん? と首をかしげた瞬間、頬がうに〜っと独りでに伸びた。
「うひゃあっ」
「くくっ。すっげー間抜け面」
 ぎ、ぎ、ぎ、ぎと引っ張られるほうへと向いてみる。そこにいたのは金髪碧眼の男の人。そう、まさしく昨日の…しかも大人版双が、私のほっぺをつまんでいた。
「なっなななななな!!!」
 言葉にならない叫び声。
 目の前のでっかい双もとい昨日の極悪双はうるさそうに耳を塞いで、それから例のあの意地悪な笑みを浮かべて囁いた。
「昨日ぶりだな……安・登」
 これって、夢? 夢の続き? それとも俗に言うデジャヴ?
 なんにせよ私は二人の双を前にして、全部夢であって欲しいと願わずにはいられなかった。

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