わたし(家庭教師)

方程式の成り立ち―6―

「で、どういうことですか」
 今私と双…と名乗る人の距離は6メートル。丁度リビングの端と端、意外と遠い。もしもあの人がダッシュで私に近寄ろうとしてもその前に私は逃げ切る事ができる。そうゆう距離をとった。
 でも相手はあまりその気もないようで、気まずそうに立ち尽くしていた。だからといって油断はできない。昨日の夜にちゃんと学んだもの。何があってもどう言われても、注意を怠る事はできない。
 警戒心OK、逃げる準備OK、防衛準備ALL OK!
「どういうことと言われると、誠に以て説明しにくいのですが」
「……その敬語はなんですか」
 なんだかいやだ。双みたいだ。だって私より年上なのに、敬語を使う必要はないじゃない? 見た感じ二十代前半ってくらいだ。
「なんですかとはどういう……」
「普通に話してください。あなたに、敬語を使われる理由、ありませんから」
 剣呑に言い返すと、ふっと笑った。困ったように、でも柔らかい表情で。
 ああ、もう、どうして。なんなの。いやだ、やめて。
 やるせなくなって、思わずぎゅっと目を瞑ってしまった。
「これは素なんです、口癖で」
 やめてってば。睨みつけると、また悲しそうに目を伏せる。
 私が悪いんじゃない、この人がこうだからいけないんだ。油断しちゃダメ、私。
「いいから説明してください。どうして貴方はここにいて、母にあんな事を頼まれたんですか。……貴方、誰なんですか」
「あ、申し遅れました。僕は」
「……っ来ないでください!」
 相手は多分無意識に踏み出したんだろうけど、それを見逃さなかった私は身構える。
 傷ついたような表情をされても、知らない。私は、知らない。
「そのままで、そのままで説明してください」
「……すいません、わかりました」
 しゅんと、まるで犬のように落ち込んだ表情を見せる。
 うううぅうぅ。わ、私はそんなの知らない知らない知らない。
 彼は言いにくそうに、口を開いた。
「あの、僕は坂月双と言います。鏡花さんとは甥と叔母の関係にありまして」
 鏡花は私のお母さん。それにしても、こんな甥っ子さんが居るとは知らなかった。っていうかお母さんの甥っ子イコール私の従兄弟じゃん! 知らないよこんな従兄弟がいたなんて!
 あ、でもお母さんの旧制って坂月だったし………いや、待って待って。簡単に信じちゃダメだよ。
 にわかに信じられなくて疑いの眼差しを向けると、彼は苦笑して傍らにある彼のものと思わしき鞄から何かを取り出す。写真のようなものだ。それを持って部屋の中央まで歩いて、床に置いた。
 咄嗟の事だったので逃げられなかったけど彼はまたもとの位置に戻ったので、私にそれを見ろという意思表示だったのかもしれない。目は十分に警戒しつつ、私はそれを取りに言ってもとの位置に戻り、写真に目を通して唖然とした。
「……取り合えず落ち着いてお話しませんか?」
 苦々しく微笑む彼の表情。やめて欲しいと思ったけれど、認めざるを得ないみたい。姿形は全く別人だけど、表情はまるで昨日と同じ。この人は、双だ。
「……言い訳とやらは聞いてあげます」
 私は幼い私とそれを抱っこするように抱える同じく幼い彼の写真を片手に、彼にソファに座るように促した。
 彼は、全くと言っていいほど双とは似てなかった。なのにどうして私が彼を双だと思ったかって言うと、笑い方が似ていたから。ううん、一緒だと思ったから。ただそれだけ。だけど、昨日信用しちゃったのもこのせいで、だけどこれが唯一なんの混じりけもない純粋な顔に見えてしまった。
 ああだから私ってダメなんじゃないかばかあほまぬけー!
 そんな葛藤を頭の中で繰り広げつつ、もう一方で彼の話を咀嚼する。
 つまり、つまりだ。彼は私の従兄弟。本当に小さい頃は遊んだ事があるらしいんだけど、親の転勤で彼はフランスへと引越し疎通になる。で、今回彼は単身日本へと帰ってきたらしいんだけど、いかんせんいい条件での住居が見つからず。仕事場から遠いところしかないはずのところを、ここが丁度近いってんで話を聞いたお母さんが名乗りを上げた。
 一応のところ免許証とかパスポートまで見せてもらって確認したけど嘘じゃないらしい。見ればテーブルの上に殴り書きしたと見えるメモが置いてあって、簡単な説明が書いてあった。
『安登へ。彼は私の甥っ子です。覚えてるよね? 昔遊んだから。今回住むところが見つかるまでうちに居てもらう事になったから、そこのところよろしく。双君は日本に来たばっかりなので、色々とわからない事もあるだろうからなんでも教えてあげてください。P.S.従兄弟といえど仮にもよそ様のお子さんなので失礼のないように。それから』
「ああもう!」
 びりびりと破いた。それはもう細切れに、勢いに任せて破いた。ひらひらと舞い落ちる白い紙ふぶきを、双さんが目を丸くして見つめる。
 でも私はそんなことにかまってる暇はなかった。携帯を取り出してピコピコと番号を打ちつけ、発信ボタンを押す。数回のコールの後聞こえてきたのは、無機質な音声だった。
『おかけになった電話は、現在電波の届かないところにおられるか、電源が入っていません』
「ああそうああそう聞く気もないって訳!」
 ぶちりと切って、今度はメールの受信ボックスを開く。お母さんの欄を出して、メールをしたためる。
 何かを言いたそうにおろおろと双さんがこっちを見ているけど、今私はそれどころじゃない。言いたいことが、沢山あるの。かしかしと思いつくままに文章を打ち込む。
 なんだか腹が立って腹が立ってしょうがなかった。
「あの……安登?」
「なんですか」
「何をしているんですか?」
「貴方には関係ありません」
 沈黙、そしてかしかしとボタンがへこむ音の連続。もう手が震えて字も打てない。それほどに私は怒ってる。うまく文字が打てなくて、変換ミスをしたとき、私の怒りは爆発した。
 携帯を思いっきり振り上げて、床に叩き落した。電池ががちゃりと外れて、携帯の画面が途端に真っ暗になる。いきなり立ち上がって激昂した私を、双さんは驚いた表情で見上げていた。
「……出てってください」
「……安登」
「出てってください! 私は何も聞いてないもの、貴方なんか知らない! 出てって!」
 わからない、どうして、怒りが止まらない。もうやだ、どうして、お母さん。私知らないこんな人。何も聞いてない。何も、教えてもらってないじゃない。
「貴方誰なの? 双なの?」
「安登、落ち着いて……」
「落ち着けるわけないじゃない昨日からわかんないことばっかりっ!」
 伸ばしてきた彼の手を振り払って、距離をとった。
 わかんない、どうして。どうしてわたしこんなに怒ってるの? でも、でもいらいらして仕方がないの。悲しくていらいらするの。何もわからないの。
「みんな、どうして! 私にわからない事ばっかり押し付けて!」
「僕は」
「出てってって言ってるでしょ!」
「……」
 私がどんなに罵倒しても、双さんは動こうとしない。
 だけど、私は嫌だった。これ以上誰かがこの家に居る事も、私の前に居る事も。これ以上怒りたくないし、酷いことも言いたくない。一人になりたい。独りになりたい。
「……貴方が行かないなら私が出て行く」
 踵を返して、ホントに出て行こうとした。だけど腕を引っ張られて、それもできなかった。もうそれで、最後の理性も瓦解してしまった。
「離してっ! 触んないでよこのこの甲斐性なし! バカアホドジまぬけ!」
 激昂してめちゃくちゃな事を言ってしまう。振り返ると、悲しそうな彼の瞳が私を映す。
 どうして、そんな夢の中の時のような顔をするの。また私がそんな顔をさせてると言うの。
「行かないでください」
「じゃあ貴方が出て行けばいいじゃない」
「それもできません」
「じゃあ離して!」
「嫌です」
 何を言ってもどうしても、彼は離そうとしてくれない。
 これ以上私を見られたくないのに。悔しくて悲しくて、顔を逸らした。
「離してください、お願いだから」
「嫌です」
 だめだ、歯止めが利かなくて。頭がおかしくなりそうなほど、混乱してて。油断しちゃ駄目、早く、私はもう誰にも。
「今安登をひとりにしたくありません」
 もう誰にも、私の感情なんて見せたくなかったのに。
 こんな一言で、馬鹿みたいにあっさりと涙腺が緩んでしまった。

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