わたし(家庭教師)

方程式の成り立ち―4―

 薄桃色のベッドシーツにくるまれて、身の丈にぴったりなベッドが一つ。その隣に並ぶように双の布団が敷かれていて、双の身の丈にはあわない大きさのその中に双は体をもぐりこませた。
 それを確認して電気を消して、私もベッドの上に横たわる。いつもは一人で寝ていたそこに、一つの小さな呼吸。なんだかおかしくて妙に嬉しくて、眠りたくなかった。
「双、起きてる?」
「……さすがにのびた君じゃないのでそんなに早くは寝れませんね」
 わざわざ皮肉るような言い方で返事が返って来た。双がまだ起きているのが嬉しくて、よく見えないけれど双の寝ている方向にくるりと体を向ける。上から眺めるようにしてみると、気のせいかな、双もこっちを向いているような気がした。
「双さ、今日はゆっくり寝ていいよ」
「はい?」
「何にも考えずに、ここでゆっくり寝ていいよ」
 何か訳があったとしても、寝るときくらいは心配事なんか忘れてしまってもいいと思う。明日の心配も、あさっての心配も、その後の心配何もかも忘れて。今夜、このとき、安心して眠って欲しい。
 頭を撫でようといいこいいこって手を伸ばすと、それをひょっと避けられ掴まれた。
「ありがとうございます、安登」
 静かな部屋で、空調とともに双の言葉がしっとりと暗い空間に響いた。

 はぐらかしてばっかりだし子供っぽくないしなんだか不思議な子だけど。でもそのときの言葉は、今日聞いた中で一番心がこもっている様な気がした。


 いつのまにか、寝入っていたのか。ぎしりとかすかにベッドの軋みが聞こえて、それと同時に体が沈みこむような感覚で、ぱちりと目を覚ました。暗闇で、そう、輝く何かが見えた。
 そして。
「―――ッ!!」
 声が出せない、口が開かない。まるで金縛りに遭ったように体が重くて、腕は頭の上に束ねられて動かす事ができなかった。
 誰かが私に馬乗りになっている。ベッドの上に、乗っている。
 やだ、どうしよう怖い、怖い怖い怖い。誰!? 誰なの?
 かすかに唸ると私を押さえつけるその人影がそれに気づいてそっと、顔を近づけた。闇に目が慣れてきて、その人と目線がかちりと合う。
 なに、これは、どういうこと?
「やっぱ騙されたんですか」
 嘲るように呟かれた言葉、透き通った瞳、暗闇でもきらきらと光るその毛並み。
 何のことかわからないのに、恐怖のせいか驚きのせいかそれとも。こんな風になっていることを、どうしようもなく悲しく感じる私がいた。

 声が出ない、この人誰? 私どうなるの? 騙されたってどういうこと?
 ぎりぎりと抗えない力で羽交い絞めにされて、腕が痛かった。声からして、男の人だ。……泥棒? それとも、強盗? 嫌だよ。私、殺されるの? それとも……。
 怖くなって目じりにうっすらと涙が浮かぶ。震える私の頬を撫でる様にその人の手が触れ、余計に私の恐怖心を煽った。
「貴方は馬鹿ですか? 僕はリビングで良いと言ったのに自分から招き入れて」
 くつくつと笑いながら、忠告とも揶揄とも取れない言葉を吐く。
 どうして? この敬語、声質、きらきら綺麗な髪の毛。これじゃあまるで双みたいだ。だって、そんなはずない。双は子供だ。こんな私を抑えつけられる力も大きさもないはずだ。じゃあ誰? この人は誰なの?
 戸惑いの眼差しに気づいたのか、目の前の男の気配が笑ったように感じた。そうしておもむろに私のパジャマに手をかけ、ぐっと引くように力を込めた。
「………っ!」
 ボタンが弾け飛ぶ。一つ二つ、私から逃れるようにしてどこかへ転がり落ちる。息が詰まるほどに驚いた。
そう、まるでジェットコースターで心臓が浮き立つみたいにひやっとして、とてつもなく恐ろしかった。ジェットコースターは楽しめるものだからそれすらも楽しいと感じる事ができるけど、こんなの無理。全身が怖気立つ恐怖。
 怖いよ。私、何されるの? この人に、何されるの?
 露になった首筋に吸い付くように指が滑って鎖骨をなぞる。動作の一つ一つが怖くて、力が入るならすぐにでも振り払いたかった。
 ぞっとする。暗闇でも笑っているのがわかる。この人は、間違いなく楽しんでる。こうやって私を拘束してる事、わざと服を破いた事、私が怯えている事、身がすくんで震えている事。何もかもが彼を楽しませる道具にしかならない。
 どうすればいいの。誰か助けて。お父さん。お母さん!
「怖がらなくても大丈夫ですよ」
 本当はそんな事思ってないくせに、さも愉快そうに私の首筋を撫でながら囁く。
 触らないで。許せない、嫌だ、こんなの。何もかも、人を馬鹿にして見下ろして。何なのこの人。あまりに腹が立ったせいか、今まで声も出せなかったのに急に出せるような気になった。とどめていた何かが、ふっと軽くなったように。何かが我慢し切れなくて、殆ど無意識に口を開いた。
「あ、貴方、貴方違うよね!? そ……っ!」
 その続きを口にしたかったけれど、それはすぐに中断された。多分故意にだろう。遮るように男が剥き出しになった私の首筋に口付けた。ぞくりとする感覚、えもいえない柔らかい感触。恐ろしくて、見知らぬ人間にされている事が何よりも気持ち悪くて。ばっと顔を背けると、強制するようにくい、と正面に戻された。
「『そ』、何ですか?中途半端に言葉を止めないでください」
 くすくすと、可笑しそうに微笑んでる。
 ああ、そんな風に笑わないで。ますます聞きたくなくなる。
 でもいつまでたっても言おうとしない私に催促のように男の唇がまた近付きかけたので、私はそれを避けるためにも言わざるを得なくなってしまった。
「………双、じゃないよね…?」
 そうであって欲しいわけではないけど、違っていても望む事ではなかった。だってこの人が双だなんて信じられないけど、もし別人だったら双がどうなってるかが怖くて。こんな状況で、何故か私は彼の身を必死に案じていた。
 だけど、問いかけはいろんな意味で、裏切られた。私の頬を優しく撫でて、そう、あの時のように囁いた。
「……僕ですよ。安登」
 私の耳元に囁いた彼の声はまさしくお風呂上りに聞いたものと重なる。耳に熱く、無情な冷たさを孕んでくすぐる。
 ああ、どうして悲しかったのかわかった。……双。貴方が双だと、既にわかっていたから。

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