わたし(家庭教師)

方程式の成り立ち―2―

 あの〜あれだよね? 家庭教師って、家に先生が来るやつ。大学生とか、年上の人が教えに来るんだよね。でも待って、この子小学生だよ? 私高校生。無理に決まってるじゃん。ってちがうよそんな問題じゃないよ!
「あ……ちょ……ちょっとタンマ! タンマだって!」
 慌てて手を前に振ると、どうぞ?って感じで双は腕と足を組んでリラックス体制をとった。あ、どうも。みたいな感じで私も頭を下げる。

 落ち着け、落ち着け須藤安登16歳高校二年生。まず帰ってきたらお母さんがいなくて置手紙が置いてあって、今日のご飯は50円で済まさなくちゃいけなくて、お腹がすいてたらチャイムが鳴ったのよ。
 で、出たら少年を潰しちゃって、介抱したのね。それで、この子はジュースよりもお茶のほうが好きな渋い趣味で、ぶどうって何て書けるかって聞かれてあれ…なんて書くんだっけ。

 テーブルに無造作に置かれる辞書に目を向けて、また思い出した。そうだそうだ、葡萄。と、納得しているときに双がくすりと笑った。
「なに?」
「いえ、失礼。だからですよ、お嬢さん」
 何がですか、ボク。と、言おうと思ったけどなんかこの子怖いから言えなくなってしまった。怖気づく私に上から見るような微笑で、双は続ける。
「今時葡萄も書けないなんて、情けないと思いません?」
「べ、別に……他にも書けない人だっているだろうし……書けなくても生活に支障はない、ような……気が、はい……」
 あうう、なんか目が怖い。私の語尾がだんだん小さくなってゆくにつれて、双の笑みが深くなる。
「そうですか? 子供に尋ねられてそらで答えられないんですよ?」
「そ、そんなこと言われても漢字博士じゃあるまいし……」
「僕は一般常識を問うたまでです」
「うぅ……ご、ごめんなさぃ……」
 何でか謝ってしまう。
 なんで? どうして? 私高校生! この子小学生! そうだ、がんばれ、私!
「そ、そんな事より!」
 勢いづけてばん、と机を叩くと双はちょっと驚いたように目を瞬かせた。よ、よし。そうそう、私のほうがお姉さんなんだからね。
「双はなんのご用でこの家に来たの?」
 コレを聞いてさっさと解決して追い返しちゃおう。小学生の冗談に付き合ってる暇はないの。50円で夕ご飯をなんとかしなくちゃいけないんだから。
 でも双は私の言葉に猫のように目を細めて、今までで一番怪しい笑みを浮かべてとんでもない事を答えた。
「だから、安登の家庭教師に」
 もうどうすればいいの〜?この子何の遊びしてるの?そんなに私をからかって楽しいの? おねーさんは忙しいの、お腹すいてるの。と、そこでぴーんと思い立った。
「ねぇ双」
「なんですか」
「もうこんな時間だからさ、家に帰ったら? 家の人心配するよ」
 時刻は6時半。最近物騒だからきっとどこの親も神経質になってるはず。考えてみたら小学生なんだから門限もあるはずだし。でも私の折角の名案を、双は笑顔でさらりと受け流した。
「心配するような時間でしたらここにいませんので。ご心配なく」
 むぅ〜……何なのこの子〜っ。やたらと偉そうだし口調は大人ぶってるし変なこと言うし。ああもう、お腹すいた。早く帰ってもらおう。
「あのね、私高校生なの」
「見ればわかります」
「双は小学生……だよね?」
「まぁ見た感じは」
 ………。見た目は子供、頭脳は大人とか言い出さないよね……? やっぱりTVの影響でも受けてるんだ。それでここまでするなんて奇特な子。
「私小学生に教えてもらう事はないと思うの」
「だから?」
「……小学生の家庭教師は、いりません」
 真剣に断ったつもり。何故か緊張感が走る。ついでにいたいけな少年の申し出を断った罪悪感もあったりなかったり。そしたら双は案外素直にこくりと頷いてくれた。ああ、よかった、わかってくれた。
「じゃあ」
「じゃあ大丈夫ですね」
 にっこりと、言葉を遮って。はい? 大丈夫って、何が?
「僕、小学生ではありませんから。」
 え? そういう問題? いやいやいや違うよね。ああああ。頭がこんがらがってくるよう…。
「いやだからね? 子供に」
「子供でもありません。安登よりも年上ですよ」
「嘘でしょ!?」
 うっそだぁあ! こんな可愛い少年が、私よりも背の低い子が、見るからに弱そうな子が、私に気絶させられた子が! そんなわけない。
「双……もういい加減お姉さんもお腹すいたから勘弁して……」
「じゃあ夕ご飯を作ってあげます」
 はいぃ!? ……家庭教師じゃなくて、家政婦なの? いやいやいやいらないよ夕ご飯なんて! そりゃお腹減ったけど…見知らぬ子供にご馳走になる気はないし……。立ち上がりかける双を制して、身長差で見下ろした。
「夕ご飯は自分で何とかするから、帰りなさい」
 ああ、でも……なんとかするってどうするんだろう。お腹減ったなぁ。と、思ってたら本当にお腹がなった。しかもなんか野犬の唸り声みたいな獰猛な音。
 うぅうぅぅこの節操なし! お腹の馬鹿! 泣きたくなって俯くと双が案の定くすりと笑って。
「素直じゃないなぁ」
 なんて。素直も何もいいから出てってよ〜っ! と、思ったけど。
 はて、この子どうしてここにいるんだろう。その辺り簡単にあしらえば案外すんなり出て行くかもしれないっ。
「ねぇ双、とりあえず家庭教師の話は置いといて」
「はい?」
「ひとまず家に帰ったら? もうこんな時間だし。ね?」
 やんわりと「帰ってください」光線発射。
 だけどなんだか様子が変わって…双の表情が、曇ってゆく。あれ……?何、私なんか言っちゃいけないことでも言ったの?
「そ、双? どうしたの?」
「僕は……家には、帰れません」
 はい?! え、それって、俗に言う家出? 今流行のプチ家出? えっ! そんな、家出っ子!?
「だ、だめだよ家出なんて!」
「……家出」
「家の人心配してるよ! そんな事しちゃだめだよっ!」
 子供のそういうちょっとした好奇心に親はものすごく心配しちゃうんだよ、きっと。慌てて立ち上がらせるとぎゅっと、抱きつかれた。腰に。
 はわわわわわなんだいきなり!
「えっ、あっ、そ、双っ!?」
「帰れないんです……お願いします。僕をこの家に泊めて……?」
 はうっ!輝くようなお願い光線っ!
 どうしよう、そういえばなんだかものすごく悲しそうだ。いや、でも親御さんだって心配してるかもだし……。あ、でも最近の親は怖い人も多いみたいだし双が家出するのにも何らかの理由があるかもだし……。どうすればいいの……。どのみち一介の高校生の私にどうしろと。困りきった私を見上げて、双がうるうるとした瞳を向けてくる。
 くぅっ! そんな目で見ないでくれぇ。
「あ、の、け、警察に保護して貰え……ば、」
「安登、お願い」
 ぅうぅぅうう。あ、あ、あ、もうだめだぁっ!
「……一泊だけね」
 ガクリと肩を下げて、観念した。
 だって、ねぇ? あんな目で見られたら、断るなんて悪者みたいに思えちゃったんだもん。
「ほんっとーに一晩だけだからね! 明日にはちゃんと家に帰るんだよ!?」
「はいはいわかりました」
 軽い調子でにこにこと二つ返事。ホントにわかってるのかなぁ。お母さんはいつもの通り大学に泊まるらしいから今日は誰もいないけど……。でもなぁ、こんな子供家に勝手に連れ込んでいいのかなぁ?
「……ねぇ双」
「一度言った事は守りましょうね」
 ああ、読まれてる。でもこれって私犯罪になっちゃわない? 親御さんが捜索願とか出してたらどうしよう。そしたら困るよ〜。それにこんな、最近物騒なのに……双、子供だから安易なのかもしれないけど。ここはきちんと教えてあげようと思い、喜ぶ双の肩を掴んで、しゃがみこんで目線を合わせた。
「双、じゃあこれだけはちゃんと聞いてね」
「……なんでしょう」
 少しだけ気だるそうに、仕方ないって感じで頷いてくれた。……ホントに聞く気ある?
「いい、本当は知らない大人の家に子供が泊るって、すっごく怖い事なんだよ」
「ええ」
 当たり前じゃん、なんて言いそうな顔で相槌を打つ。むむむ、馬鹿にしてるな。
 真面目な顔を作って双を見つめると、双は少しだけ目を丸くした。
「だからね、もうこんな事やっちゃ駄目だよ。家出も、知らない人の家に泊るのも。危険だから」
「安登の家に泊るのは?」
「ほんとは……駄目だけど、私は危険じゃないから今日だけ許す」
 ぷっと、双が吹き出す。なにさ、私何か可笑しいこと言った?自分が頼んできたくせに。私がむくれると、双が私の頭をいい子いい子と宥めるように撫でる。む、子供に子ども扱いされるなんて。
「ありがとうございます。安登は優しい」
 くっ……今更褒めたって知らないよ。照れ隠しに立ち上がって、わざと双に意地悪く笑って言ってみた。
「ほんとにいいの? 私、双になにするかわからないよ?」
 このまま怖がって帰ってくれてもいいし、仕返しだもんね。
 でも双は期待と反して逆に私よりも数倍意地悪な微笑を浮かべて、とんでもない事をさらりと言いのけた。
「もしかして……誘ってるんですか?」
「……はあ?」
 なっ、こっ、おかしいっ! この子おかしいよっ! ここここ子供がなんちゅー口聞くの?!
「さっ誘うわけないじゃんかぁ!」
 慌てて言い返すと知ってますよ、なんて言ってまた笑って。
 も〜……やっぱり許さなきゃ良かったよぉ……。


「おわぁ」
 すごい、すごいよ双。手つきがプロの料理人みたい。じゃっじゃと鉄鍋を軽々振るう双の鮮やかな手つきを見て、私はあけすけに感嘆のため息を洩らした。
 彼が泊る事は私の押しの弱さと彼の気迫で決定したわけだけど、それでも夕飯は50円で済ませなくちゃならなかったんだよね。二人で50円…ひもじさ倍増。どうしようかとう〜んと唸っていたとき、双が名乗りを上げたのだ。
「僕が作ってあげますって」
あんまり自身満々に言うものだから、どうせ50円だけでも何もできないから半信半疑で任せたんだけど……。
 あれよあれよと言う間に冷蔵庫から適当な材料を取り出して昨日の残りのごはんを使ってチャーハン。固まっておいしくないよーなんて言ってみたものの、手馴れた手つきで材料を切って炒め出す。軽く揺すられる中華鍋の中には、あっというまにぱらっと軽く飛ぶ黄金色のチャーハンができていいた。
 ものすごく……ものすごく美味しそう! 感動して双の料理具合をちょろちょろと傍で見ていると、怪訝な表情で邪魔者扱いされた。
「いいから座っててください、やりにくいですから」
 むぅ……お客様は双なのに、私が座っていていいものか。微妙に立ち尽くしているとまたじろりと目で諌められたので大人しく座っていることにした。

 リビングに座ってテレビを見る振りをして耳を澄ませばダイニングから聞こえてくる料理の音。
 ああ、なんだかいいなぁ、こうゆうの。一般家庭の日常って感じ。憧れるなぁ。眼を閉じると今度はチャーハンの匂いがふわりと漂ってくる。久しぶりだなぁ……こんな家庭の食卓みたいなの。お父さんがいたときはよかったなあ……。
 と、思ってしみじみしていたら、ことりと何かが置かれる音がした。目を開いてみれば双が盛り付けたチャーハンと飲み物を器用に持ってテーブルに並べていた。
「ありあわせのものですからご期待に沿えられるかどうか微妙ですけど」
 なんて言って、蓮華を差し出してくる。
 いいのいいの。この綺麗な食卓を見て! 夢のようだよ。
「じゃあ、いただきます」
「僕も、いただきます」
 二人向かい合って手を合わせて、ぺこりとお辞儀をして食べ始めた。
 そしたら、双の作ったチャーハン、ぱらっと、ふわっと、あったかくて、もう言い表せない!
「双、双料理すっごく上手だね! 美味しい、スッゴク美味しい!」
「……褒めすぎですよ。これくらい普通です」
 苦笑しつつも照れてるのか目が少しだけ嬉しそう。ちょっと可愛い。大人ぶってても子供な部分もあるんだね。くすりと笑うとそれに気付いた双はむっとした表情になった。
 ああ、なんかいいなこんな感じ。とっても家庭的だ。久々の間隔に、なんだかこんな奇特な状況の中で、しみじみしちゃう私がいた。

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