わたし(家庭教師)

方程式の成り立ち―10―

 なに、それ。私がファシルの……しもべ? まるでその言葉が重い鎖のように響く。僕を戒める、言葉の鎖。妙に自信たっぷりで、重みを伴う言葉。
 にやにやと意地悪く笑うのでまた何かよからぬことでもあるのかと青ざめた時、また、ごっと聞き覚えのある鈍い音。ファシルは猛烈に痛かったようで頭を抱えて暫く悶絶して、顔を上げた時には涙目で双を睨みつけていた。
「なにをする、このインテリ眼鏡が」
「餓鬼の癖に偉そうな口を利くんじゃない。安登が怯えるだろう」
 …………あれ? ぜんっぜん僕じゃないよ。むしろ逆っぽいよ。
 きーきーがーがーと怒るファシルにしれっとそれをあしらう双。目の前の光景が矛盾に拍車をかけている。
 もしかして、嘘だったの? 私を脅かそうとしてでまかせ言ったとか?
 また騙されちゃったのかなーと首を捻ると、それに気づいた双がファシルの頭を押さえつけながら苦笑する。
「すいません安登、大げさな事言っちゃって。身体に入れなきゃ大丈夫ですから」
「え、身体って……」
「意識が混同すると主導権が握られやすいだけの話です」
「ちっ、双てめえ余計なこと言いやがって」
 ……よく言うお化けが取り付いちゃうみたいな話かな。だってファシルは双に押されっぱなしだし双はにこにこ余裕だし。
 でも、意識が混同するって……ファシルが、私の中にって事?
「ファシル……さん、私の中に入れるの?」
「あたりまえだろうが。昨日お前の血を頂いたんだから」
 …………え? ……え? え? え?
 どういうこと!? なに、あの首のって、昨日のって! 私の血を吸ってたの!?
 驚愕に目を見張ると、双とファシルが同時に微かな焦りを見せた。
「なにそれーーーーッ! 私の血勝手に吸ったの? ひどいっ」
「別にいいだろ減るもんじゃなし」
「減るよっ」
「やかましーな、今頃気付いて文句垂れるな馬鹿」
 酷い、酷いよ〜〜〜。私の血吸ったくせに馬鹿扱いする。悔しくて憤然とする私を宥めるように、双が苦笑を浮かべる。
「元々ファシルはここにあるべき存在じゃないので、血がないと今この場でも実体を保っていられないんですよ。だから今ファシルが僕から出て実体化していられるのは、安登の血のお陰なんです」
「〜〜〜っ。……だって、そんなの私じゃなくたって」
「あの時はそんな余裕がなくて、ファシルも死に物狂いでしたから」
 し、死に物狂いって……。そんなに大変だったの?
 でも怖かったもん。ちょっと痛かったし。勝手に取られたし。そりゃ死にそうなんで血取りますって言われても『え、なに言ってんですか』って感じだっただろうけどさ。
 今一腑に落ちなくてむーっと顔をしかめると、双は苦笑しながら目を伏せた。
「まあ、あらかたざっと話したわけですけど……こうゆう、訳でして」
「……うん」
「一緒に住むにしても僕は厄介なコブつきなわけです」
「オイ」
 横でファシルがつっこんだけど、それは置いといて……なんとなく双の言いたい事はわかったわけで。どう答えようか迷っていると、先回りするように双は朗らかに笑った。
「僕もファシルも一応男ですし、お嬢さんを任されたからと言っても常識的に一つ屋根の下で暮らすわけにはいきませんしね」
 それは、そうなんだけど……。ここまで話を聞いておいて、そんなのってありなんだろうか。大体ここでてくにしても双も新しい部屋探したりなんだと忙しいし。男二人ってのが……。
 ちらりとファシルを見ると運悪く気付かれて、途端に機嫌を損ねたようにしかめ面になってしまった。
「俺がいなくなればいいんだろう」
 ふん、と顔を背けて。双はそんなファシルを見て呆れたような顔をしてる。
 なんか、こんなこと言ってもたぶん、憶測に過ぎないけど。ファシルは双から離れられないんじゃないかな。双がいるからここにいられるんじゃないのかな。それだったら二人を離すわけにもいかないし、それに。
「……双」
「……はい?」
 突然口を開いた私に、双は少し怪訝な表情を浮かべる。ファシルもまた、まだ何かあるのかよって感じでガンつけてくる。
 でも私、気になることがあって。とても。
「あのね?……お母さんは、双に何を頼んだの?」
 無責任にも他人に私を押し付けて何を考えてるのって、それなら一人のほうがましじゃないって腹立ったけど。お母さんはお母さんで、何か考えて双に私を預けようと思ったのかも。私、まずそれが知りたくて。何よりも先に。
 双は、じっと私を見つめて、教えてくれた。
「鏡花さんは……その、安登が一人で自分を待っているのがとても辛いと。
だから僕に、家で安登を出迎えるようにしてやってくれって」
 ――お母さん。
 お母さん。お母さんの馬鹿。私と同じくらい馬鹿。
 それなら、お母さんが帰ってくればいいじゃない。それで済む話じゃない。
 でも。
 でも私はがんばってるお母さんを尊敬してるし、お母さんもそれを知ってるからがんばれるんだって言ってた。だったら私はそんなお母さんを出迎えていつでもお帰りって言ってあげなきゃって思ってた、けど。
 でもやっぱり知ってたんだお母さん。私にお帰りを言う人がいないこと。きっと、もしかしたら。私が一人で家に居ること、誰よりも辛く感じてたのはお母さんなのかもしれない。だから、どういう経緯かわからないけどお母さんは双に頼んだのかな。私が寂しくないようにって。
 お母さんの、ばか。こんな時ばっかり母親みたいな顔しないでよ。
「……わかった」
「……え」
「うん、本当はね……ちゃんと分かってたよ。だから、大丈夫」
 お母さんが大丈夫だって思って双に私を預けようと思ったなら、私は何も心配する必要はないんだ。だって私のことちゃんと考えて察してくれるお母さんだもん。それがお母さんの意思なら私は受け入れたいよ。どんな形でも。私のこと考えてくれてたんだってわかって、嬉しいから。それだけあれば十分。ほかの事なんて、なんとかなるよ。
 ようやく、落ち着いて自然に笑うことができた。
「双……と、ファシル、さん」
 不思議そうに見返してくる双と、怪訝に見てくるファシル。なんだか色々ありそうだけど。それも退屈しなくていいかもしれない。
「いいよ。この家に住んで。……というか、是非。歓迎します」
 きっと、この家は寂しくなくなるかも。帰りたくない家じゃなくて帰りたい家になるかも。
 そんな予感と期待と少しだけ不安もあり。双は、驚いたように目を見張っていた。
「歓迎って……危ないですよ」
「危ない事するの?」
「いえ断じてしませんが」
 じゃあいいじゃんと笑ってみる。すると今度は、ファシルが皮肉った笑みを浮かべた。
「無理するな。怖いんだろ? 出てってやるよ」
 またまた、そんなこと言って意地張っちゃって。私知ってるんだから。
「そりゃ昨日とかさっきは怖かったけど、今は怖くないよ。だからわざわざ脅したりしなくていいよ、ファシル」
 もういいやさん付けなんて。
 ファシルも双みたいに目を見張るものだから、なんだかおかしい。きっと私がファシルのこと怖がってるかもって思ったんだろうね。洗面所で手を振り払った時もちょっとだけ、傷ついた顔してたから。私があの時何か見えた気がしたのは、ファシルのそんな顔だったんだ。
 今までよっぽど、いろんな人に怖がられたりしてたのかもしれない。だったら、そんな風に人に嫌われるのを怖がってこういう捻くれた態度取っちゃうのもわかるし、それが解ると憎めないし。二人とも悪い人じゃないと思う。たぶん。
 だから私も、十分注意は怠らずに……がんばってみようと思う。
「お前……やっぱり馬鹿だな」
「……嫌なの?」
「……嫌なわけじゃない」
 呆れたように、観念したように、ぽつりと小さく呟いた。双をちらりと見ると、納得しきれてはいないようで、でも観念するみたいな苦笑を浮かべている。
 よし。これで、決まり。新しい生活が始まる。不安とか期待とか色々あるけどとりあえず。
「これから、よろしく」
 三人の共同生活。始めっから紆余曲折を経てしまったけど。
 今日から始まりだした。

The End.To be contonued in our next number.

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