隣りの子ねこ

猫も子ねこも持て余す―前編―

 彼女の隣人をやっている内に、わかった事が三つある。
 一つは、俺って結構世話焼きだったんだなって事。
 何も出来ない彼女に最初に教えたのは火のつけ方でも鍵のかけ方でもなく、部屋の片付け方だった。最初に入ったときは驚いたもんだ。狭い部屋に溢れるモノ、モノ、モノ。ありすぎと違うかと思うほどにひしめき合ったモノ。生活用品からなんに使うつもりなのかでかいウサギのぬいぐるみ、どうやって入れたんだと思うくらいのでかさのベッドに、無駄に質の良い生活用品。何より驚いたのは、眩暈がするほどの本の数。
 とにかく空いた場所には積んで積んで積んでありまくって、見た人間はみんな度肝を抜かれるんじゃないかって思ったほどだ。散らかるというより、ひしめき合うもののせいで何一つ手をつけられない状態、と言った方がきっと正しい。色んな疑問が一気に湧いてきた瞬間だった。
 が、俺のモットーは詮索しないされない。いちいち聞いてやる義理もないと流して、夕食を食うためだけに一日を彼女の部屋の掃除に費やした。まあ、それが後々炊事洗濯掃除あらゆる家事への序章だったという事だけど。

 そして二つ目。彼女の事。
 部屋にあるものはさり気無く高そうなものだし、たまに着ている制服もこの辺の地元校じゃないと見て解る。それで最初は、実はとんでもねえお嬢で世間知らずで箱入りなんじゃないかと思ってたんだけど、間違ってた。
 ――箱入りなんかじゃない、重箱入りだ。
 何でしらねえんだよってくらいに何も知らない。電車の乗り方が解らなくて困ったという話を聞いたり、小さい子がいる広場にある金属製の四角いもの(多分公園のジャングルジムの事)は下に芝生もないし危なくないのかとか言ってるあたり、相当の温室育ちどころか金庫生活をしてきたんじゃないかと思われる(というか電車もバスも無理でどうやって学校行ってんだ)。
 ポッドからボタン一つで出てくるお湯を見て『すごい!』と叫んだ彼女は本当は幾つなんだろうと首を捻った事もある。その癖何も知らない割に覚えがよく、知らないうちに料理の本買って特訓しだしたりもしていて、面白かった。教えるとなんでもすぐに挑戦するから、俺も楽しんでいた節がある。
 とにかく普通の常識を一気に吸収しようとしていて一生懸命で、ちょっと可愛いと思ってしまったこともあった。男は一生懸命な子に弱いとかよく言うけど、俺も例に洩れなかったらしい。ま、別に好きとかそういうんじゃなかった。誰にでもよくあるアレだ、アレ。

 そして、最後の三つ目。
 そういうことを思っているとこういう羽目になるということ。

「別れた?」
「声がでかい」
「ハイお待ちー」
「お、きた」
 大学近くのラーメン屋。俺が頼んだのはとんこつラーメン。先にタンタンメンを食べていた奴は箸を滑らせ卵を落とした。
「もったいね」
「あ、おう……って、はあ?何、もったいないのはお前だろなんでわかれんだよ」
「知らねえよ俺だって。いいから箸寄越せ」
 呆ける佐久間の目前に手を伸ばして箸を取る。ぱきっと割ったら、うまく割れなくて片方が太くなった。残念。
「え? てか、え? なに、なんで?」
「お前煩い、黙って食えねえの」
「遊佐が話題振ったんだろが!」
 そりゃそうだ。むきになる友人を尻目にラーメンを啜る。
 別れて二週間経ったけど、いったのコイツが初めてだもんな。だって誰もきかねえんだもん。あいつもあいつで何も言ってないみたいで、大学でも普通に話しかけてくるし。誰も気付かないっつーか、俺でさえ前と今でどう変わったのかよく解らない。
「何で? お前なんかしたの、最低!」
「……まだ何も言ってねえじゃん」
「だって美咲ちゃん可愛いし良い子だし明るいし人気者だもん! 絶対お前が悪い!」
 意味が解らない。美咲は確かに可愛いが、それで俺が何かする理由にはならないだろ。つうかお前は俺を悪者にしたいだけだろうが。しかも、またその台詞か。
「……美咲にも同じ事言われた」
「ああ? お前が悪いって?」
「うん」

『遊佐が悪い。私は、悪くない』

 それだけ言って、別れるの一点張りだった。俺がどんなに言っても問いかけても聞き入れず、ただ別れたいとだけ言った。
 変なところ頑固な女だったな。普段小うるさいほどに明るくて表情ころころ変えてたくせに、そのときに限って泣きもせず大して罵りもせずに、たった一言だ。たった一言で、終わらせた。
 佐久間はそれでも納得しないように、首を捻った。
「それにしたって解んねえよ。やっぱ何かしたんだろ」
「だから知らねって。んな別れる原因作るような事やった覚え無い」
「じゃあなんなの」
 それが解れば苦労しない。いきなり別れ話切り出されて半ば押し切るみたいに別れたんだ。まったく、何々聞いてないで慰めるくらいしろよ気の利かない。
 言った端から後悔してきた。こいつに話しても無駄に喚くだけだな。げんなりしながら食ったとんこつは、意外なほどにあっさりした味がする。というか、それどころか妙に味気ない。俺も佐久間も無言で麺を啜り、音の絶えないテレビをBGMに、ただただ麺を啜った。
 そして俺はそのバレンタインの前日、感慨も沸かない失恋の慰めとして、佐久間に餃子を驕らせた。


 風呂上り、俺はベッドの上に寝転がり、メールを打っては本文を消すを繰り返していた。メール如きでこんなに悩んだのは初めてだ。宛先は誰かって言うと、元彼女の美咲だ。
 あまりに唐突で、あまりに淡白な別れ。正直言って、俺だって昼間の佐久間ではないけどまだ納得していなかった。別れる原因が解らないし、いきなりすぎて現実味が湧いてこないせいもある。ショックではないが、納得しきれない微妙な感覚が気持ち悪い。
 かといって、アイツに何を聞くって言うんだろう。
 『やり直そう』とかか? 何か違うな。『俺は別れたとは思ってない』とか? そんな未練あったら最初から引き止めてろっつーの。
「……」
 進まない本文は、意味もなく急かすように点滅するだけ。何を書いたら良いか解らないし、あいつの気持ちも解らない。
 そして何よりも、今の俺がサッパリ解らない。何が、したいんだ。というか、何で俺仮にもあいつの元彼なのに、ショックじゃないんだろう。美咲は俺のこういうところを、悪いと言ったんだろうか。
「……知るかよ」
 もう、わかんね。ホント女って未知の生命体。
 何がどれくらい見えてんのかしらねーけど、それにしても教えてくれたって良いと思う。よくわかんねーとこで切れて拗ねて喧嘩吹っかけといてすぐ泣くし喚くしその割に案外あっさりしててこっちはまだこんな微妙に引き摺ってるっつーのに完全普通になってるし。
 ぶっちゃけ殆どの女が一人で恋愛ごっこやって男がそれに付き合わされてる気がする。付き合うまでなら解るが付き合った後にそれ以上何を考えるってんだよ。いちいちややこしい上に疲れるほどに振り回される。どういう精神構造してんのか、これだけはわかんねえ。
 ――思考の堂々巡りに飽きて、携帯をほうり出す。
 その時、タイミングよくチャイムが鳴った。
「――はい」
「あ、あの……こっこんばんは」
「……コン、バンハ」
 隣りの子だった。
 手には、料理が盛られラップのかけてある器。最近はよく、こうやって料理を持って来る。毎度毎度真っ赤な顔で、俺が出て来た事に飽きもせず慌てながら。

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