隣りの子ねこ

餌付け厳禁

 女の子というものは、多少面倒なところがある。女と女の子は違う。女は現実重視。女の子は夢重視。時には現実に爪を立てる女さえ面倒になる時もあるが、しかし女の子と比べると付き合い方を考えれば十分楽だろう。
 だから俺は、女の子に手は出さない。付き合うのはもっぱら、女になった子だけだった。勘違いしないで欲しいのは、そんな事を述べる俺は別に女好きってわけではないこと。それなりにいいと思い付き合う気になった女と、恋人同士というプロセスをちゃんと組んでいる。だからそんな目で見られると正直、心外なんだよ。
「ねえ、知ってる子なの?」
 腕に絡みつく手に、やや力が篭められる。微かに微笑みながら俺と彼女を交互に見てくる。
 知ってる子といえば知ってるがただのお隣さんに過ぎない。だからそんな「見ちゃったどうしよう」的な目で見られても、俺にはどうする事もできないんだけど。
 しかし見られたものは仕方がない。社交辞令程度、固まる彼女に会釈する。
「……ぁ、……っ」
 びくっと肩を揺らし、我に返ったように目を泳がせる彼女。その手の中には彼女には多すぎるほどの大量の食材。近所のスーパーにでも買出しに行ってきたのだろうか。それで両手で荷物を抱えているために部屋の鍵も出せず扉も開けれずどうしようと困っているところに、俺たちが連れ立って部屋から出てきたと。
 自分のことなのに客観的に推理してる俺は、なんなんだ一体。そんな風に思ったとき、彼女の動揺で手が緩みどさどさどさっと一緒くたに床に落ちる。彼女はまるで目の前に隕石が落ちてきたかのように目を丸くした。
「あ、大丈夫ー?」
 立ち尽くす俺たちの中で一番最初に動いたのは俺の女だった。大変大変とさして大変そうでもないのんびりした口調でしゃがみこみ、転がってきた野菜を拾い始める。
 そうなると不思議なもので、俺も彼女もそれにつられるようにしてせっせと拾い始めた。三人がかりで狭い廊下に散らばったものを拾うのだから時間はかからなかった。
「はい、どうぞ」
「あり、がとうございます……」
 にっこりと微笑んで手渡され、彼女は呆然としながらもそれを受け取った。自分が拾ったものは全部手渡した事を確認すると、時計を見て「げ」と一言呟く。
「ごめんあたしもうバイトだから帰るわ。またメールしてね」
「……ああ、送ってこうか?」
「時間無いからっバイバイ!」
 本当に時間がなかったのだろう。呆然と野菜を抱えたままの俺に振り返りもせずに後ろ手に手を振って走っていってしまった。残された俺と彼女。沈黙の中でカンカンカンと急ぎ足で階段を駆け下りる音がして、それもまたすぐに途切れ足音も遠ざかっていった。
 とりあえず俺も早いとこ渡してしまおう。今だ呆然とする彼女のほうに近付いて、拾ったものを差し出した。
「はい、これで全部……だよな?」
「…………えっ、あ、ハイ……」
 さして確認もせず、条件反射の如く頷く彼女。しかしまたも動揺したのか錯乱したのか、俺の差し出したものを受け取ろうと手をぱっと離し今まで拾ったものをまたそこにぶちまけてしまった。
「あっ」
 落ちる瞬間彼女が手を伸ばしたが殆ど無駄な行為。ぼとぼとぼとっと崩れるように落ちてしまう。
「…………ッ」
 内心おいおいと呆れたが、今にも泣きそうな彼女の表情に焦って俺はすぐさまそれを拾い出す。また彼女もその場にしゃがんで拾い始め、俺たちはさっきのときを繰り返すかのように黙々と拾い始めた。
 今度はちゃんと、一つ二つと袋に入れてゆく。彼女の顔は、俯いていて見えない。というか正直怖くて直視はできなかっただろうから、それはそれで助かったんだけど。
 そんな感じで黙々と拾い最後の一つ、手に余る大きさの青リンゴ。掴んだ瞬間、彼女の手が重なった。
「きゃっ……」
 きゃって。むしろ俺の台詞じゃないかね。いや俺が言っても不気味なんだろうけども。
 彼女はその触れた手を押さえ、またどうしようかと目を泳がせる。いまいち嫌われてるんだか好かれてんだかわからない。そう思ったが、別に追求しなくてもいいことじゃないか。
 多少気まずく感じながらも、気にしない振りをして青リンゴを彼女に差し出した。
「もう落とすなよ」
「……はい」
 やたらと小さい語尾が、意気消沈を表すかのようだ。彼女はおずおずと青リンゴに手を伸ばし、それを両手で包み込む。
「…………」
 沈黙。なんだこの無意味に重い空気。なんで俯いたまま青リンゴ握り締めてんだよ。
「……じゃあ、お……れ、」
 沈黙にいたたまれなくて「じゃあ俺いくから」と言いたかった。
 が、本当に嫌なタイミング。青リンゴにぽたりと落ちた雫を、愚かにも見逃す事ができなかった。
 な、ん、で、な、い、て、ん、だ、よ。
 勘弁してくれよ。俺なんかしたか?
「え、ちょっと……あの」
「すいませ……す、いません……わ、わた……し、」
 嗚咽堪えてるし。なんだこのかつてないほどの罪悪感は。俺も一緒に泣きたくなってきたんだけど。これがもらい泣きって言うの?
 ああ、落ち着け馬鹿。今ここで一人ボケてたって誰も笑いやしねえっつの。この子は洒落じゃなく泣いてたんだから。
 とりあえずどうしたら、いいんだ? 女の子慰めるなんかしたことない。
「あのさ、その、…………〜〜〜っ!」
 どうすりゃいいんだーっ。
 頭を抱えたくなって、ふと思いつく。一言も喋らない彼女の頭に、ぽんと手を置いた。
「泣くなって」
 お前が泣かしてんだろうがよ。
 一瞬そんなつっこみが湧いてきたが、しかし別に俺は泣かすような事はしていないはず。落ち着け落ち着けと自分に言い聞かして、彼女の握り締める青リンゴを取って袋の中に入れてやった。
「あの、さ。料理……できるんだ?」
 これだけの量を買うんだから相当だろうなと、他愛もない話を持ち出してみる。ひっく、と可愛いしゃっくりが聞こえて、彼女が涙で目を潤ませたまま少しだけ顔を上げた。
「…………できない、です」
 は? と思わず目を見張る。
 自分で暴露しておいて今更羞恥を感じているのか、真っ赤な顔で俯きながらぼそぼそと呟きだす。
「お料理……したことなくて…………」
 ああ、成程。俺は驚くというより、合点がいったと一人納得する。だってこのバラバラの食材といい、昨日隣から聞こえてきた何かが落ちたり割れる音と小さな悲鳴。余程何か起きたのかとひやひやさせられた。
 出来ないほうが、余程納得。納得したら、なんだか意味もなく可笑しくなった。
「…………で? どうすんの?」
 意味もない笑みを浮かべて聞くと、どうしようもない、と小さく呟く。途方に暮れたように項垂れる。
 そんな何も出来ない女の子。また泣かれても困るからな。
 袋から青リンゴを取り出して、こつっと彼女の頭に当てた。
「なあ」
 当てられた頭に手を当てて、不思議そうに、けどおどおどと。控えめに見上げてくる彼女。仕方ないさ、今日は特別。
 青リンゴを目前に持って、ぽんと真上に放った。
「このリンゴくれるなら、夕飯ご馳走するけど?」
 空に浮いたリンゴを見上げ、彼女はぱちりと瞬きをする。それが俺の手元に戻る時には、嬉しそうに、でも恥ずかしそうに、控えめに笑っていた。
 その日のデザートが青リンゴだった事は、言うまでもないこと。

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