短編

サボテンの育て方

「よぉ姉(あね)さん」
 赤いチューリップを両手に抱える青年に声をかけられて、文子は顔をしかめた。つかつかとその青年に近づくと青年はチューリップの束を脇のバケツの中へと突っ込む。青年は紺のエプロンをつけていて、その真ん中のポケットには白い滑らかな文字で『フラワーショップ・夕』と書かれていた。
「その姉さんって呼び方やめてって言ってるでしょ、泰明さん」
 文子が顔をしかめて青年―泰明を睨みつけると泰明はにやりと、意地悪く笑ったのだった。

 文子は小さな丘にある住宅街に住んでいて、いつも買い物は丘の下の商店街で済ませている。花が好きなので週に一度はその商店街の一角にある、このフラワーショップ・夕に寄るのだが、そこでバイトとして働いている泰明に文子はなぜかいつも姉さんと呼ばれていた。
 泰明は文子の夫の弟で、そのせいもあって文子は夕に寄ると必ず泰明と他愛無い世間話を交わしていた。泰明はどうにも夫とは毛色の違う人種のようで、風変わりな一面を持っていた。
 姉さんなどと呼ぶのだって、本人は気に入ってるのだろうが呼ばれるこっちは極道の妻のようで気が気でない。それを聞いた客がちらちらと文子を見るのもまれではないのだ。


 また今回も例に漏れず密かな注目を浴びてしまったので文子が居心地悪そうにしていると、泰明はくくっと忍び笑いをした。
「なに笑ってるのよ、あなたのお陰でまた誤解されちゃったじゃない」
「いやいや、幅が聞かせられて好都合じゃないですか、姉さん」
 全く、普段は話していて面白いし楽しいのだが、文子にとってコレばっかりは腹立たしい限りだった。けれども何度言っても呼び名を変えないので、半分諦めかけてはいたのだが。
 とりあえず花が目的で夕に来たのだから、泰明など放って花選びをしようと文子はすたすたと店の中へと入っていった。色とりどりの花や植木、苗などがあって文子が目を輝かせてどれにしようかと目を泳がせていると、泰明がまたもや近づいてきた。
 またからかわれるのかと怒りの表情を作って振り返ると、泰明の両手には小さなサボテンが、ちょこんとひとつ、乗っかっていた。
「姉さん、これどうですか?」
 奥様仕様の営業スマイルで泰明はにっこりと微笑んだ。
「ん〜サボテンねぇ……。実は育てるの大変なんじゃないの?」
「とんでもない。日の当たる場所において、時々水をやってあげればそれで十分ですよ。それにほら、見て」
 泰明はその手のひらサイズのサボテンの上部を指差した。よく見ると赤いつぼみが一つ、ぽちりとくっついている。
「あら、つぼみ。花咲くの?」
「姉さんが育てればね」
 なかなか口だけは達者のようだ。文子は苦笑いを浮かべたが、泰明の営業スマイルのせいかサボテンの魅力かはわからないが、急にそのサボテンが欲しくなった。
 その日は380円の小さなサボテンを手土産に、自宅へと帰宅した。


「なにこれ」
 テーブルの上にちょこんと置いてあるサボテンを見つめて、卓は呟いた。サボテンは早速水を与えられたせいか、ところどころ棘に露が張り付いていて、なかなか美しく見える。
 文子は夕飯の支度をしながらリビングにいる卓にご機嫌な声音で答えた。
「サボテンよー。つぼみがついててね、もうすぐ咲くの。可愛いでしょ?」
 しかし卓は一言ふーんとつまらなそうに呟くと、自室へと戻っていってしまった。文子は息子のそっけない態度に一人肩をすくめる。
 卓は中学2年になってから途端に大人ぶるようになって、家に居ても一人でいることが多くなった。それでも反抗期と見られる態度は取らないし、これといった問題も見つからないため、どこぞの事件を起こす家庭よりかはナンボかましなのだろうと文子は思っていた。
 文子の夫は単身赴任で家にいないため、その分自分が家の事をしっかり守っていこうと些細な事でも常に気を配っていた。その努力の甲斐もあって家の中のことは何一つ不自由ないし、息子は順調に育っている。自分だって趣味の花栽培等で充実した時間を取れているし、悪くはない生活だとと自負していた。
 新たにサボテンの花を咲かせるという目標もできて、文子はその日一日意気揚々とした気分だった。


 ある日の夕食時、黙々とご飯を食べるのもつまらないので文子はTVをつけた。そのチャンネルではちょうどニュース特番をやっていて、何かの緊急特集のようだった。
 なんとなしにそれを見ているとどうやら中学生の傷害事件の話らしく、文子は人事のように呟いた。
「いやぁね、こういうの。中学生が人を刺すなんて。しかも理由もないのよ、怖い」
 卓はちらりと文子を見て、箸の動きを止めた。文子はそれに気付かずTVを夢中になって見続けている。
「理由がないといけないのかよ」
 珍しく卓が文子の言葉に反応したので、文子は目を丸くした。その言葉の意図はわからなかったが普段の会話さえ少ないので、文子は少しだけ嬉しくなって笑って答えた。
「そうねぇ、だってなんだか不気味だもの。何か事情があれば同情の余地もあるでしょうけど」
 すると卓はまたいつものようにふーん、とだけ答えてまた黙々と箸を動かし続けてしまった。文子もまたTVに目を移して、いつものように静かな夕食は終わった。


 翌日夕飯の買い物を済ませた文子は、買い物袋を両手に抱えて夕へと足を運んだ。
 案の定泰明がいて、退屈そうにあくびをしているので、いつもの仕返しに驚かせてやろうと文子は泰明の後ろにそろりそろりと近づいていった。
「わっ!」
「っうわぁっ!?」
 ぼちゃ、と音がした。泰明は驚きのあまり前のめりになって水の入ったバケツに右足を突っ込んでしまったのだ。片足バケツに突っ込んだ泰明のその間抜けな様に文子は声を上げて笑った。
「あははは、大成功!」
 泰明は目を白黒させてぽかんとした表情だったが、すぐにやられたとばかりに髪をかきあげて苦笑いを浮かべる。
「姉さ〜ん、勘弁してよ」
「いつもの仕返しよ、コレくらい当然」
 泰明は顔をしかめてバケツから足を引っ張り出すと、靴を脱いで逆さまにひっくり返した。びちゃびちゃと水が零れ落ちるのでますますおかしくなって文子は笑い続ける。
「姉さん、からかいに来たんですか?」
 泰明は文子をじろりと睨んでいさめた。それでも文子はおどけたように微笑み返して気分がいいとばかりにぬれそぼる泰明の右足を眺めて言い返す。
「まぁ、買い物ついでにね。それに苦情も言わせて頂きに来たの」
「苦情?」
「あのサボテンいつまで経っても花が咲かないわ。ちゃんとお水あげてるのに」
 泰明は一瞬きょとんとした表情になって、それから意地悪な笑みを浮かべる。またいつもの泰明に戻ってしまったので文子が身構えると、泰明は靴を持ったまま店先においてあるサボテンの列に目を向けた。
「サボテンはね、水をあげるのは時々でいいんですよ。かまいすぎると逆に根が腐っちまう。姉さん、どうせ腐らせちゃったんでしょ」
 文子はぎくりとした。早く花が見たくて、ついつい毎日水をやってしまっていた気がする。しかしそれを認めるのはなんだか悔しい気がして、否定するとそそくさと夕から出て行ってしまった。

 家に着くなり文子はサボテンの根を確かめた。すると少しだけ、根から上に上るようにして茶色く腐りかけていた。
 文子は情けない気持ちでため息をついた。仮にもガーデニングを趣味としている自分なのに、たかがサボテンを育て損ねてしまったのだ。
 そのまま捨てるのも惜しい気がして、形を保っている間は置いておく事にした。


 その日の夜、卓が珍しくリビングに用もなく座っていた。
 文子がぱしゃぱしゃと飛び跳ねるほどに化粧水を塗りたくっていると、卓が立ち上がってこちらにやってきた。妙に真顔で神妙な面持ちをしているので、文子は怪訝な表情を浮かべる。
「なぁに? どうしたの?」
「……あのさ、お金欲しいんだけど」
「いくら?」
「……3万円」
 さすがの文子もぎょっとした。
 3万円など何に使うと言うのだろうか。月々の小遣いだって1万円以上あげているというのに、更に倍の金額を要求されて文子はためらってしまった。
 卓は何も答えない文子にいらいらとした目を向けた。それに気付いて文子は慌てて財布を取り出すと、2万円抜き取って卓に手渡す。
「はい、無駄遣いしちゃダメよ」
「……わかってるよ」
 卓は憮然とした表情のまま言い返して、また自室に戻っていった。
 思わずお金を渡してしまった文子だが、コレでいいのだろうかとすぐに後悔し始めた。子供にぽんぽん大金を渡してはいけないと誰かがTVで言っていたような気もするし、かといって今更返せとも言えないので仕方なくお金のことは諦めた。
 しかしやっぱり何に使うのかは気になる。その日から文子は卓の事ばかり考えるようになっていった。


 それから数日後、ぼんやりとしながら文子は夕の店の前で大小様々に並ぶサボテンを眺めていた。泰明は文子の様子がおかしいことに気がついて、文子の顔の前でふるふると手を振った。
「姉さーん、姉さん? 生きてますかー?」
「えっ? あ、ああ。生きてるわよしつれいねっ」
 文子は慌てて取り繕うように笑った。泰明は探るような目で文子を眺める。
「なんか様子が変っすね。なんかありました?」
「え? ないわよ……。その、ほら!やっぱりサボテン腐っちゃってたかなーと思って」
「あーららやっぱり。俺の言ったとおりだった。サボテンはね、子供みたいなものなんですから。扱いはきちんとしなきゃ」
 文子は泰明の言い草に少々むっとした。そんなサボテンの扱いが簡単だといって勧めたのは誰だと思ってるんだ、と。
 しかしまたふと思った。サボテンが、子供?
「なんでサボテンが子供なの?」
 文子が首をかしげると泰明は一つの小さなサボテンの鉢を文子の目の前まで持ち上げた。
「ほら、小さなとげがあって強くは触れないでしょ。でも棘がないとただの柔らかい果肉だ。こんな風に強くて弱いサボテンは、かまいすぎても腐っちゃうし、ほっといても枯れちゃうんすよ。おまけに日の当たる場所に置かないと変形しちゃうし。まるで思春期の子供みたいでしょ」
 文子は泰明の言葉にだんだんと胸の鼓動をはやらせていった。あの日の夜に見た卓の神妙な顔がちらついて、無性に不安になってしまった。
 泰明はサボテンを丁寧に棚に下ろすと、青白くなった文子の顔を覗きこんだ。
「どうしました?」
「う、ううん。なんでもない……。ちょっと用を思い出したから、これで帰るわね。じゃ、また……」
 泰明の心配げな顔をよそに、文子はおぼつかない足取りで店を出て行った。


 文子は家に帰るとすぐに卓の部屋のドアを開けた。卓はまだ学校にいる時間なので文子はノックもせずに、けれどそろそろと入っていった。
 部屋を見渡すがコレといって怪しいところはない。こんな勝手に自分の息子を詮索するような真似はしたくなかったが、そのときの文子はどうしようもなく不安が膨れ上がっていた。
 机の引き出しを開け、クローゼットを開け、ベッドの下を見る。それでも何も見つからなかった。文子はほっと安堵して、泰明に今度こそ文句を言ってやろうと思って部屋を出ようとした。
 しかしまたふと、その足を止める。そして振り返って卓のベッドに足を進めた。卓のベッドサイドには、小さな引き出しがあったのだ。ちょっとした小物を入れる引き出しだ。念には念を、文子はそう自分を思い込ませてやや汗の滲む手で引き出しを開けた。
 中にあったのは、青いハンカチと、それに包まれる黒いもの。恐る恐る手を伸ばしてその包みを開くとそこには、黒い皮製のカバーに包まれた、ずっしりと重いナイフが入っていた。文子の手は震えで小刻みに揺れて、ナイフを落としそうになってしまった。
 こんなばかなと、思った。よく見るとブランド品なのか、マークがついている。カバーから取り出すと曲線の美しいすらっとした鋭利に輝く刃先が、文子の目に写った。その綺麗にとかれた刃が文子を鮮明に映して、それが現実のものである事を嫌が応にも物語っていた。
 途端に文子はすばやい手つきでナイフを元のように包んで戻すと、卓の部屋を逃げるようにして飛び出す。文子の足はがくがくと震えて、いつかの夕食での会話を走馬灯のように思い出した。
『理由もないのよ、怖い』
『理由がないといけないのかよ』
『不気味だわ』
『お金欲しいんだけど』
『いくら?』
『……3万円ほど』
 早鐘のように鳴り響く胸を押さえて見上げた文子の目には、三分の一ほど腐ってしまったサボテンだけが映っていた。


 それから文子はまるで腫れ物に触るかのように卓に接するようになった。表には出さないようにしていたが、内心ではびくびくと怯え恐怖一色だった。
 相変わらず卓の態度は変わらないが、それでも日ごとに文子の恐怖は増していく。とうとう文子は耐え切れなくなって、泰明に相談しようと夕に訪れた。
 いつかのサボテンの話以来来なくなった文子が現れたので、泰明は笑顔で迎えたが、やはり様子がいつもと違う事に気づいた。文子はサボテンを怯えるような目で見つめている。泰明は文子の肩をぽんぽんと叩いて、安心させるように微笑みかけた。
「どーしたんですか、姉さん。最近様子がおかしいですよ?」
「ええ、いえ、あの……」
 言いよどむ文子の顔はもう土気色といっていいほどに悪く、傍目から見て生気に乏しい表情だった。文子は言おうか言うまいかと悩んでついに震える口を開いた。
「あのね、やすあ」
「そーだ!」
 泰明は急に閃いたといわんばかりにぽん、と手のひらを叩いく。せっかく意を決して口を開いたのに、文子の口は花がしぼむようにまた閉じてしまった。
 泰明は他のどのサボテンよりひと際小さなサボテンを手に持つと、嬉々として語り始めた。
「姉さん、サボテンね、腐っててもまだ捨てたもんじゃないかもしれませんよ!」
「え……?」
「この間聞いたんですけどね。腐っててもその部分をスパッと切って、残った大丈夫な部分を日陰で2週間くらい乾燥させて、土に植えるといいんですって! 運がよければ根がつくらしいですよ!」
 ねっ、と言って励ますように泰明が笑いかけると、文子は何かを考えるように目を彷徨わせた。そして手をぎゅっと握り締めたと思ったら、店を出て駆け出していってしまった。泰明はただぽかーんとした表情で、それを見送っていた。


 リビングのテーブルの上に、咲くことなく枯れたつぼみのついたサボテンが一つ、横たわっている。
 そして文子はしばらくそれを見つめると目をゆっくりと瞑った。
 片手で棘が刺さるのも気にせずサボテンを握ると、祈るような気持ちで卓のナイフを握り締め、ぷつりと、切込みを入れた。

The end.

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