短編

叶わぬ願いが叶うとき

 遠い遠い国のあるところに、一人の深窓の姫君がおりました。
 姫はたいへん美しく、純粋に、大切に育てられ、叶わぬ願いなどありませんでした。ペガサスに乗りたいといえば王様が国中にふれを出してペガサスを捕獲させ姫に与え、虹がほしいといえばお妃様があらゆる魔法使いに命を下してそれを取って姫に与えます。
 とにかく姫は本当に何不自由なく暮らし、何一つ曇りのない幸せな人生を歩んでいました。

 あるとき、姫は夜の散歩のときに突然、今すぐ月光華を見たいと申されました。月光華とは、月の光でできているという伝説の華です。お付のものは大慌てでそれを探しに行き、姫は美しく咲き誇るバラの庭園の中で一人月を見上げていました。
 すると何か黒いものが月を遮り、姫のほうへと向かってきます。姫はじっと目を凝らしました。黒い翼、冷酷な瞳、どこか不思議な雰囲気を持つ美貌。それは悪魔でした。
 姫は悪魔を見たのは初めてのことだったので、じっとそれに魅入りました。悪魔は姫の傍に降り立つと、薄っすらと笑みを浮かべて姫に話しかけてきました。
「お前は、叶わぬ願いを知らない姫か?」
 悪魔の質問に、姫は首を傾げました。
 叶わぬ願いとはなんなのでしょう。願いとは、叶って然るべきものなのです。姫は首を横に振りました。
「叶わぬ願いなどありません。全ては叶うからこそ願いなのです」
 悪魔は、姫をじっと見つめています。そしてまた、言いました。
「それをお前が求めるときが来れば、本当に叶うときもくるのだろう」
 姫には、悪魔の言っている意味がわかりませんでした。
 しかし悪魔はそれだけ言うと去っていき、またそれとは入れ違いに、お付のものが月光華をもって現れました。姫は月光華をうっとりと眺めながら、悪魔の言葉を思い出しそれを否定しました。
 だって、望んだ月光華は姫の手元にあります。望めばすぐに、手に入るのです。姫の願いはやはり、叶っているのです。


 そして姫が悪魔を忘れ去ったころ、また姫は新たな願いを思いつきました。不死鳥がほしいと、思ったのです。それを王様にお願いしてみると、王様はすぐに不死鳥を手に入れ姫に与えてくださいました。
 燃え続ける羽、透き通る緋色の瞳、どこまでも響く美しい鳴き声。姫が籠に捕らえた不死鳥を眺めていると、また悪魔がやってきました。今度はいつの間にか姫の部屋にいて、窓際に腰掛けています。
「お前の願いは永久のものか?」
 また、悪魔はあのときと同じように問いかけてきました。しかし姫はこれにもやはり首を傾げました。
 永久のものでない願いなどあるのでしょうか。願いは果たされてからそれまで、ずっと叶った願いとして不滅のものなのだと、思いました。
「私の願いは滅びません。叶えばそれは永久にそこにあるのです」
 悪魔は、姫をじっと見つめています。そしてまた、言いました。
「永久を哀れと知るときに、お前の願いが叶うのだろう」
 そう言って悪魔は、飛び立っていきました。姫は、じっとその後姿を見つめていました。
 捕らえた不死鳥は滅びません。そして毎日死に、また灰の中より蘇るのです。姫はそれを、とても喜んでいました。


 それから姫が何かを望み願うたびに、悪魔が姫のところへやってきました。悪魔は不可解な言葉を残しては消え、また現れ、姫はそれが楽しみになっていきました。悪魔を呼び出すためだけに、願いを考えるようになったほどです。
 そして悪魔も、そんな純粋な姫の思いを知ってか知らずか、願うと必ず現れてくれるのです。しかし、姫は直接悪魔に会いたいとは、誰にも言いませんでした。それを言っても悪魔は現れないと、何故だか解っていました。
 あるとき、悪魔が質問して来る前に、姫がかねがね思っていたことを聞いてみました。
「叶わぬ願いとはなんなのかしら? 教えて頂戴」
 しかし悪魔は、答えてはくれませんでした。姫の質問など無視して、飛び立っていってしまったのです。
 そしてそれ以後、姫がどんなに何かを願おうと、現れることはなかったのです。

 姫は、気になって気になって仕方がありませんでした。そうして王様や、お后様や、お付の者に言うのです。
「叶わぬ願いがほしいわ」
 しかしそれを聞いたものは全員、笑って答えました。
「姫に叶わぬ願いなどありません」
 そうです。姫には、叶わぬ願いを持つことができなかったのです。そうして姫は思いました。ああ、これが叶わぬ願いなのだと。
 ですがどうしてもそうではない、叶わぬ願いを手に入れたいと思いました。姫が初めて手に入れた叶わぬ願いは、極めて不毛なものだったからです。


 どうしてもそれがほしいと思ったある夜の事。
 姫が眠ろうと目を閉じる直前に、世にも美しい天使が現れました。天使は姫に向かってにっこりと微笑み、言いました。
「美しい姫よ。貴方に叶わぬ願いは似合わない。だから私が与えてあげよう」
 そう言うや否や姫の目の前に、横たわる男の姿が現れました。その背中にはかの時の悪魔と同じ、真っ黒な翼が生えています。姫はそれに駆け寄り、天使はその姿を確認するといいました。
「貴方の願いは叶いました。では、お幸せに」
 それだけ言うと天使はどこかへ消えてしまいました。しかし姫はそれよりも、動かない悪魔のほうに意識が向いていました。悪魔は、動きません。息をしていません。体は冷たく、その美しい容貌は蒼白です。
 悪魔は、死んでいました。姫は、悪魔の頬を撫でながら、呟きました。
「目を覚まして」
 ですが悪魔は、目を覚ましません。姫はまた呟きました。
「答えを教えて」
 悪魔は答えず、黙っています。姫は悪魔の身体を抱き起こして、その蒼白な顔を覗きこみます。
「お願い、私の願いを聞いて」
 しかし、悪魔は姫の願いを聞きませんでした。姫は悪魔の身体を抱きしめて、静かに泣きました。
 どんなに願っても、どんなに声をかけても、悪魔は目を覚ますこともなく、姫に話しかける事もありません。一生、姫と話す事ができなくなったのです。姫は一生、悪魔と話す事ができなくなったのです。

 姫の願いは天使の計らいによって叶いました。
 姫の願いは一生、叶う事はありません。姫は叶わぬ願いを手に入れることができました。

 それ以後姫は、二度と願いを唱える事はありませんでした。そうして一生、叶わぬ願いを抱えて生き続けたのです。
 傍らに燃える不死鳥は、じっと月光華を眺めていました。

The end.

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