ODD STORY

4.既視感を追って

 茂みに足を取られ前のめりになるように飛び出してきた、千と同じ目の色の少年。一瞬だった。でもそのたった一瞬だけど、あたし達をその目に映したとき、驚愕と困惑と、仄かに見えた畏怖が見えた気がした。
 目に見えるほどに右肩から流血が迸って、それを押さえる手をも赤黒く浸しながら、身を翻して逃げる。いいや、最初から逃げていた。何かから。

「――っ、ナサエル、行こう!」

 木々の合間を潜り抜けるように彼が去った跡には、木漏れ日に照らされて、茂みや草に血痕が滴っていた。少年が逃げたのはあっちの方だね、よぅし。足に緊急命令、地面を蹴り上げる。
 力いっぱいナサエルの手を引いて、今度はあたしが先行して走り出す。引く一瞬重く感じた繋がる手のひらは、あたしの意向を把握したと返事せんばかりにしっかりと握り返された刹那、すぐにあたしに合わせるように余裕を持った。

「追うのかっ?」

「あたぼう!」

 出遅れたのと茂みが多いせいで行方は見失ったけど、よく見ればずっと血の跡が続いてる。血痕がつくほど深い損傷を負っているんだ。
 何も持ってないあたし達があの子を追ってどうなるという話だけど、少なくとも、この出血量であのまま走らせているのは危ない。何かから逃げているとしても、とりあえず、あのままよりは止めた方がいい。

「てーこ、後ろに回れ」

「え?」

 ふいにナサエルが手を離して、あたしの肩に手をかけて後に誘導しつつ前に出て先行する。それから何故か少し怒ったような眼で、チラッと睨んできた。

「俺が先に行くからついて来い。女なんだから無鉄砲な走り方するな」

 お、女なんだからって。聞きなれない言葉にぎょっとして、言い返す言葉も見つからずに目を逸らしてしまった。確かに真っ直ぐ走ってるから茂みの葉っぱとか枝で引っ掻いたりしたけど、無鉄砲といわれるとは。
 でも急いでるんだしこの場合仕方ないんじゃないだろうか。と、思ったんだけど。ナサエルの誘導はうまかった。続く血痕を見逃さず道しるべに沿って走り、なおかつ脱線しない程度に通りやすいルートを見つけて走る。
 おまけに、通る瞬間に引っかかりそうな小枝とかをさり気無く折っていく。お陰でさっきまでびしびし当ってかすり傷ができた頬やら腕やら足やらに、手痛い傷がさらに増える事はなくなった。
 なんか、ナサエルって元お坊ちゃんの癖して意外とやるなあ。あたしが滅茶苦茶なだけか?

「っ見えた!」

「えっ」

「あっちだ、影!」

 見えるかボケ! と、返したくなるような奥深くを指差して、ナサエルが叫ぶ。じーっと見ても、森の奥は影に影が木々に木々が重なり連なり方向すらも認識しがたい。走りながら集中して目を凝らすなんて芸当、そんじょそこらの乙女に出来るわけがなかろうが。ナサエル目良すぎだろ。
 でも、本当にもうそろそろ追いつかないと、ヤバイ。さすがに体力が持たなくなってきた。

「てーこ」

「えぅ? ……ハァ、……ッ」

 うう、きつい。汗が出るどころの話じゃない。心臓ばくばくどころか、なんか息が短くなってきた。
 くそう、少年め、足速いぞ。もうちょっと年寄りを労わる心を持っていてくれるとありがたかったのに。あたしは持久走は得意だけどマラソンは苦手なんだよ。ペースのない走りなんか大嫌いだっ。
 いよいよ体中が出来たての炭酸みたいにしゅわしゅわしてきて、もうそろそろやばいとナサエルに訴えようと見上げると、何か言いたそうな目とかち合う。
 一瞬言おうかどうか躊躇したように見えたナサエルが意を決した表情でそれを言おうと口を開きかけたとき、あたしはそれを見た。

「いたっ! コラ待て少年っ」

「……あ、おいっ、てーこ!」

 ごめんナサエル、話は後で聞くね。もう体力の限界なんだ、ケリつけてやるっ。最後の力を振り絞って一気に走り、少年らしき影が過った茂みに一直線に走る。もう少し、もう少しだ。もう少しで、追いつく、追いつい

「……っえ?」

 やっと追いついた?
 と、思って茂みの向こうに飛び込んだ、のに。

「……あれ?」

「てーこっ、お前先に行くなと……って、」

 立ち尽くすあたしに追いついたナサエルが肩に手をかけてきて、結局一緒に止まる。言葉の代わりに、急停止した身体が全身で呼吸をするみたいに、一生懸命上下するするだけ。呼吸で手一杯なのもあったけど、出す言葉も見つからなかったんだ。
 だって、少年に追いついたと思って前にまわったのに。なのに前に居るの、少年じゃ、ないんだもん。

「誰、……」

 唖然とする。でもそれは、目の前にいる人も、同じだったようで。人間に見つかって硬直するウサギみたいなその人は、見た感じで言うと少年とは程遠い、大人の男の人だった。
 白に近い薄青色の髪の毛に、びっくりするくらいに真っ白な肌と、紫色の瞳。背格好は見上げるほどに高くて、肌の色と同じほどに白い布を纏っている。余程驚いたのか大口をあんぐり開けて、目を丸くしている。ていうか、この人……瞳孔、無い?
 硬直するその人を観察するほどの間があいたその時。突如その人は、腰を抜かして倒れた。

「……にっ」

 ……に? 引きつるように怯えた表情が、あたし達に向けられている。なんだなんだと首をかしげると同時に。その人は、叫んだ。

「人間っ」

 何を当たり前のことを。と、顔が歪んだ瞬間。

 な、に。

 例えるなら、この世の全ての音色に喧嘩を売るような、強烈な不快音波。耳を塞ぎたくなるなんてもんじゃない。この音を聞かずにいるためなら、耳を封印してしまっても良いと思えるくらい、最低最悪の音。
 それがあたし達を中心にして、いや正確にはその男を中心にして、辺り一体に駆け巡った。空気が一瞬震えたと思った刹那、神経が一瞬にして凍りついたような感覚の後、強い立ちくらみが襲う。神経ごと硬直した足はもちろんのこと体を支えられず崩れかけたけど、後ろから伸びた手に強く腰を抱かれなんとか持ち堪えて、倒れるまでには至らなかった。
 でも、咄嗟に抱きかかえても、さすがのナサエルも支えきる力はなかったようで、背後の木にぶつかるようにして堪える。ぐらぐらして身体中を駆け巡る嘔吐感。腹部に当るナサエルの腕も、耐えようとわずかな震えを伝えてくる。
 なんなの、今のは。揺らぐ視界の中では、何一つ正常に写さない。白い塊がぶるぶるとうごめく。

「に、人間っ……人間っ!」

 いや、ちょ、びびってるのはこっちの方だって。んだ、この、怪物男。
 ああ、くそう、気持ち悪すぎて眩暈が。

 ああ、待ってよ少年。
 少年。
 逃げなくて、いいから。怯えなくて良いから。
 ねえ、その傷。何から受けたの?
 答えて。
 答えて。
 今、とてもそれを知りたい。

 それでも歪んだ視界は全てを歪に。真実すらも、歪に写す。かすんだ視界の中、縋る気持ちで千のことを思い浮かべたけれど。何故かちっともこっちに、振り向いてくれなかった。

 千。

 ―――せん。




 事故とか、不測の事態とかが自分の身に起きた場合。自分の方に考えうる原因があった場合そこに気が向いて、色々と考えたりできる。でも原因がないと、不思議なもので、考えられなくなる。驚き、困惑し、それからどうしようもなくなる。目の前に置かれた沢山の情報の中から先にどれを選んで整理していったらいいかわからなくなるんだ。
 詰まるところ、パニック。なんで? って、思わざるを得ない。なんで? って思ったときから少しだけ、ほんの少しだけ。怖くなってる。

「なんで?」

 手は後ろに、ややきつめに結われた縄が、両手両足を繋いでいた。縛られた経験なんか今までなかったけど、縄って思った以上に硬くて痛い。結ばれてるだけで手の皮剥けそうなほど痛い。
 こんな硬いものをよく両手両足ともきっちり縛ってくれたなあと、感心せざるを得ない。

 何でこんなことになってるんだろう。状況がさっぱり掴めない。なんであたしは縛られて、こんな薄暗いところで地べたに座り込んで、外国人の集団に見下ろされてるんだろう。
 まるで鍾乳洞みたいだ。でもすっごく大きくて広いドーム状になってるみたいで、空気が泣くような音が奥から洩れてくる。地面の方は海の岩肌のように、ちょっとじめじめしてて冷たい。
 なんなんだろう。あたし、あの怪我した少年を追って、死ぬほど走って、それで変な男に会ったんだよね。あの耳を腐らせるような超音波男。それから気持ち悪くなって、立っていられなくなって。それから、そうだ、その先の記憶がない。気がついたらもう、この人たちに見下ろされてたんだ。
 男も女も居るし、老人とかもいる。子供もそれより少ないけど大人の足元からひょっこり覗いて、好奇心たっぷりの眼差しをこっちに向けてくる。
 いや、好奇心って言うより、なんか、怖いもの見たさみたいな視線。もしかしたらみんなあの超音波男と同じ人種かもしれない。髪や目の色や背格好がみんな似たり寄ったりだっていうのもあるんだけど、異質なものを見るようなその目、みんなして瞳孔がないの。あの時の男も確かそうだったよね。この人たち何なんだろう。
 もしかしなくともあたしの事縛ったの、この人達? こっち見てひそひそ喋るだけで何もしてこないし言ってこないし、かといっても明らかに注目してるしね。
 ナサエルもあたし同様のことを思ってるのか、状況に困惑するように口を閉ざしてるし。こうなったらとりあえず、刺激しない程度に、話しかけてみるしかないのかな。

「あの〜……」

 話しかけた瞬間、どよっとざわめいて、みんな数歩下がる。
 なにさ。何でみんな揃ってそんなにあからさまに怯えてるというか、動揺した顔するの。むしろこっちが怯えてるんですけど。なんで、いきなり縛られなくちゃならないわけ? 身動き取れないしさ、あたし達が何したって言うんだよ。いくらなんでもこれは理不尽すぎる。
 ちょっと困って目を泳がせると一人の女の子と目が合った。お化けと目が合ったかのように、カチンと固まる。取って食いやしないよ、というか食えませんこの状態じゃ。もう、誰でもいいから何か答えてよっ。

「ね、ねえ……あの、あのさ、」

 ちょっとでいいから、聞いて? ね?
 
「……ゥッ」

 う?
 ちっちゃく驚くみたいな可愛らしい声。

「いや……っいやあぁ、やああああああっ」

 刹那、大音量が鍾乳洞の天然ドームに木霊する。
 なん、なん、何でそこで泣くのっ。あたしそんな怖い顔してなかったよ? 笑顔でさ!

「信じられない、おぞましい……」

 女の人が、泣いた女の子を抱えて後ろに下がる。横にいた爺さんが気の毒そうにそっちに目を向けて、苦々しく呟いた。

「誰か早く処分しとくれよ。気味悪くてかなわん」

 しょ、処分て。

「ちょ、ちょっと待ってよ訳がわかんな」

「黙れ人間!」

「いっ……!」

「てーこ!」

 がつんと、額に硬いものがぶつけられる。一瞬何が起こったのかわからなくて、呆然とした。額がじわっと熱くなったと思ったら、頬を伝い、膝に滴る。血が。
 ゆっくり顔を上げると、びくびくしながらも果敢にこっちを睨み付ける少年と目が合った。それがあの時見た少年の、怯える眼差しと似ていて。言葉を失う。少年は傍に立っていた男にしがみ付いて、こっちを指差した。

「ねえ、なんで殺さないの?」

 小さな、男の子が、必死になって訴えかけた。

「早く殺そうよ! こいつら僕らのこと狩りにきたんでしょ? 殺そうよ人間なんか!」

 何が、起きているかわからない。子供が必死になって訴えかける。仄暗く湿り気を帯び始めた、大人の殺意。
 何が起きているのか。
 暗い視界では、まだ掴みきれない。

  

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