ODD STORY

8.よろしく

 あがいてあがいて、遠い目標まであがき続けるのは難しい。だけどそんな苦しいときに一緒にあがいてくれる人がいるといないとじゃ、がんばれる度合いが天と地ほどの差がある。
 一緒にあがいてどうすんだよお前って感じだけど、一人であがくのが苦しいからって楽なほうに逃げるよりかはずっとましだと思う。隣に誰かいてくれれば、それだけで一人でがんばる事への恐怖が薄れるんだ。
 だからあたしは思ったんだよ。あの一瞬だけ、あの一瞬だけ千があたしの隣にいてくれてあたしが安心できたように、あたしもそうするくらいはできるんじゃないかって。がんばる王子様の隣に立って一緒にもがけば、少なくとも王子様はまだがんばれるんじゃないかって。
 ねぇ王子様。そうやってあたしは沢山沢山王子様をけしかけたんだけど、だめだったかな? 王子様にとっては迷惑だったかな? 重荷だったかな。あたしと一緒にがんばってほしいなって思うのは、間違いだったのかな。





「………おい、おい起きろ。起きろって。……チッ。鼻の穴にビー玉突っ込むぞ」

 頭の隅に降りかかる不機嫌な声。その一言で、あたしは意識を取り戻す。
お風呂で意識が薄れてからそこら、記憶がないけれどいつのまにか運ばれていたらしい。
 咄嗟に鼻を両手で押さえながらきょろきょろと辺りを見回すとあたしの眠っていたベッドの両端で二人がこっちを見ていて、右は千が、左は王子様が座っていた。
 淡い青の天幕のかかったベッドはとても寝心地がよくて、思わず頬が緩む。そうしてよく見ると千は腕と足を組んで偉そうにふんぞり返ってあたしを見下ろし、王子様はというと心配そうにあたしの様子を伺っている。
 けっ、雲泥の差ですなぁおい。らしいといえばらしい奴らの態度にふう、と一息つくとあたしは起き上がった。

「ビー玉なんぞ突っ込んだら取れなくなっちゃうじゃんか。幼稚園のとき既に実験済みだっつーの」

「ああなるほど、道理で鼻の穴がでかいと思った」

「うっせーよボケ、寝起きのか弱い乙女にむかつく事ほざくな」

 ぎろりと睨むと、はんっ、とばかりに鼻で笑われた。どこがか弱い?とか聞きたそうな癇に障る表情で。そうしてすんなりと殺意を催されたあたしが奴をこの世から滅しようと手を伸ばしかけたとき、座っていた王子様があたしの肩に手をかけた。

「倒れたのは父上に殴られた箇所のせいじゃないのか? 大人しく寝ていろ」

 王子様に押されてぼすりと、でっかい枕の束に逆戻りする。ううむ、別にそれは千が治してくれたから大丈夫なはずなんだけど、なんか王子様の目が罪悪感でいっぱいな色であたしを見ていたから大人しく従うことにした。
 千は面白くなさそうに王子を見ている。なんでこいつこの王子には風当たりきついんだろうか。あたしは寝ながらも王子様を見上げて、ぱたぱたと片手を振った。

「これはお風呂でのぼせただけだよ、王子様のせいでもあのクソオヤジのせいでもないよ」

 他人の親父をクソオヤジというのはちょっと気が引けたけれど、やっぱクソオヤジはクソオヤジなので遠慮なく言わせて貰う。しかし、なんか疲れたなぁ。今まで寝ていたせいか疲れが出たのか、体がだるかった。ふう、とため息をつくと、王子様の手があたしの手のひらにそっと重なった。

「……なに?」

「ああ…いや、この手に殴られたんだなぁと思ってな」

 びくりと、重ねられていた手のひらが思わず強張る。そいえばあたし、この人に言いたい事言いまくってしかも風呂ん中に突き飛ばしたりぶん殴ったりしたんだったよ。背中をいや〜な汗が伝ってくる。
 やっぱやりすぎたかな、と思って王子様をこっそり盗み見ると、怒っているどころか王子様は笑っていた。なんだろう、随分穏やかに笑っちゃって。

「ご、ごめんね? つい、ね。かっとなってぼこっと手が勝手に」

 へらへらと笑って誤魔化すと、誤魔化しきれてねーよみたいな千の冷たい視線があたしに突き刺さる。ちきしょ、フォローしてくれたっていいじゃんかよぉ。あんまりにも気まずくて手を引こうとすると、逆にもっと強く握られて両手で包み込まれた。

「お前の手はいいな。俺を引っ張りあげたり、救ったり、奮い立たせたり。…強い手だ」

「…握力強くて悪うござんしたねぇ。今後はきをつけまさぁ」

「ばか、違う」

 誰が馬鹿だ、誰が。言葉とは裏腹に王子様は楽しそうにくすくすと笑いを洩らし、あたしの手を握る。強いというなら王子様の手のひらのほうが大きいし、骨ばってるし、握力だって…多分王子様のほうが強いはず。
 何が違うのかと千に答えを求めるとこっちはこっちで目を細めて不機嫌そうにあさっての方向を向いているし、なんなんだろうか、全く。よくわからないので意図を探ろうと、今までになく穏やかにあたしに笑顔を向ける王子様の顔をちょっとだけちらりと見てみると、本当に嬉しそうにあたしに微笑みかけてきた。
 うわ、なんだよ急に。なんか小っ恥ずかしくなってぱっと目を背ける。するとふわりとあたしの左手が持ち上げられた。ん? と思う暇もなくほんのり暖かくて柔らかいものが触れて、見ると王子様があたしの手の甲に、口付けていた。

「なっななななっわぁあっ! なにやってっ!」

 手を引こうとしたけど、またぐっと握られて引けなくて。いきなりの展開に頭がついていかず、口付けられたそこからは熱が発生してくる気がする。
 どうしようどうしようと思ったとき、顔を上げた王子様が肩の力が抜けたような柔らかい笑みを、あたしに向けてきた。

「俺はこの手に救われた。……ありがとう」

 うんん、そうか、なんだ吃驚した。なるほど王子様流のお礼ってやつね、このフェミニストが。少し跳ねかけていた心臓を押さえようと胸に手を当てつつ、あたしはまたつと、首をかしげる。
 なんだろう、救われたって。どういう意味なんだろうか。問いかけのつもりで目を向けると、王子様はもう笑ってはいなくて、真剣な表情でこっちを見ていた。

「俺は、あの時お前の言葉に、がつんと殴られたような気がした」

「……え、あたしそんな酷いこと言った?」

 なんつーかのぼせて倒れたショックが、自分が言ったことすらあんまり覚えていなかった。ただ言いたいだけ言ってスッキリした気はするんだけど。ついでに殴り飛ばして。
 でもあたしの心配をよそに、王子様はふるふると首をふって否定した。

「酷いことではない。あれが何よりも、俺にとって必要なものだったんだ」

「……何が、必要だったの?」

 あたしは彼に、何をあげられたのだろうか。少しの期待と不安交じりに彼を見つめると、ふっと目が合う。真摯な眼差しにゆるぎない決意が、そこに見えた気がした。

「俺に転機を与えてくれる、言葉だ」

 転機。あたしが言った言葉が、転機を与えた?胸のうちに妙なざわめきが起こる。なんだろうか、よくわからない。だってそんな事を言った覚えはないのに、王子様は嬉しそうで、あまつさえ殴ったあたしなんかにお礼を言って。よくわからないよ、何が言いたいのか。
 だけどわかんないくせにあたし妙に照れくさいような嬉しいような気分で、どうしようもなく全身がむずがゆくなる気がしてくる。そんなあたしの微妙な心境を悟ったのだろうか、王子様はさらに言葉を重ねる。

「俺の隣に、立ってくれるのだろう?」

 たった一言、だけどそれだけは王子様の言葉の意味がわかって。そしたらすっごく嬉しくなって、あたしはにっこりと笑って答えた。

「もちろんだよ。あたしは王子様の、味方だかんね」

 ぎゅうっと、手を握って、握り返されて。ああそうか、これだったんだなって、思った。必要なもの、いて欲しいもの。味方が欲しいと、あたしは思っていた。そうして王子様も。
 一緒にがんばってくれる味方。あたしは王子様に自分を重ねてて、どうにかがんばってもらいたいと思っていたけれどその裏にはもう一つあったんだ。あんなに必死になっちゃったのは一緒にがんばりたかったからで、そう、一緒に。
 今まで生きてきた中であたしに味方なんていたんだろうか。いたかもしれないけどそれは表面上で、味方っていうより同じ敵を持った共同体って言うか妥協した共存って言うか、心のどっかで信じられなかった気がする。
 いつでも裏切られるような関係で、逆にいつでも裏切れるような関係で。それは意識していなかったし友情だのなんだのって思い込んでいたけれど、何かが激変すれば一緒に変わってしまう曖昧なものだった。
 そんな曖昧さのせいで毎日微量の不安と安心感に包まれて、のうのうと過ごしていた気がする。あたしは本当にずるい生き方をしていたのかもしれない。
 でもそうじゃなくて、今王子様にとってのあたしは味方なんだ。どんなことがあっても揺るがないでずっと隣にいる存在、なんだ。それは難しくて重いけれど、でもなんか、持ってみるとこれ以上はないって思えてきた。
 あんなもやもやした不安なんてなくて、絶対的な信頼があって。これってすごく貴重な関係なのかもしれない。なんかこういうのってほんと青春くさいけど、いいかもしんない。それに気付いて嬉しくて嬉しくてにへらと笑っていると、王子様が再度ぎゅっと手を掴んできた。

「なに? どした?」

「それだったらてーこに、まだ教えてないことがあったよ」

 まだ? なんだろう、教えてないことって。くいっと首をかしげると、王子様はにこりと微笑んでそれを紡いだ。

「俺の名はナサエル。ナサエル・サマリェンだ」

「ナサエル…」

 名前、そういえば初めて聞いた気がする。
 じんわりと、あたしの中に染み込む。名前を呼ぶことがとても大切なことだと、胸に染みる。相手を認めて、名前を呼ぶ。上も下もなくて、そこにあるのは対等の下の信頼。
 そうだね、今こそ呼ぶよ王子様。初めて会ったときはあたしを上から見るような目だった王子様。だけど今は違うもんね。あたしをあたしとして、てーことして信じてくれる人。

「よろしく、ナサエル」

 紡いだ言葉、きらきらと綺麗に瞬いて。そうして目の前の男の子は、とっても嬉しそうに微笑んだ。

  

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