ODD STORY

7.花に酔えど

 戸惑いも迷いも感じられないその目は意思が硬そうに見えた。王様に何か言われたんだろうか、そんなことは知らないけども。
 もやもやしたお風呂の中で、王子様の姿が霞んで見える。余程湯煙がすごいんだね、霧のようだ。このままこれが濃くなったら王子様を見失うんだろうか。そのまま、終わりになってしまうんだろうか。
 そんな風に思って急にむかむかしてきたあたしは、それを切り裂くようにすばやく歩くと懇親の力を込めて王子様を、突き飛ばしてやった。王子様の体は後ろに勢いよく倒れこみ、ばっしゃーんと水しぶきを上げて湯船に逆戻りだ。ふん、かっこ悪い、かっこ悪いぜ王子さんよぉ!

「ゲホッゲホッ!! なっ、何をっ!」

 湯船でばしゃばしゃとあがく王子様を見下ろして、あたしは仁王立ちでそれを睨みつけてやった。そして深呼吸をして、一気にそれを吐き出す。

「テメーーーーの事情なんざしるかボケがああああ!!!!」

 思いっきり叫んだので、すごい大音量で湯殿に響く。結構気持ち良いなこれ。そのままテンションにまかせてずぶぬれの王子様に向かってびしりと指を突きつけると、勢いに任せて叫んでやった。

「なーにがもういいだよ! 帰れだよ! こちとらバイト代かかっとるんじゃボケェエ! はいそうですかと帰れるかっ! 明日食う飯に困るのはあたしなんだよっ!」

 金の風呂に入れるような王子様と違ってこっちは切実なんじゃゴラ。手ぶらじゃ帰れんのじゃボケェ。すると金が絡んできて鼻息の荒くなったあたしの後ろで、千がぼそりと呟いた。

「お前ホントいっぱいいっぱいだな」

「ほっとけ! あんたこれ終わったらあたしのバイト代についてのミーティングな! 逃げたらしょーちしねーぞ」

 ぜってー大金せしめてやる。相応の報酬以上に請求してやる。あたしだって札束の海に溺れたい。人の頬を札束で叩いてみたい。
 そう思ったら余計に金持ちの王子様が憎らしくなってきて、呆然とする王子様にライオンの口から放流される新鮮なお湯をぶっ掛けながら更にあたしは叫び続けた。

「このっくのっ! 金持ちのお坊ちゃん王子様は諦めるのが早いなぁオイ!?」

「ぶっ! やめっ、ちょっ!」

「おらおらおらぁ! 馬鹿げた夢だぁ!? テメーの根性のなさのほうがよっぽど馬鹿げてるわぁ!」

「うわっ! やめろって!」

「どうだっ! こんにゃろっ! 望まないってなんだよ! ホントは未練たらたらの癖にッ!」

「だぁあっ!! やめ、ろって、のっ!!!」

「ぶわっ! ガバゴボボボッ!」

 すき放題に文句を言いつつひたすらお湯をかけ続けたあたしの手は、とうとう王子様に掴まれてそのままお湯の中にどぼんと落ちてしまった。それでもあたしは起き上がって王子様にお湯をかけ続けた。

「テメーそれでも男かッ! あれついてんだろうがっ!」

「ふっ、普通女がそんなはしたないこと言うかっ!?」

「なっにぃいい!? 男女差別! 男尊女卑! 男女共同参画社会!!」

「最後のやつ推進されてんだろうが!!」

 王子様も言い返しながらお湯をかけ返してくる。そうしてそのまま言い合いと不毛なお湯かけあい合戦が続き、両者とも息が切れてきたところで、王子様ががくりと膝をついた。肩で息をしながらあたしを睨みつけ、悔しそうに呟く。

「お前と俺では立場が違う」

「そこはかとなく自慢かコラ」

「違う!」

 王子様の拳が、水面を強く叩く。ばしゃりとわっかができるように水柱が上がり、またすぐにぱしゃんと元に戻った。波紋が広がり、あたしにも伝わってくる。
 文字通り水を打って静かになったその場には、とめどなく流れるお湯の音ばかり。そんな中で、王子様が揺らぐ思いをひたかくしにするように、目を細め唇をかんだ。

「国家は下底にあり、個の一人歩きは禁物。背負え背負えど次代に渡り、己が足を酷使せよ。全うせしこそ、是政に真の国家重鎮なり」

 すらすらとわけのわからない口上を並べ立てる王子の横顔は品があり、凛とした雰囲気を纏っていた。だけど何が言いたいかがわからない。そんな気持ちが現れて眉をひそめると、王子様はふっと嘲るように笑った。むかっときて文句を言ってやろうとすると、また王子様が笑って言った。

「国を思い国のためだけに生き死ぬことこそ、国家の定めであるという教えだ」

 その顔に浮かべる嘲りの笑みは、何に対してのものなんだろう。あたしか、それを言った人か、はたまた自分自身か。なんにせよ、生理的にむかつく笑みである事は確かなわけだ。かっこよくてもね、むかつくときはむかつくわ。殴り飛ばしたいくらいに。
 だけど自分を抑えて、あたしは王子様を探ろうと粘った。

「あんたは何が言いたいんですか」

 ………ねばったっつーよりこりゃ最後の猶予だな。返答次第によっちゃ容赦しない。威圧的に王子を見下ろすと、それすらも取るに足らないことのように王子様は体を湯の中に埋めた。とぷりと、揺蕩う王子様の身体。

「だから、もういいと言っているだろう。俺がしようとしてる事は反国行為なんだと。国を捨て己が利を求めた浅ましく愚かな選択だと、父上だけでなく城の者にこぞって言われた」

「それさー、実は前からでしょ。前から、誰も王子様のこと応援する人居なかったんでしょ」

 あたしの言葉に、王子様の肩がピクリと揺れる。だけどそれでも、自嘲的な笑みは崩れなかった。

「……ああ、よくわかったな。そういうわけで、俺が夢を追っても誰も喜びはしないし、むしろ不快に思うわけだ。迷惑なだけなんだ。……だったら俺が夢を追うことに、何の意味があるんだろうか。俺に、何の価値があるのだろうか」

 自分の思いを遮断するように、王子様は目を閉じた。世界を遮断したならば、もう王子様の思いは誰にも届かないだろうし誰も王子様を傷つけることもできないだろう。
 だけど王子様、あんたが浸かるその甘えから、波紋ができてあたしに伝わるんだよ。しきりにあたしに、訴えかけるんだよ。どんなにあんたが諦めようとも。
 内から出る甘えから引っ張り出すように、あたしは王子様の手を引っつかんで立たせた。そんでもって思いっきり振りかぶって、殴ってやった。どばしゃんと、王子様の身体が湯の中に叩きつけられる。

「いい加減にしろっつーの!!! 手間かけさせんなこのチンカス! 能無し! 弱虫毛虫の慇懃田虫!」

 びっくりしたように見返してくる王子。少しだけ、頬が赤くなってしまった。だけどあたしも、立ち上る湯気のお陰か、それ以上にのぼせ上がっていたんだ。

「応援する人が居ない、反対される、じゃあもう止める。ああお前はそれで楽だろうよ! やってしまえば失念で済むだろうよ! だけどあたしは!?あたしのこと忘れて何ほざいてんの!? あたしがこれだけ応援してやってるっていうのに、あんたよくその口でふざけた事抜かせるね!」

 すげぇむかつく。
 人がこんだけ心を砕いて必死こいてあんたを引っ張り出そうとしてるのに、あんたを否定する奴らになびいて簡単に諦めるのか。
 国だの国家だの定めだの、しらねぇよ。そんなもんはトイレットペーパーとともに便器のそこに洗い流してくれるわ。

「夢なんざ諦めんのは簡単なんだよ! てめえに負けりゃ一気に陥落だからな! でもそうじゃないでしょ? 自分に勝って、周りからの重圧にも負けない奴が夢叶えられんだよ?」

「だからって俺の好き勝手でやっていいことじゃないだろう! 俺には責任があるんだ!」

 食って掛かるように、言い返してきた。ああ、そう。そうじゃなきゃ。それがなければ、負けてしまうことに気付いて。

「あのさ、一石一兆でうまくいくわけないじゃん。紆余曲折があってようやく、夢ってつかめるもんじゃん。責任を捨てる勇気もない? 王子様は」

「それを背負った事もないお前に言われたくない!」

 ぷいと、顔を背ける。
 ああ、またこの男はどこまでもあたしをいらいらさせるのがお好きらしい。いちいち外界を遮断して我を通そうとする王子様のあまりに稚拙なやり方にとうとうあたしの堪忍袋の緒も、切れてしまった。
 王子様の顔を両手で挟んでごきりと無理矢理こっちに向かせると、超至近距離であたしは叫んだ。

「男なら! 未来に臆せずさっさと戦えっつってんだよ!! 負けることがそんなに怖いか!? いいじゃん負けたって! 何度でも負けて負けて、そんで最後には勝つってのが、真の男なんじゃねぇの!? いいかげん王子様から男に、なれっ! 一皮むけろやお坊ちゃん!!」

 無呼吸で言い切って、さすがに疲れた。王子様もびっくりした目でこっちを見てて、それで、なんか、視界が揺れた。頭がぼうっとして、血が上ったかな。興奮しすぎたかな。全身がぐらぐらってなってああもうだめだって、倒れそうになったとき、誰かに抱きとめられた。ふわりと花の香りがして、興奮したあたしを落ち着かせる。

「他人様に必死になりすぎなんだよ、お前は」

 呆れたような声が、あたしの頭の中に響く。ああでもだめ、ぼうっとして、目も開けられない。そのまますうっと意識が遠のいて、あたしは自分を手放した。
 でも抱きとめる腕が確かな感触であたしを支えていて、安心して眼を閉じることができた。花の匂いが、あたしを抱き締めてくれる。褒められたみたいで、少し嬉しかったのは、内緒だ。

  

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