ODD STORY

6.出血サービス

 千に頭を抱えられたまま、不思議と暖かいその体温を感じる。ゆっくりと深呼吸したとき、ふわりと微かに花の香りがした。香水だろうか? でも一般の香水のようにきつくないし、気付くか気付かない程度の薄い香りだ。誰かの、残り香? 薄幸の少女てーこ様がこんなめにあっているというのに自分はどこぞの叶美香といちゃこらさっさですか?
 それであんまりむかっ腹がきたもんで、文句を言おうと口を開いたときだった。千が手を離してぐりぐりとあたしの頭を乱暴にかき回しながらとんでもない事を言った。

「ま、どーせ契約が切れなきゃお前は一生俺のもんだけどな」

「………………おいコラまてこの変態」

 はぁあああ? どーゆこった!? 何、なんであたしがあんたみたいな変態悪魔のもんになったの。知らないぞそんな話は!
 聞き捨てならない話に千の首を締め上げると、千はにやにやしながら余裕の表情であたしを見下ろしてきた。

「しらねーのか?悪魔との契約は命がけだ。説明書にも書いてあんだろーが」

「なんのだよ。しらねーよそんなバトルロワイアルみたいな決まり。えー、今日は、君達には命がけで願いを叶えてもらいますってか。ざけんじゃねえぇええ!! 夢溢れてんのか枯渇してんのかどっち!?」

「むしろロマンが」

「うっせぇえ!頼む、頼むからもう黙ってくれ!」

 うあー…そんなこと知らなかった。とんだ契約なんぞしてしまいましたよあたしは。あの喪失感はそういうわけだったの……?
 そうしてげんなりするあたしをにやにやとあのいつものむかつく笑みで見下ろして、千はあたしの額をぱちんとはじいた。それがまた痛いの痛くないのめっちゃ痛いのって。

「何すんだよッ! 頭蓋骨へこんだらどうするっ!」

「大丈夫だって空気入れれば膨らむから」

「あたしは風船か!? アドバルーンか!? 針刺したら破裂まっしぐらの消耗品じゃねーかよ!」

「まーそんなことはどうでもいいからよ」

「よくねーよあたしの人間としての尊厳がかかってんだぞ!」

「てーこ」

 ふいに名を呼ばれて、あたしは思わず口をつぐんだ。目を細めてあたしを映すそのエメラルドは、怪しいくらいに不気味に輝き、それでいて目を奪われるほどに美しい。端正な顔立ち、冷酷とも取れるその容貌、初めて見たときはそれはそれは恐ろしいものだった。こいつは人間じゃない、違う次元に生きる奴だって、一目でわかった。
 だけど、不思議なことに今。同じ顔をしているはずの奴の顔は、何か親しみが少しだけあるような気にさせる。なぜだろう、別に好意なんて感じないのに、むしろこめかみが引きつるぐらいなのに。それでも今、見ていてもちっとも怖くない。むしろ、不安定に揺れていた心が、地に着いた感じ。
 どうして? なんで?……………さっきの、こいつの一言で、千に対するあたしの中の何かが変わったとでもいうんだろうか。あたしは、もしかしてこいつに、頼って…いる?いやいやいやいや、そんなばかな。
 変な考えを払拭するように千から目をそらすと、千はあたしの頭をぐわしと掴んで無理やり前に向かせ冷笑を浮かべてその形のいい口を開いた。

「俺から、離れたいか?」

「………当たり前じゃん」

 あたしも笑って、答えた。できるだけ不敵な笑みを作って。離れたいかどうかわからない、何でそんな事を聞くのかわからない、だけど。そんな挑戦的な目を向けられたら、YESはNOと、NOならYESと答えたくなる。
 そうしてあたしの答えに千はふっと一笑して、じっとあたしの目を見据えた。

「だったら、仕事をこなせ。こんなところでうだうだすんな。前を見ろ、下を向くな、お前はお前にできることだけを探せ。………下らん私情なんぞ、持つだけ無駄だ」

 きつい言葉だ。だけど不思議と腹が立たない。むしろ、ぼんやりした頭が冴えてゆく。
 そうだね、千。こんな暗いところはあたしには似合わない。じめじめうじうじも似合わない。座っていれば、そりゃ地面は近いさ。そうして立ち上がるのは億劫さ。だけど前を向けば眩しい太陽はあるし、月の光が道を照らす。思い切って頭を上げれば、思ったよりも怖くない。立ち上がるだけの力が、ないわけじゃない。出し惜しみはもうよそう。今が使いどきなんだから。

「やるよ。こなしてやるよ。………クソ親父に、負けてたまるか」

 立ち上がるための呪文を呟き、深呼吸して前を向く。怖くない、怖くない。
 別に誘導してくれるわけでもないし、手を繋いで引っ張ってくれるわけでもないけれど。それでもまるで道しるべのように、あたしの前に千が立っていてくれるから。





 ちゃぽんと、耳に心地いい水の音。あたりは湯気で霞がかって、あまりよく見通すことはできない。全体像は見えるけどね。
 白い世界に掘り込まれた豪華な彫刻、ライオンの口からはじょぼじょぼと勢いよくお湯が噴出し、大きな波紋を次々と作り出している。床は白い大理石で敷き詰められ薄いクリーム色の大理石と相成って市松模様のように広がり、作りたてのようにぴっかぴかだ。一年生かコラ。友達百人作って富士山で極寒ピクニックかコラ。
 あまりの豪華さに意味のわからないつっこみが次から次へと湧いてくる。すると千がぼそりと耳打ちしてきた。

「………お前、覗きは犯罪だぞ」

「違うわ!! あんたが連れてきたんだろうがボケエエ!!」

 なんかすんごい疑惑の目!だって王子んところ連れてけっていったらここだったんだもんっ! ……ん? ってことは、王子ここにいるの? だってここ、見るからにお風呂だよ。普通に考えているわけねーじゃん。
 半信半疑であたりを見回してみる。と、ととととと。居た。湯船の中に居るみたいで、目を丸くしてこっちを見ていた。

「わっうわぁああっはだっはだっ裸っ! 裸体! ジャ○ーズの写真集みたい!」

「落ち着け、ってか表現が妙に具体的で生々しいぞ」

 千がやけに冷え冷えとした目で見下してくる。
 いや、だって湯船の中に居るからここからは上半身しか見えないけど、は、は、裸だぞっ! いや、え? あたし、変態!?もろ覗き魔じゃん痴女じゃん!
 それに気付いてあたしはこっちを凝視する王子様に慌てて手をぶんぶんと振って否定した。

「いや、ちょ、違う、誤解! この悪魔が連れてきただけであたしが見たいって言ったわけじゃ」

「なるほど、魔が差したと」

「巧いこと言ったつもりか! 黙ってろテメーはッ!」

 余計なことを言う千はとりあえずアッパーを食らわしてやった。が、いきなり王子様が湯船からざばりと立ち上がった。

「ノオォオオオーーーーーーーーッ!!!!! いやっ、待てッ心の準備がッ!」

 あたしは王子様の奇行に思わず目を瞑って背を向けた。
 うわ、どうしよう、まだ見てないけど王子様風呂入ってたってことは全裸だよね!?何、これ、出血大サービス? 今なら王子の入浴シーンを余すところなくお見せしますってか。いや、え? あたし余すところなく見るつもりなの? うわ、まて、だめだ頭が回らないっ。
 だけど頭を抱えて唸るあたしの体を(多分)王子様が持ち上げて、くるりと前を向かせた。

「てーこっ。大丈夫かっ? 怪我はっ、頭はッ!?」

 王子様は確認するようにぺたぺたと頭や肩や頬を触ってくる。しかしあたしは目を開けられない。だって見たら、さ。その、体が、ね?
 とりあえずあたしは忙しない王子様のその手を掴んで止めた。だってなんか、気恥ずかしいじゃん。

「だっ、大丈夫だからっ! ふ、服ッ服をッ!」

 顔が真っ赤になってくる。め、目の前には全裸のジャニー○がっ!
 と、慌てふためいてるあたしの横で、呆れたような千の声が聞こえてきた。

「アホか。全裸なわけねーだろ、変態勘違い女が」

 ぬお? 恐る恐る目を開けてみると、王子様はいつの間にか、それとも元からなのか。腰にはきっちりとタオルが巻かれていた。
 ……………うん、いや、まぁ、知ってたよ。いや、別に期待してたわけじゃないよ。ッて誰に言い訳してんだかあたしは。今度は恥ずかしさで顔が熱くなってくる。とてもじゃないけど合わせる顔がなくて俯くと、王子様はあたしの首をぐっとひっぱり肩に引き込んだ。
 なんだか反省みたいな感じで、王子様にもたれかかってしまう姿勢になった。………あたし、日光猿軍団か?

「てーこ………無事だったか。……よかった」

 安堵したような、王子様の声。首にまわった王子様の手が、あたしの髪をくしゃりと握る。なんか、ちょっと嬉しくなった。
 あたし結構おせっかいだったかなーと思って、王子様のところに来たんだけど、心配要らなかったみたい。むしろ王子様のほうが心配してくれてたみたいだ。そうしてほっとしたあたしの耳元で、王子様の声が響く。

「すまない。てーこには迷惑をかけてしまった」

「いや、迷惑なんてかかってないよ。大丈夫だよ」

 聞こえてきた王子様の沈んだ声に、あたしは安心させるように顔を上げて笑ったんだけど、それと同時に王子様の手が離れた。お湯にあたって火照った王子様の手の熱が去って、首筋が肌寒く感じる。王子様はそのまま一歩二歩と後ずさると、ひっそりと笑って口を開いた。

「もう、望まない。無駄だ」

「何言ってんの? あたしが今助けに来た」

「いや、もういい」

 あたしの言葉を遮って、静かに、首を横に振る。
 そこには何の苦悶も、苦しみの表情もなかった。ただ目を伏せて自嘲的に、微笑んだ。

「馬鹿げた夢は、終わりだ。もう帰れ。もう何も要らないから。俺はもう望まない」

 王子様は、こともなげに言って笑った。その顔も別に未練があるとかじゃなくて、吹っ切れた感じだ。
 だけど、だけど。
 そんなこと言われてホイホイ帰る奴が、どこにいるってんだよ。
 ………ちくしょう。

  

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