11.風の丘で
どきどきした。溜まっていた気持ちを吐き出すのには、相当の勇気が必要だった。あのクソ王様に言った事はあたしが父さんに何よりも言いたかった言葉で、でも言えなかった言葉だ。
散々ナサエルに言いたいこと言っといてこんな様じゃあ話になんないね。だけど、だけど言ってしまえば本当に、胸のつっかえが取れたように感じた。
「王子様を、ナサエルを解放してあげてください。やりたい事をさせてあげてください」
さっきの剣幕もどこへやら、ぺこりと頭を下げてお願いした。やりたい放題だけれど誠意も見せなければ礼儀も何もなっていないもんね。
周りの人が息を飲むような雰囲気で注目しているのがわかる。王様が許すまで頭を下げていようと思っていたら、誰かがあたしの横に並んだ。
「お願いします。私に暫しの自由をお与え下さい、国王陛下。…いえ、父上」
真摯な声できっぱりと言い切って、王子様が頭を下げる。頭を下げたままちらりと見ると、王子様は薄っすら微笑んでいて。何を考えているのか、多分お互いに通じ合っていると思う。
そうだね。許してくれるまで、頭を下げ続けよう。何度でもお願いしますって、声が枯れても跳ね除けられても、何度でも言おうね。1人では辛くても、隣にもう1人いるんだから。怖くない、怖くない。一人じゃないんだから。
しんと静まる王座の中で響いたのは、ふん、という王様の皮肉った声だった。何も言わずに立ち上がると、手を貸そうとする臣下の人達の手を払いのけて玉座にどすんと座った。
じっと、見下ろされているのがわかる。神経質そうにこつこつと玉座の手すりを叩く音が聞こえたと思ったら、それは始めて威厳の感じられる声で下された。
「ドリュー・ハ・ラ・ナサエル・サマリェン。そなたを王位継承権剥奪及び親王権威剥離、ならびに国外追放処分とする。即刻この国から出て行け、以後戻ってくる事は許さん。二度と王子の名を語るな、親不孝者」
玉座全体にどよめきが走り、静かな時が一瞬にしてやかましくなった。
驚いて顔を上げるとナサエルも呆気にとられた表情で。どうしよう、え? これって俗に言う勘当? いいの?いいのかこんな結末で!
とんでもない状況になってしまった事に青ざめていると、がっと首根っこを捕まれた。
ぐえっと首が絞まって振り向けば千があたしの首根っこを掴んでいて、もう片方の手でナサエルの首も掴んでいる。何この仕打ちは。離せと暴れようとするあたしをさらに持ち上げて殆ど絞首状態にして、千は飄々とした表情でのたまった。
「んじゃ、こいつらを連れて行くのは俺の仕事ってことで」
何を言ってるんだろうかこいつは。だけど千を目にした王様は眉を顰めて千を凝視して、それから目を見開いた。
「貴様千魔か…!」
「お、よく知ってるなぁ」
ひゅう、と軽く口笛を吹いて賞賛を口にする千。千魔? 千の本名だろうか。千が認めた途端王様が立ち上がってこっちに向ってくる。すごい剣幕だ。
「待て…ナサエルを離せ」
「悪いようにはしねーって。んじゃ、あばよ」
まぁうそ臭い台詞。ここに来てから初めて楽しそうに言い捨てると千は身を引いて、きゅっとますます首が絞められた。
そのせいか、何かが起こされたのか。またあの螺旋に意識を奪われ、あたしの世界はフェイドアウトした。
「てーこ、てーこ」
「ぬぅう…? あ〜…はいはい、わかったよ母ちゃん」
「誰が母ちゃんだ」
のお? 顔を上げるとあたしを見下ろすナサエルの顔。の向こうにはまっさらな青空が一面に広がり。飲み込まれそうな景色が目に入ってきて急いで起き上がるとそこはほのぼのとした丘だった。
ナサエルの手を借りて立ち上がると丁度そこは道の横端で。見れば丘の一本道、下り坂の向こうには小さな町があって。あたりに王宮の影なんてひとっつもなかった。
「ここ、どこ?」
「さぁ……見知らぬ国だな。」
聞けばナサエルも肩をすくめて首を振るだけで。あの馬鹿男はどこかときょろきょろと辺りを見回すと、やや離れたところから腕を組んでこっちを見ている千を見つけた。
「ちょっと千! ナニコレどこ!? なんであたし達こんなとこ」
「ぎゃーぎゃー喚くなサル」
「ウッキイィィイ!?」
誰がサルだバナナの皮投げるぞ。憤怒にかられて飛び掛ったあたしをひょいと避けた千は、手に持っていた袋をナサエルに投げ渡した。じゃらんと硬質な金属音。ナンダコレはと言わんばかりにいぶかしむナサエルに千は不機嫌な表情でしっしと手を振る。
「それ持ってさっさと行け。お前のその後まで面倒見きれん」
何を渡したんだろうかと袋の中身を覗いたナサエルの横でひょいと身を乗り出すと、そこには両手いっぱいにあまるほどの金銀装飾宝石細工の山が詰められていた。
なんだこれ、ナサエルにあげるの? なんか急にいい人じゃないか?
ちょっと怪しく思って猜疑心のあまり千をねめつけると奴はうんざりした表情で小さくため息をついた。
「俺のなわけねーだろ。あの王宮からパクってきたんだ」
「泥棒じゃん!」
「別にいいだろ最後ぐらい。一応元王族なんだからかまわねーって」
……いいの? いいのか? ナサエルも微妙な表情で袋の中身を見つめている。
というか、ここはどこだ? 千が、連れてきたんだよね?
「千…ここ、どこ?」
「隣国だ」
「なんで隣国?」
「お前…だから馬鹿なんだよ、うましかうましかうし!」
「なんで牛なんだよ!」
「……俺が追放されたからだろう」
はっと気づくとナサエルは少し寂しそうな表情で笑っていて。
なるほど、さっき追放処分喰らったんだもんね。だから隣国なのかぁ…。ちょっとしょぼんとなって見上げるとナサエルと目が合って、切り替わったようにあたしの頭をわしわしと撫でた。
「そんな顔するな。これが俺の望んだ事なのだから」
「……うん」
嬉しい反面寂しいって顔だ。そうだよね、ずっと住んでた国からも父親って言う肉親からも離れちゃったんだもん。望んだ事でもそりゃ寂しくもなるし、悲しくもなるよね。あたしも家を出たときは相当寂しかった。正直少しだけ後悔したときもあった。
なら本当にこれでいいのだろうか。あたしはちゃんと正しい方向に、ナサエルを導く事ができたんだろうか。そんな迷いが頭を過ったとき、千に頭を小突かれた。むっとして見上げると馬鹿にしたような目で。ああ、こんなときまでむかつく野郎だ。
「なにさ」
「お前はどこまで馬鹿なんだ?」
「何っ!」
「正しい道なんてあるわけねーだろ」
むっ。人の心読みやがったな。
しかも今まであたしがしてきた事を無効にするようなこといいやがって。
「なかったら迷うじゃんか」
「いくつも道がある。それを選び出す。どれが正しいもない、どれも真実に繋がっている」
「……いくつもの道?」
「導くなんぞ浅はか極まりない。誰しもが己で選び己で責任を取る。そういうもんだ」
最後に言った言葉はじろりとナサエルを睨んで言い放った。
でも言っている事はわかった。あたしが馬鹿かは置いといて、言っている事はもっともだと思った。自分で選んで、自分でそれを背負う。人はみんなそうやって生きていて、決して誰かに左右されているわけじゃない。例えば誰かに強制されたとしてもそれに従ったのは結局自分の判断で、誰のせいとかではない。過程がどうあれ、最後には自分が決めるんだ。
少しだけ、わかった。父さんに縛られて苦しんでいたけど、結局そこに甘んじていたのはあたしで、限界まで追い詰めていたのはあたし自身だった。人のせいにするものではない。
ナサエルが望んだ事だと言い切ったのはそれがわかっていたからなのかもしれない。でもそこで口を噤んだあたしの頭にぽんと手を置いて、千は一言付け加えた。
「勘違いするなよ。過程なくして、望んだ道は選べない」
言葉とともに風が吹く。頬を撫でて、空に舞い上がる。草の匂い、花の匂い、心を撫でるような風の匂い。吸い込めば、全身にいきわたる感覚。新しい道の、匂いだ。胸がスッキリして、あたしはナサエルの手をとって握り締めた。
「……じゃあね、ナサエル。元気で」
一瞬目を見開いて、少しだけ寂しそうに微笑んで、彼はあたしの手を握り返した。
王子様の物語はここで終わり。だけどナサエルの物語は、ここからはじまる。手を離した瞬間、名残惜しく感じたことは、物語には語られないあたしだけの秘め事となるだろう。
風が舞い上がる。あたしの前髪をさらりと撫でて、またどこかへ旅立っていく。隣の悪魔は気だるそうにあくびをしていて。ちょっと迷ったけれど、今回ばかりは折れてやる事にした。
「千」
「んだよ」
「ありがと」
最後の一言だけはとんでもなく小さい声だった。それでも地獄耳の悪魔にはしっかりと届いていたようで。にやにやと意地の悪い笑みを浮かべた千はわざとあたしの顔を覗きこんできた。
「なんだ? 何の事だ?」
「うるせーよしらねーよ」
「言ってみろよ」
ああうざい。すーぐ調子に乗りやがるんだもんこいつ。むすっとしかめ面になると途端に噴出して笑い始めた。とことんむかつく野郎だ。
「笑うなっ!」
「だってすっげーブサイク面。最高」
殺す殺す殺す。ついにぷっちんきてくぎぎぎと首を絞めると、千はにやりと微笑んで、エメラルドの瞳をあたしに向ける。
不覚にもぴたりと止まると首を引かれて耳元で囁かれた。
「さっきは可愛かったのに」
「………っ!!?」
おぞぞぞぞと全身にさぶいぼが走った。恐ろしい、気色悪い、変態だ!
「あたしに触るな変態悪魔!」
どげんと一発いい音が小高い丘に響いて。ひゅうひゅう風吹く青空の下。
ああ、なんだか変な方向に話がそれてしまった。
聞きたいことがあったのに。風に紛れて螺旋にかき消され、空に彼方にあっけなく消えていった。
……ねぇ千、どうしてあの時、止めたの? ナサエルがあたしに向けたあの質問を、どうしてあんたが止めたの?あの時それが、心の端っこにひっかかったんだよ。