6.悪役候補
部屋の掃除とか、風呂掃除とかしてるときによく思った。あたしこんな平凡で変哲も何もないまま生きていくのかなって。なんか激的なこととか、生活が一変しちゃうような事起きて欲しいなってぼんやり思ってたんだ。この先のあたしの一生が、あまりにつまらない人生に見えて。
でもさ、撤回するわ…。そりゃ悪役とかはね、非日常でちょっと面白かったから楽しんでたんだけど。だからってこんなスリルはいらねーよ。
「ちょっ、まっおちっ! 落ち着けええ!! 何!? コレ! 何スティックバイオレンス!?」
あたしの目の前には、両手でナイフを持った男が立っていた。なんかね、すんげえ手が震えてる。コップ置いたら水全部ぶちまけそうなくらい震えてる。すんげー怖いんすけど。受験に追い詰められた青年みたいだよ、こいつ。
「てーこ殿を倒せば姫が私のものになるのならば命は惜しみませんっ!」
「惜しまないってそれあたしの命だから! ふざけんなよあたしの命と姫が引きかえってどんなストーリーだよっ! ていこの命と姫ってか!? お前の前ではあたしの命は虫けら同然ってか!」
勘弁してよー、大体だれ? こいつ。まさか王子? かぼちゃぱんつはくの忘れてるぞおい。こんな緊迫した雰囲気なのに、千の楽しむような声が聞こえてきた。
「いやもうそりゃ悪役を倒して姫を手に入れるんだろ? よかったな、お前の望んだ悪の常道じゃないか。ほら、殺られろ」
「テメーは黙ってろ!! 殺られる前に殺ったるわ! テメーをな!!」
あーなんでこいつを狙わないのお兄さん。こーなったら何がなんでもこいつを道連れにしてやる。
あたしと赤いローブの男がじりじりとにらみ合っていた瞬間、お姫様がバンッとテーブルを叩いた。千が椅子から転げ落ちる。しつこい上に古いって、そのリアクション。
「いいかげんにしなさいっテレネス! あなた悪役でしょうっ? どのみち無理に決まってるでしょう!」
え…? え? なにこいつ、悪役なの? え? ってかなんでここにいるの?
「えーと…お姫様、知り合い?」
するとお姫様はため息をついてばちんと男の持ってるナイフを叩き落した。それが飛んで千の顔の横に刺さったのはスルーしておく。
「テレネスは私の幼馴染ですわ。私を攫う役として小さい頃から悪の修行を積んでいた魔法使いなのです」
悪の修行なんてあるんだ…。しかもそれが幼馴染って妙に切ない設定だな、変なところでひねってんじゃねーよ。
赤いローブの男―テレネスさんはお姫様の肩をわしっと掴んで真摯な目で見つめた。ん? なんだこいつ?
「だから私はこうして姫をお迎えに上がったのではないですか!」
「遅いのよっ! 貴方まで迷子になってる間にもうてーこ様が迎えに来てくださったのだから、貴方は用済みだわ! 帰りなさいっ!」
「そ、そんなぁ…姫」
姫様に冷たくあしらわれるテレネスは限りなく情けなく見えた。きっとこいつ結婚してもカカア殿下だぜ、けけ。ん? まてよ? 迷子になってる間とか言ってなかったか?
「あ、あの〜もしかして迷子になった魔法使いって…」
「これですわ、コレ」
お姫様が顎でくいっとしゃくってテレネスさんを示す。なんか照れてるけど褒められてないから、むしろ人並み以下の扱いだから。
「いや〜あの、本来私が悪役として姫を攫うはずだったのですが、姫を探していたら私まで迷子になりまして。いやお恥ずかしい」
「本当ですわ! この恥さらし! ドンガメ!! 役立たず!!!」
えぇええ!? いきなり女王様だよ! ってかあんたがそれを言うか? 言っとくけど同レベルだぞお前ら!
しかしなんでこの悪役今更になって現れたんだ? ちらりと千を見ても肩をすくめるだけ。ちっ、どんなときでも使えねーなこいつ。
「それで? テレネスさんはどうしてここに?」
テレネスさんは急にぱっと顔を輝かせた。さっきまで殺気立ってたのに偉い違いだな…。精神病んでるぜこいつ。こわやこわや。
「姫様が攫われたと聞いてコッソリお迎えに上がったのですが、どうやら話を聞いているとてーこ殿を倒せば姫が手に入ると言うじゃありませんか。こんなチャンスを逃す手はないと見えて、てーこ殿には倒されて頂きたく参上しました」
「はあぁあ!? 倒されて欲しいってバカ? お前バカ!? 本来テメーが倒されんのが常道だろっ!」
「そうですわ! 大体貴方が悪役なのにてーこ様を倒したって無理です!」
「えっ!? そうなんですか…てーこ殿、スミマセン。どうやら倒し損のようです」
いやナニソレ!? まだ倒されてないから。えっなに? もうあたし倒す事決定事項!? 問答無用で駆除されるってか!? 怖いこいつ…敵わないよ。ホンマもんの悪だ。
その時千があたしの前に立ちふさがった。え? 何、守ってくれるの? 意外と優しいとこあるじゃ…
「こいつを殺るのはかまわねーけどよ」
オイィイ! かまうから! あたし死んだらこの話が終わるから!
「こいつの事はいーけどよ、結局どーすんだ? 姫よ。俺らが悪役か、こいつが悪役か。決めねーと王子が来ちまうぞ」
千の言葉にお姫様の目が揺らいだ気がした。テレネスさんが請うような目でちらりと見たけど、お姫様はぷいっと顔を背けてしまった。
「ワタクシはてーこ様のもとに居ます。テレネス、お前は帰りなさい」
それを聞いて、テレネスさんは一瞬傷ついたような表情になった。けどまた、真剣な顔つきになった。
「いえ、私が悪役となって姫のお傍に居ます」
「いらないって言ってるでしょう!? 王子様に倒されたいのっ!?」
…おかしいな。テレネスさんが来てからお姫様の様子が変だ。怒ったり、切なそうな顔したり。今だって泣きそうだ。テレネスさんはお姫様に目をそらされても見つめ続ける。その目線は傍目にもわかるほど情熱的で、奥に潜む感情が見え隠れしていた。
「…私は、倒されてもかまいません。倒されるその瞬間まで、貴方のお傍に居たいのです。どうか姫、私と…」
テレネスさんがお姫様に手を伸ばしかけたけど、お姫様はその手を振り払った。顔を真っ赤にさせて。
「いやよワタクシはっ! あ、貴方が倒されるところを見てろって言うの!? …っそんな、そんなの…。わ、ワタクシ、王子様が来てるかどうか見てきますっ!」
「姫っ!」
お姫様は部屋を飛び出していってしまった。テレネスさんは呆然と立ち尽くしていた。そしてあたしは、ようやくこの話が進まない理由がわかった。これはきっと、王子様とお姫様の話なんかじゃない。本当はあたし達だって必要なかったんだ。
あたしは横にいる千にくいくいっと手招きして、こそこそと耳打ちした。千はふっと笑って不敵な笑みを浮かべる。
「なるほどな。で、いーのか? そんな話で」
いーんだよ。だってあたしは、悪役のほうが好きなんだからさ。