うん。(生返事)〜中岡さんシリーズ番外編〜

文鳥さんは気付かない

『今から行ってもいいですか』
 と聞くので、”お好きに”『どうぞ』と答えた。前半を言わないのは、時々おかしな勘違いで勝手に落ち込むからだ。思ったままに答えるよりも、寡黙な方がまだマシといえる。
 電話を切ってから、それとなく部屋の中を見回して、別段問題は無いと確認する頃に呼び鈴が鳴り響く。
 ――さあ、夢見る小鳥のおでましだ。
 玄関に向い、すぐに開けずにドアスコープで確認する。案の定彼女で、辺りを見回したり前髪を整えたり、何やら一人でもじもじしている。まるでコンクリートの上に放置された文鳥だ。噴出しそうになる自分を抑え、なおも観察する。
 ――この場合、彼女を放置したらどんな反応を示すだろう。
 むくむくと探究心が湧いてきて、ドアノブにかけていた手を離した。別に意地悪をしたいとか苛めたい等と思ってやっているわけではなく、単純な好奇心でしかない。これが彼女でなく近所の住人や自分の会社の同僚なら、やるはずが無い実験だ。けれど彼女だから、やる。何故かって、面白そうだからに決まっている。
 そうしてまた、ドアスコープを覗いてみる。つい先ほど電話して『どうぞ』と答えた中岡がなかなか出てこないことに戸惑っているのだろう、困ったように眉間に皺を寄せて首を捻っている。そんな様子すら面白い。
 にやり、と人知れず笑んだところで彼は漸く、俺は初めての悪戯に心躍らせる子供か、と我に返った。なんと馬鹿馬鹿しいことに喜んでいたのか。自分が稀代の阿呆に感じて人知れず羞恥心を抱きながら、今度は潔くドアチェーンを外して扉を開いた。
「あ……こ、こんにちはっ」
 チャイムを鳴らしてから暫く続いた不振な間のあと開いた扉に南夕ははっと顔を上げ、まるで初めて部屋に訪れた時のように、はにかんだ。どうやら、ベルを鳴らしてから扉が開くまでの不自然なタイムロスに、怒るとか何か問いただそうとか、考えようとも思っていないらしい。
 南夕の表情に扉を開けてもらえたということに対する歓びだけが見えて、中岡も少し思うものを抱く。暫し思案して、頭を撫でてみた。
 ――悪かったね、無駄な実験して。
「な、中岡さん?」
「……いや。どうぞ」
 別段それを説明して無駄に怒らせることもあるまい。南夕の、頭を撫でられたことに対する困惑と照れと歓びがない交ぜになった眼差しをさらっとスルーして招きいれた。どうしてなんて聞かれても、無駄ないい訳をするのが面倒だ。
「中岡さん、あの――」
「うん」
 さて、どうしたものか。日経新聞は必要なところはもう読み終えてしまったし、読みかけだった雑誌も昨日の夜に完読した。
「今日午前中に美好と買い物に行ってね」
「うん」
 部屋の掃除も食材の買出しも午前に済ませた。昼は軽食は取ったけれど――南夕は?
「南夕、昼はもう何か食べた?」
「え……はい、あの」
「そう。じゃあその辺適当に座ってて」
 とりあえず茶くらいは出しておこう。ああ、お茶請けを買っておくのを忘れていた――。
「中岡さん!」
「……ん」
 突然、南夕が目の前に立って口を尖らせている状態に差し掛かる。ダイニングの入り口で憤然と中岡を見上げる南夕を見下ろして、中岡は目を瞬かせる。
 はて、また怒っている。座っていろと言ったはずだけれど、聞いていなかったのか。けれどとりあえず、南夕が用件を言うまでお茶請けの件はお預けにしておこう。そうだ、どうせなら買い物にでも行けばいい。丁度新譜が入ったとメールが来ていたし――。
「中岡さん、ちゃんと聞いてましたか」
 またはっと我に返り、瞬時に先ほどまでのやりとりを思い出す。新聞と、雑誌と、買出しと、昼食と、お茶請けの事しか思い当たらない。どうやら、一ミリたりとも聞いていなかったようだ。
「……うん」
 中岡は至極冷静にそう判断して、頷いてさらっと嘘をついてみる。かろうじて崎原がどうとか言っていたのは聞き取った気がするから、何をと聞かれたら適当にごまかしておけばいいだろう。きっと南夕なら誤魔化されてくれるはずだ。
 可笑しな信頼を南夕に寄せて、焦りもせずに南夕の責めるような眼差しを受け止める。危機感だの罪悪感だの、そういう至極まともな感情など、もちろん抱いていない。
「……午前中に、買ってきたんです。評判の、ロールケーキ」
 南夕は拗ねたように呟いて、いつのまに持ってきたのか(というかよく考えるともしかしたら最初から持っていたのかもしれない)桜色の紙袋を差し出してきた。洋菓子店のものなのか、桜をモチーフにしたロゴのシールが袋口を留めている。
 つまり、崎原と、ロールケーキを買ってきたと。それも評判の。どこから来た評判かはしれないけれど、とりあえずその何かしらの定評を受けたそれを、一緒に食べようということだろう。
 ――だからうちにきたのか。まあ別に理由があろうがなかろうが拒絶する理由は無いからこちらも招いたわけだけれど。
 ただ、しみじみと感じた。自分と食べる為にそのロールケーキを買ったのか。評判というなら、もしかしたら並んだりしたのかもしれない。健気だ。どんなことを考えて、どんなことを期待して、どんな顔をしてこれを買って来たのか。一から十まで予想できそうな気がした。これなら悪い男にでも捕まったらとさぞや親御さんも心配することだろう。
 ――等と、自分が現在その悪い男に該当することを棚に上げて考える。悪い男という自覚もないので、平然と考える。
「……誰が」
「え? ……えぇ?」
 突如ぼそりと呟くや否や、南夕の頭を抱き込む。されるがままで中岡の胸に頭を預ける形になった南夕はロールケーキの入った紙袋を守りつつ、狼狽している。しかしそんな事は今はどうでもいい。とにかく、とにかくだ。
 ――うちの娘をどこぞの悪い男にくれてやるつもりなんてない。
 どこまでもまともな思考のつもりで、抱き込んだままあやすように南夕の頭を撫でる。
「な、中岡さん?」
「うん。わざわざありがとう……座ってていいから」
 抱き込んだ時と同じように、なんの名残もなく突然南夕を解放し、さり気無くその手にあった紙袋を受け取る、というか掠め取る。中岡の気まぐれな行動についていけない南夕は目を白黒させるも、座ってろと言わんばかりの淡々とした態度に、大人しく戻ることを余儀無くされた。
 けれど。
 ――それに、生憎と、俺しか見えていない。
 南夕の背中を見ながら、何に対してか勝ち誇ったような冷笑を浮かべる中岡に、彼女が気付くことはなかった。

fin.2010/4/11微修正。

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