こっち向いて? 〜中岡さんシリーズ〜

特別な我侭

 彼は滅多に風邪を引かない。なぜならば日々の体調管理がしっかりしているから。南夕でさえ彼の病欠を見たことも聞いたこともないのだから、それもまた徹底されているものだ。それでも、物事は事後というかたちでなければ完璧というカテゴリはありえようがないわけで。つまりは完璧では無いからこそ、世の中には例外という言葉があるわけで。

「はいあーん」
「……自分で食べるから」
 湯気の立つ卵雑炊。蓮華に掬われたそれを、器ごと奪い取られる。せっかく食べさせてあげようと思ったのにと、南夕は少し残念そうに眺めた。
「おいしい?」
「……ん、まあ……」
 しんとした部屋の中に聞こえるのは、時折陶器が立てる微かな音だけ。心なし気だるそうに口に運ぶ中岡を横で眺めながら、南夕はふと微笑を浮かべる。
 ぼんやりとした表情に、少し上気した頬。いつも明るいというわけでは無いけれど、常にしれっと平常を保っている人がこんなにしおらしい姿なんて、初めて見るかもしれない。悪いとは思うけれど、少しだけ新鮮だと思ってしまった。
「中岡さんが風邪引くなんて、珍しい」
「……馬鹿にうつされたんだ」
「馬鹿って……」
 その言い分は少し気の毒だとは思いつつも、誰のことだかすぐに解ってしまった。中岡がこんな風に言う相手なんて限られている。いつも飄々としていて、中岡とは真逆の意味で掴みどころのない男。悪友、とも言うべきだろうか。南夕の頭の中には、意味深な笑みを浮かべる瀬名の顔が浮かび上がった。
「故意的だよ。面倒な奴だ」
「ええー……そこまではいくならんでも」
「あいつならありうる」
 妙に確信的なものが込もっているから、否定しづらい。
 もう食べ終わったのか器をテーブルに置いて、中岡は疲れたようにソファにもたれかかる。天井を仰いで額に腕を乗せるその仕草は疲れきっているようで、南夕は微かに不安気な表情を浮かべた。辛いなら大人しく寝ていてくれればと、思うのに。
「中岡さん……コレ……薬飲んで、早く寝たほうがいいです」
「ああ……いや、」
 薬は飲んでくれた。けれどやっぱり彼は、気だるそうにしているのにも拘らず、首を横に振る。
「大丈夫。もう少ししたら、出かけよう」
「え……だ、だめですよ」
「いや、せっかくのクリスマスイヴだろう。風邪と言っても大したものじゃない」
 こんな風に、言うから。どうしてここまで無理しようとするのか南夕には図りかねるが、クリスマスだから中岡に無理をさせるの理屈はおかしい。というか、南夕がそれを許したくない。滅多に風邪にかからない人がかかって、それこそ外に出て連れまわしたりしたら悪化は必至。そんな結末はゴメンだ。
「ダメ。中岡さんは、大人しくしていなさい」
「だから大丈夫だって。君が心配するほどのことじゃ」
「嫌です。こんな状態の中岡さんとなんて、行けません」
 変なところで、律儀な人だ。いつも冷たいわけじゃないから、好きなところでもあるのだけど。でも無理をさせて平気じゃないのは中岡だけじゃない。それをわかってない、この人は。むっと拗ねたように険しい表情を浮かべ、中岡に詰め寄った。
「寝ないならせめてここで大人しくしていてください。そして私にお世話させてください」
「……後半の意味は?」
「私がやりたいからです」
 甲斐甲斐しい奥さん気分に浸れるから。中岡も一瞬虚を突かれた様な表情を浮かべたが、また降参というかのように苦笑して頷いた。
 とりあえず24日のクリスマスイヴは、予定はキャンセル。文字通り二人きりのイヴに、なりそうだ。


 もう外も暗く、時計の針は9時を越している。美好から電話が来たので、南夕はソファで眠っている中岡を起こしてはいけないと通路に出て話をしていた。
「……うん……美好も。メリークリスマス。……じゃ、ね」
 中岡の具合は大丈夫かと聞いてくれたが、熱も下がったようなのでひとまず落ち着いたと伝えて、電話を切る。リビングに戻ってみると、中岡は既に起きていた。もう、平気なようだ。
「中岡さん、もう大丈夫ですか?」
「まあまあかな」
 水をあげようとキッチンに向おうとしたところ、こいこいと手招きをされる。なんだろうと向うとなすがままに手を引かれ、後から抱かれるようにして座らされてしまった。
 いきなりのことに、南夕の胸はどぎまぎと揺れ動いた。どうしたというのだろう。
「あ、の……中岡さん?」
「……ごめん」
 さらりと、首に髪がかかり微かにくすぐられる。わずかに中岡の唇が首筋に当っていて、南夕の中は混乱と動悸で爆発しそうになってしまった。それでも腰に回された腕が、もっとというように抱き込んでくる。中岡の熱の名残か、それとも。密着する体温が、意識を溶かすように暖かすぎた。
「どうし、たの?」
 ああ、声が上ずる。恥ずかしいやら、なんとなく嬉しいやら。どきどきして、上手く考えられない。どうして、中岡は謝ったのだろう。
「せっかくのイヴだろ。南夕はこうゆうの、すごく、好きなんだろ?」
「……そう、だけど……」
 確かに、好きだけど。イルミネーションも、ロマンティックな雰囲気も、それに彩られた特別な日も。でも、どうして?
「だから。……だから、悪いことしたなと、反省だ」
 え。
 あまりにびっくりしすぎて、身をよじって振り返る。心なしか、いつものしれっとしたような顔ではなく、苦笑を浮かべた中岡の顔があった。本当に、驚いた。
「嘘……かな?」
「いや。何言ってるんだ」
「……中岡さん、まだ熱下がってないの?」
「……あのなあ」
 いつもの中岡さんじゃない。完全に疑惑の眼差しで額に手を当ててみるも、平熱のようだ。その手をとった中岡は、心配そうに見上げる南夕にかまわず問いかけた。
「何がほしい」
 覆い隠しもしない、真摯な言葉。いつだって、どこか余分に余裕を持って、一つに捉われる事なんてない。でも今は、今だけは。息が止まるかと思うほどまっすぐ。答えを求めるその眼差しは間違いなく、南夕だけを見ている。
 突然のことに戸惑い、驚き、それからなんだか。それから、なんだか、切なくなった。
「今日が駄目だったぶん、明日はなんでもするよ。なんでもいい。何でも、叶える」
「……えと、あ、」
「ん?」
 穏やかに笑いかけてくれる。受け流したり、聞いてない振りをしたり、そんな事が一切ない。迸る様々な想いに眩暈が起きそうになる。
 けれど、ふと思い出した。そうだ、アレ。アレは、今でも間に合う。そう思うや否や何も言わずに立ち上がる南夕。中岡が呼び止める間もなく部屋を飛び出したかと思うと、暫く経ってから戻ってきた。
 それを目にした中岡は、目を丸くした。南夕の突然の行動だけにではない事は、南夕にも解った。目の前に立って、照れを隠すようにはにかむ。
「これね、買っておいたの。……外には着ていけなかったけど、中岡さんに見てもらいたくて、着て……みました」
 タフタワンピース。ベロア素材とレース、黒の単色のシックなデザイン。あまり黒を着ることは少なかった南夕だったが、大人っぽさを目指して黒にしてみた。中岡に、つりあうように。何も言わずに見上げる中岡の頬に触れ、ゆっくりとその言葉を紡いだ。
「明日なんていらない。私は、中岡さんの気持ちがほしい」
 いつもと違う中岡ならば、叶えてもらえると思ったから。特別な日に、特別な中岡さんなら。特別な願いを、聞いてくれると思ったから。精一杯のおめかしでアプローチ。どうか聞いて。それが、クリスマスプレゼントだと言うのなら。
「これでも、すっごくシアワセなクリスマスだって、思ってるのよ。……だってこんなに一日中中岡さんを独占できて、傍にいられる日なんて、ないもの」
 寂しく思わないとは言わない。ああしてほしい、こうしてほしい。そんな風に思うことだって、何度だってあるし、いくつだってある。女の子は欲張りだから。でも、それを全部叶えて欲しいなんて言わない。全部じゃなくても、幸せは、たった一つのもので手に入る。
「わがままは、本当は沢山あるけれど、一番大きいものをかなえてもらえたの。……十分でしょう?」
 目も眩むほどのイルミネーションも、心が躍るごちそうも、蕩けるほどのスイーツも、夢見心地なロマンティズムも。あったら嬉しいけれど、無くたってかまわない。希望は多いけど、願いは一つだけ。それを叶えてもらえれば、これほど嬉しい事は無い。
「ね、中岡さん……」
「……ん?」
 締め付けられっぱなしの甘苦しい気持ち。煩いくらいに忙しい鼓動。これが何よりの証拠と、本当の気持ち。至ってシンプル。ただそれだけ。
 ゆっくりと屈んで、儀式のように緩慢に、唇を寄せる。そしてとっておきの、特別なキスを、彼に贈る。
「私が特別だと思う日に、私だけを見てくれれば、それでいい。それで、幸せ……デス」
 盛大な照れと、言い切った喜びがせめぎあう。できればこのまま逃げてしまいたい。自分でしたことにのぼせ上がって目も合わせられなくなり、そのまま向き直ってもとの位置に座った。それでもちゃっかりと、中岡の膝の間に。
「は……強がり言うね」
 笑い交じりの声が降る。むうっとなって抗議しようと振り返る南夕に、中岡が身体ごと、ふいに覆いかぶさる。噛み付くように、唇が重なった。南夕の謙虚な口付けとはまったく真逆。それこそ、食べつくされてしまいそう。
「ん、ん……っ」
「……願ったって、俺には余りあるほどなのに」
 何度も、口付けられる。言葉をはさむ隙もなく、ただ一方的に降りかかる。まるで、理性を欠いたように。
「可愛過ぎることを言うな。……それから、その格好も似合うけど」
「……け、ど?」
「正直……今は余計に脱がしたくなってくる」
 し、心臓が。早く逃げなければ、心臓がどうにかなって壊れてしまう。
 確かに気持ちが欲しいとは言ったけれど。こんな事まで言われるなんて。矢継ぎ早の口付けが、いつもよりも苦しく感じる。恥ずかしすぎて、溶けそうというより溶けてなくなってしまいたくなってきた。
「な、中岡さ……っ」
「叶える。それを願ってるなら、いくらでも叶える」
 切羽詰って、もう余裕もない。息苦しいけど、身を任せたい衝動。瓦解しかけた理性と麻痺した感覚。甘い痺れだけが、全身に伝わる。言葉すらもうかき消えてしまった彼女に、彼は一言だけ囁いた。
「君を、特別に想う」
 特別な日。特別な夜。特別な人。特別な、言葉。
 精一杯の気持ちを贈りあう恋人達。こんな日だからこそ、特別が光り輝く。聖なる夜は、幸せを贈り合う。今日は、特別な、Happy Christmas.

***

 抗議の言葉は受け付けられません。いちゃいちゃばっちこーい、という方はドウゾ。(反転?↓)

【おまけ】

「すごく、悩みました」
 仕切りなおしにと軽い食事をとりシャンパンを飲んだ後、さっき着替えてきた時に渡せるかと思って一緒に持ってきたプレゼントを渡す。悩みすぎて、とんでもないものを買ってしまったかもしれない。
「何、これ」
「……」
「……何」
「……ソルトクリスタルランプ、です」
 何をあげたらいいか本当の本当にわからなかったので結局、自分がいいと思ったものにしてしまった。中岡の部屋は殺風景だからこれなら綺麗だからいいかなと思ったけれど。やっぱり、びっくりしている。少し、いや結構、個性的過ぎたかもしれない。
 何でこう、自分はいつも大事なところでずれてしまうのだろうと恥ずかしくなってくる。赤面して俯き、自分があげたプレゼントはもちろん、呆気にとられる中岡の顔も見れなかった。
「ははっ……これは、すごいね」
「……ゴメンナサイ」
「いや、嬉しいよ。ありがとう」
 笑い混じりに言われるものだから、余計に恥ずかしくなってくる。もっと普通のものにすればよかったかもしれない。俯いて顔を上げない南夕の頭に、ふいに中岡が口付ける。そのまま緩慢な仕草で髪をすきながら、呟いた。
「俺はもうあげたから、いいよな」
「え?」
「ここ」
 首元に滑る指が、それを持ち上げた。
 見てみれば、ピンクゴールドの、ハートのネックレスがいつのまにかかかっていた。とても可愛くて一瞬魅入ってしまったけれど、ふと不思議になって振り返る。
 いつ、くれたのだろう。不思議そうに見上げる彼女に、中岡はやけに企みめいた笑みを、浮かべた。
「いつ付けたのか知りたい?」
「?……はい」
「そう。でも……」
 耳に触れる唇。蠱惑的に、囁く言葉。それ以上追求できないようにさせられて。静かな夜が、更けていく。
『――でも』
 でも?
『本当に言っていいの?』
 こんなの中岡さんじゃない。なんだか恨めしそうに、彼女はもごもごと呟いた。

fin. 2010/4/10微修正。

http://mywealthy.web.fc2.com/
inserted by FC2 system