こっちを見て。
「最上……さん?」
「はい、最上比呂といいます」
「……あ、そう」
にこやかに返事したつもりなのに、私の顔なんかちっとも見ないで書類だけ見つめていた。それが彼との、初めての出会い。第一印象は、そっけない人、だった。
入社し研修期間を終えて間もない、新入社員。私についたのは彼。私の事は知らなかったようだけど、私は入る前から密かに知っていたりした。部署でも先輩方から後輩まで狙っている人が多くて、でも隙がないことでよく話題に出ていた。だから私は友達とかに羨ましがられたりしたけれど、少し気がひけなくもなかった。いつでも愛想がなくて、なんだか冷たい人のように思えたから。自分のすること以外殆ど興味なさそうで。
でも教える事はしっかり教えてくれる人だった。根気よく説明してくれたり、ミスする前にすぐに気付いて注意してくれたり。ただやっぱり愛想がなくて、一線引いたような人でもあった。それでも悪い人じゃないとわかって、私は俄然仕事にやる気を出す事ができた。彼に認めてもらえたらと、がんばっていた。だけどやっぱり、少し張り切りすぎていたのかもしれない。
「ちょこまかしててうざいよね。何でしゃばってんのって感じ」
私が本当にでしゃばっていたのか、それとも彼女達が彼を好いていたからなのか。一部の先輩方に、あからさまに嫌味を言われた。コピーをとろうとすると、いつも先輩方に占領される。何度かそれが繰り返されて、私も相手をするのに疲れて他のところに回ってコピーしようとした。
けれど、その時だった。いつも何も見ていないかのように振舞っていた彼が、私に頼んだはずのコピーをさっと奪った。
「邪魔です。すいませんが、たまり場にするならもっと人気のないところにしてもらえませんか」
うろたえる彼女達を一蹴して、さっさとコピーをとる。コピーを終えてすぐに不機嫌な表情のまま私のほうに歩み寄ってきたので、言い返せなかった私を怒っているのかと思ったらぽんと書類で頭を叩かれた。怒るというより、慰めたみたいに軽く。
そう、その時。ああこの人、優しくもできるんだなあって思ったら、彼に対してあっというまにときめきを感じるようになってしまった。それからは私も言われるだけじゃなく話しかけたり関るようにして、彼に対して積極的になった。仕事も、ちゃんとついていけるようにってがんばったし。相応しい女に、なりたかったの。もうとっくにそんな人がいるなんて知らずに。
「え……彼女、いるんですか」
「そうそう、しかも年下、めちゃ可愛い」
仕事がひと段落してもう上がるときに、同僚の瀬名さんが彼を皮肉りながら言う。鬱陶しいとばかりに眉を顰める彼は、それでも否定はしない。
まさか、彼女がいるなんて考えもしなかった。彼に好きな人がいるなんて。
「どんな人……なんですか。やっぱり、大人っぽい……」
「いや、残念だけど大人っぽくは無いな」
印象が、外れた。この人の彼女ならよほど大人の女の人だと思ったのに。でも、それ以上に驚いたのは可笑しそうに笑う彼がいたこと。たった一言で、笑うなんて。彼女の事を思い浮かべただけで、笑えるなんて。なんだか胸が一瞬にして鉛のように重くなった気がした。
「あ……じゃあ、すっごく可愛いんでしょうね……年下、だし」
やっぱり年下の子って、可愛く見えるものなんじゃないのかな。そういうカップルって結構あるし。経験豊富なんだ、この人。でも言い訳のように呟いた言葉を、瀬名さんがぶんぶんと手を振って否定する。
「いやあの子はねえ、年下とか年上の問題じゃないね。こいつと付き合うくらいだもん、結構な変わり者とみた」
「お前に言われたくない」
じろりと瀬名さんを睨む彼は、怒っているような照れているような。今まで見たことない。こんな顔。
「どこがいいんですか? その、年下の子の」
ちょっと、嫌な言い方をしてしまったかもしれない。そんな年下のと言わないだけましだったかもしれないけれど、でも中岡さんのなかの私の印象を少しでも損なうのが嫌だった。子供みたいに些細な事にまで心配をしてしまうほど、私は中岡さんが好きだから。
その子は、私より年下なのかな。そんなに可愛いのかな。とても、気になった。私だって、中岡さんに十分似合うようにがんばったつもりなのに。
「年齢なんかどうでもいいけど……」
「……けど?」
「俺に合わせないから、楽な感じがする」
ふと、ひっそり笑って。彼女を思って、笑う。多分、彼女を思うだけで幸せになれるんだろう。私が貴方を思うのと同じように。
「普通合わせたほうが好いてくれてるって感じするもんじゃないの?」
茶化すように首を閉めようとする瀬名さんの手をかわして、時計を見てから立ち上がる。もうココロここに非ずって顔をして、彼は言った。
「俺に合わせないし、合わさせようともしない。――十分いい女だろ」
さっと私の横をすり抜けて、予告もなしに帰ってしまう。会話の途中だったじゃない。何を見て、帰ろうと思ったの。その後姿を目で追う私の後ろで、一緒に取り残された瀬名さんが呆れたように呟いた。
「あーあ言い切ったよ。哀れイイ男は年下の彼女にゾッコン、ってか」
家で待ってんのかねえ、愛しの通い妻が、なんて呟いて、瀬名さんは中岡さんのように時計を見た。
通い妻? 中岡さんの部屋で、誰かが待っているの?
これから飲みに行こうと誘おうと思ったのに。今日がチャンスだと思ったのに。今日距離を縮めようと思ったのに。
縮めても縮めても見えないほど彼が遠くにいることに、今更気付いてしまった。
中岡さん。
貴方がいつもそっけないのは、何も興味がなさそうなのは。私の知らない年下の、彼女のせいだったの?
ねえ、そっちじゃないの。その子じゃない。
お願い。一度でいいからこっちを見て。中岡さん。
fin. 2010/4/10微修正。