こっち向いて? 〜中岡さんシリーズ〜

白き晩に〜後編〜

 なんだかとても気に入ってしまって(というか中岡に選ばれた南夕の為のお酒!という事実が良くて)買って貰った苺酒を眺めながら、わずかな振動に身体を預ける。
 店を出てからまた車に乗せられたはいいが、どこに行くのと聞いても答えてはくれなかった中岡。何を企んでいるのか、ここまでいい感じだったのに中岡は一体どんな風にぶち壊そうとしているのか。思わず浮かんだ自分の突飛な憶測に顔をしかめ、またそんなひねくれた憶測をしてしまう自分が虚しくなる。いつのまにこんなに疑り深くなってしまったのか。
 その元凶とも言える男を横目で一瞥して、南夕は小さくため息をついた。ちゃんと信じたいのに。信じられないというより信じさせてくれない。本当に中岡は不可解な男だ。
「南夕」
「え、あっ、はい」
 ぐちっぽい思考を読み取られたのかと慌てて返事をする。が、さすがの中岡もそこまでは読んでいなかったようだった。
「寝てていいよ」
「え?」
「少し時間かかるから。着いたら起すよ」
 時間がかかるとはどこまで行くつもりなのか、と聞いてもやっぱり答えないのだろう。
 それでもなんとなく気になって、南夕は逆に寝ないでおこうと決めた。けれどその後すぐに、車内は静けさに包まれた。二人を乗せた車は緩やかに、眠りゆく夜を滑ってゆく。


「南夕、なーゆうさん」
「んん……あ、はい…………」
 覚醒しきれていない頭で、それでも中岡の声に律儀に返事を返す。ぼーっと辺りを見回すと案の定真っ暗で、しかし車は止まっている。ここはどこだろうと首をかしげる南夕に、中岡は自分のコートを差し出した。
「外、寒いから。俺ので悪いんだけど着てて」
 淡々と言うとそのまま車を降りてしまう。よくわからないままのろのろとコートを羽織っていると、中岡がドアを開けてくれた。
「少し歩くけど我慢してくれ」
「……は、い」
 何がなんだかわからないまま、車から降りて歩き出す。手を引かれるままに歩きながら辺りを見回すと、だんだんとそこがどんなところかは把握できてきた。
 街では、ない。郊外だろうか。結構人気のないところで、足元は歩くと土のようにじゃりじゃりと音がする。少し広めの道の端には木立がずらりと並び、その横には川があるようだ。水の音がする。
 何も言わない中岡の後ろについて、緩やかな坂道をゆっくりと歩いてゆく。どこに行くのかいい加減に教えてもらいたい。暗闇を歩いているだけじゃ怖くなってきた。
「中岡さん、ここどこなんですか」
「んー、もうすぐもうすぐ」
 何が何でも答えてくれないらしい。むっとしながらもついていく間に、どんどんと目的地に近付いてもいるようだ。坂道の丁度真上辺りで、二人の足並みがぴたりと止まった。
 そこはさらさらと静かに流れる川のそば。その上をはらはらと落ちては流れてゆく白い吹雪。見上げれば、ライトアップされた見事な大木。桜の、木だった。
 どれだけの樹齢だというのか、その桜は雄大に、華美に満開の花を誇っている。乱れ咲く花の重みで枝はしなやかに垂れ今にも川に触れそうなほどに伸びている。光の反射で川にも桜が移り、あちらの世界でもこちらの世界でも桜が乱れ咲きしているようにも見える。
 南夕は、あまりに幻想的でその飲み込まれそうな迫力と美しさに、言葉を失ってしまった。ちらほらと花びら舞う大木を見上げて、中岡が静かな声で独り言のように呟いた。
「一足早い花見のつもりだったんだけど……やっぱり夜中だからかな、予想通り誰もいない」
 満足そうに、その花を見つめる。昼間とは違う、桃色と言うよりむしろ雪のように白い花はまさに桜花爛漫の言葉がふさわしい。心囚われたように見惚れつつ、連れてきたかったのはここだったのだと、これを見せたかったのだとようやく理解する。
 早咲きの桜。どうとも言えない感情が湧き上がり、言葉にならない。誰しもが眠る深い夜に、圧倒されるほどに咲き乱れる桜を、二人だけで見ている。馬鹿げた考えだと笑われるかもしれないけれど、何故か世界中で二人だけになったような気分。怖いような、すごい事のような、不思議な気分に駆られる。どうして、こんなにすごく綺麗なのに、泣きたくなるのか。わからなくて不安で、中岡の腕にぎゅっとしがみついた。
「怖い?」
 見透かしたように、中岡の言葉が降りかかる。どうしてわかるんだろうと不思議だったけれど、それ以上に、中岡がわかってくれていると知って、不思議と安堵した。桜の散り様があまりに美しすぎて、胸が痛かった。
「すごく、綺麗で。見れてよかったと、思う。でもなんだか」
「なんだか?」
「……なんだか、散っていくのが怖くて」
 それが桜の見所なのかもしれないけれど。でも、これだけ咲き誇る桜は、昼も明けず夜も明けず散り続けている。そんな風に、思ってしまった。
 じわじわと別れを数えるようなその美しさに、不安を駆り立てられる。川に映った桜のようにこの桜もまた、何かを反映しているのではないかと。考えすぎな自分が憎らしくなるが、一度考えてしまうと否応無しに気分は落ち着かなくなる。不安げに目を伏せる南夕の頭を、中岡の手が優しくなでた。
「散るからといって終わりじゃないだろ」
 え? と見上げると、不安げな南夕とは対照的に穏やかに微笑んでいる中岡。不思議そうに目を瞬かせる彼女の髪を梳いて、秘め事を囁くように、顔を寄せた。
「これが始まりだろ。来年咲くための」
「……始まり」
「散って、青葉がついて枯れて芽吹いてまた花を咲かせる。来年、同じ場所で」
 南夕とは正反対の考え。不安がこともなく一蹴されてしまったようだ。中岡は南夕の強張った表情が緩んだのを見てとると、にやりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「俺は疑り深い南夕さんと違ってこの桜に望みをかけてるから。怖いなんてありえない」
 疑り深い、失敬な。むっと顔をしかめる南夕の顔を見て、中岡は可笑しそうに笑う。人の気を知っているからこそなおのこと失敬だ。それでも望みという言葉には、不安ではなく期待を抱いた。
「中岡さんの、望みって何?」
「ん……それは、もちろん」
 優しく、肩を引き寄せられる。その腕の中にすっぽりと抱きすくめられ、とっておきの言葉を言うように、低く小さく囁かれた。
「来年同じ場所で同じ人と、この木に芽吹いた新しい花を見れますように…………って」
 ああ。なんて、魅力的な望みなのだろう。それは南夕に期待と希望と未来への望みを抱かせてくれた。不安だったはずの心は温かくなり、もっともっとというように、南夕は中岡を抱き締め返す。
 嬉しくて嬉しくて暖かくて、ただの口約束よりもずっとずっと素敵に思える。不安にさせるのは中岡なのに、それを取り払うのも中岡に決まっている。結局敵わないのだなあと、思い知らされた気がした。
「中岡さん」
「はい、なんでしょう」
「…………連れて来てくれて、ありがとう」
 こんなホワイトデーなんて、体験した事がない。楽しくて嬉しくて素敵。そう感じるのは、ひとえに中岡が傍にいるから。どこにいてもどんな時も、願うのは中岡が隣にいてくれること。

 白い花びらひらひらと。寄り添う二人に降り注ぐ。光のように穏やかに、願いを乗せて水面を流れ。きらきら、さらさらと幻想的に美しく。辿りつくは、二人の望んだあの未来へと。

fin. 2010/4/10微修正。

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