こっち向いて? 〜中岡さんシリーズ〜

白き晩に〜前編〜

「ホワイトデー、お返し……何がいい?」
 始まったのは、その言葉。本人は何気なく問いかけたつもりなのだろうが、南夕にとっては夢の言葉。こんな機会を逃す手があるだろうか。もちろんにこにこーっと上機嫌に微笑み即答した。
「デートして下さい」
 デートだ。恋人同士がする、あのデート。中岡が相手だと予定が合わなかったり本人の意向やら何やらで滅多にしたことがないあのデート。
 そんなものでいいのかと中岡は首をかしげたが、そんなものなんてとんでもない。中岡一日独占権をもらえたも同然なのだから。日取りを決めて、時間を決めて、待ち合わせ場所を決めて。南夕はうきうきと、その日を心待ちにした。


 薄暗く夕焼けも殆ど沈みかけた黄昏時。設定時刻は六時、駅前の大時計の下で。40分前から南夕はそこに立って、うきうきと時計の針を見つめていた。
 本当は、いつも中岡は時間ぴったりくらいに現れるのだから早めに待っていても仕方ないとはわかっているけれど、なんというか、待っているのも心楽しく感じてしまう性分の持ち主。時間までまだ少しある。やはり待ちすぎても馬鹿みたいなので五分前までどこかぶらぶらしていようと踏み出した瞬間、ぱっと手を取られた。
「どこ行くつもり?」
「えっ……あ、中岡さん……」
 なんとまあ、時間前なのに中岡がいる。南夕は見間違いじゃないかとぱちぱち目を瞬かせ、そんな彼女の考えなどお見通しなのか中岡はくっと苦笑した。
「どうせそんなことだろうと思って早めに来てよかった。相変わらず考える事が飛んでるね」
 ばれていた。待ち合わせ時間を指定しておいてわざわざ早めに待つ南夕の行動など中岡にはまるまるお見通しだったようだ。こんなにやる気のある、もとい待つ気のある自分がばれていたのがなんとなく気恥ずかしくて、南夕はぷいと顔を逸らした。
「私っ、全然待ってませんよ」
「そうだね、南夕が待たないように俺も先読みしたからね」
 …………確かに待ってない。ああ、言いたかったのに。待っていたのに全然待ってないというベタな台詞を一度言ってみたかったのに、ただの事実と成り果ててしまった。普通に考えれば待たされなくてよかったのだが、なんとなく肩透かしをくらったようで南夕は中岡を不満げに見上げた。
「わかってたなら言ってくれればよかったのに。……わざとですか」
「今に始まったことじゃないだろう」
「……そうですね」
 自分の事なのに白々しいほど他人事。なんて中岡らしい。中岡らしすぎて虚しさを覚える。
 そんな彼に手を引かれとぼとぼと歩き、なんだか少し残念な表情で車に乗り込む。微妙にふてくされてしまった南夕をちらりと横目で捉えて、中岡がぼそりと呟いた。
「……というか、車で、しかも一緒に出られるのに待ち合わせって微妙じゃないか?」
「……醍醐味かなーって」
 まさしく、デートの醍醐味。久々なのでちょっと味わってみたくて、わざわざ場所と時間まで指定した。
 けれど出鼻を挫かれて少し残念で、何気なくため息をついた時、ふっと影が過る。何事かと顔を上げれば横から中岡が覆いかぶさってきて、
「なか……ッ……?」
「……シートベルト、な」
 なんだか慌てふためいた南夕ににやりと笑いかけながら、カチャリと下ろす。わかりやすく赤面した彼女をじろじろと眺めて、中岡は愉快とばかりに噴出した。
「なに、もう期待してたのか?」
「〜〜っ! 全然全く微塵も一ミクロンもしてません!!」
 むきになって答えた南夕の言葉を合図に、ゆっくりと発進する。ホワイトデーのお返しデートはまたなんとも彼ららしく始まったのだった。


 軽やかな振動に身を任せ、平たいフロントガラスの向こうの景色を眺める。まさしく光のごとく瞬く間に過ぎ去る対向車、街灯、イルミネーション。そしてまた、ちらりと中岡の横顔を見る。
 どこに連れてってくれるのだろう。時間や場所は希望があったので南夕が設定したけれど、今回はあくまで中岡主催というコンセプトだ(南夕の中では)。全て任せると言ってしまったので、もしかしたら中岡のことだからこのままとんぼ返りして部屋でまったりかもしれない。
 それはそれで良さそうだけれどそうなると相手をしてもらえなくなるのは想像に難くない。デートらしいデートとまではいかなくもどこかにいくくらいの発想は期待したかった。
 それにしても……本人としては普通なのだろうけど、なぜか運転している時はいつもより凛々しい気がする。恋人の欲目から見ているからなのだろうか。そう思って、急にぱっと顔を背けて俯いた。
「……なに、南夕」
「なんでも、ない」
「内容的にはどうでもよさそうだけど態度が微妙すぎて気になるんですけど……」
 おかしなリアクションをして中岡に気付かれた。が、言えないだろう。自分で自称した恋人なんて単語に気恥ずかしくなっただなんて。ちょっとなんとなく嬉しくなっただなんて。笑われるに決まっている。
 火照った頬を両手で挟んで振り切るように首を振っている間に、キッと車が止まった。
「どうぞ」
 わざわざ回り込んで、ドアを開けてくれる。そんな中岡らしくない気の効きすぎる配慮に南夕が目を白黒させていると、降りるのを手伝うように手を取りながら中岡がしてやったりとばかりに不敵な笑みを浮かべた。
「やっぱりお返しだからね。日頃の分も含めて、今日は南夕仕様」
 嬉しいような、複雑なような。いつもこうであれば嬉しいのにと思い、ああしかしいつもこうだったら中岡さんじゃない、という思いもあり。
 中岡は今一素直に喜びきれない南夕などさして気にせず手を引いていく。エスコートする中岡を見て喜びきれないのは、決して南夕が素直になりきれないからというわけだけではないだろう。


「わわ……美味しさプライスレス!」
「なんだ、それ」
 きらきらと目を輝かせて呟いた南夕の言葉に、中岡は可笑しそうに笑った。だって、感想を言うならばそうとしか言いようがないと思ったから。目の前に彩り鮮やかに並ぶ和食の数々。食というよりまさに色で、見て食べるような気分だった。美味という言葉に初めて納得した気分になる。
 南夕はデートの注文として、中岡の嗜好で薦めてくれと頼んだのだけれど、まさか和食とは。意外なような割と納得な様な。料亭とまではいかないけれど、音の入らない個室だしこの彩のいい料理の数々といい、さすが中岡といったところか。そつなく趣味がいい。
 じーっとそれを眺めて、上目遣いで中岡をちらりと盗み見ると、どうぞとグラスが手渡された。
「なに?」
「いいから、飲んでみな」
 中には赤みがかった液体と、そこにぽっかり浮かんだ苺。見た目とても可愛い。香りもふわりと優しく甘く、惹かれるようにこくりと一口呑んでみた。
「……あ……お、いし〜いっ!」
 恐らく果実酒なのだろう。それでも甘すぎず、糖分が控えめなのか苺のほのかな甘酸っぱさと芳醇な香りでわりと呑みやすい。普段何かない限り南夕はあまり酒を呑まないので慣れてはいなかったが、これは結構いけそうだった。
 ぱあっと表情を輝かせた南夕を見て中岡は満足そうに微笑を浮かべた。
「旬だからね、丁度いい頃合だと思ったんだ。一番美味しい時期のものだよ、それ」
「……うん、好き」
「それはよかった。……じゃ、頂くとしようか? 『美味しさプライスレス』を確かめる為に」
 どうやらお値段張るのではないかという南夕の心配も見通されていたようだった。よくわからないけれど、中岡が中岡じゃないほどにデートをリードしている。中岡嗜好のリクエストに答えつつ南夕が気兼ねしないように個室を用意したり、自分のほうがお酒好きなほうなのに南夕の為にわざわざ選んでくれていたり。
 急に心がうきうきと沸き立ってきた。とても、楽しくて嬉しい。ようやく素直に喜ぶ事ができて、南夕はくすっと笑った。
「なに、どうした」
「……なんだか、中岡さんらしくないけど、これも素敵だなあって」
「……ギャップがたまらないって?」
 また自分で言うし。
 南夕は可笑しくて嬉しくてくすくすと笑いながら、どれから手を付けていこうかと心楽しい気分で色鮮やかな料理を眺めていった。


 料理も美味しく味わって、名残惜しむように最後の一口をこくり、と呑みつくす。それを中岡がじっと眺めていたので、南夕はなぜかにんまりと勝ち誇ったように微笑んだ。
「中岡さん、お酒呑みたかったんでしょー」
「ん、まあね……俺は清酒派だからいいけど」
「どのみちだめ、車なんだもん」
 ほろ酔いなのか少し赤みの差した頬でふふんと笑う。それに触発されたのか中岡は企むように片眉上げて微笑むと、ちょいちょいと手招きをする。判断力が麻痺してるのか別段疑うわけでもなく、嬉しそうに近付いてきた南夕の手を引いて、項に手をかけ強引に引き寄せた。
「ふ……ッ、ん…………な、なかおかさ、ん?」
「これくらいなら味わったって、いいだろ?」
 それは本当に、味わうようなゆっくりとした口付け。甘いのは果実の余韻か、唇から伝わるのか、動悸より生まれる脳内麻薬か。酒気を抜かれるほどに続いた頃には、いつのまにか中岡の腕に中にすっぽりと収まっていた。
 それから段々と理性のある思考が戻ってくると、いくら個室といえどもこんなところでこんな事をしている自分が、どうしようもなく恥ずかしくなってきた。南夕は今更ながらも照れを隠すように俯いて、ぼそぼそと呟いた。
「あ、の……今日は、どうも。とても、その、デートでした」
「なんだ、それ」
 往生際悪く手を突っぱねて離れようとする南夕の腰をしっかりと抱いて、可笑しそうに中岡が笑う。ああ、デートでも普段でも、いつも彼は余裕。自分はすぐに何がなんだかわからなくなってしまうのに。悔しいのに、胸が甘く締め付けられるこの心地。自分は駄目だなあと、なんとなく思ってしまった。
「さて、と……」
 ふと、切り替えるように南夕を離して中岡が立ち上がる。きょとんと見上げる南夕に手を差し伸べて当然とばかりに告げた。
「まだまだ。これだけじゃデートじゃなくてただの食事だろう」
 確かに、そう言われればそうなのだけど。こんな夜に、他にどこへいくの?
 手を取って立ち上がりながらそんな風に見上げた彼女に、中岡は底知れない笑みを浮かべた。
「イイトコロへ、連れて行くよ」
 何を考えているのか、至極わからない。揺ぎ無い余裕というのもまた考え物だと、南夕は逸る動悸に胸を押さえながらこっそり思ってしまった。

Continued on the following page. 2010/4/10微修正。

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