こっち向いて? 〜中岡さんシリーズ〜

流行り病

 病人食といえば、まずおかゆだろう。白米を水に浸し、30分ほど置く。土鍋に移し中火以上で火にかけ煮立ったら弱火にして静かに炊く。米が見えるようになったら水を足しかき混ぜず(しかしこびりつかないよう適度にそっと混ぜる必要もある)それを都度繰り返し、丁度いい頃合まで煮る。
 あとは具だけだが、オーソドックスなもので梅だろう。他には干しえび、あさつき、塩昆布にザーサイ、ねぎ、じゃこといったところだ。それでも味気なければごま油や醤油、塩、適量の清酒を加えてもいい。結構な凝り様だがけして個人的な趣味からくるこだわりではない。彼女に対して過保護になっているわけでもない。
 思い浮かんだ余念を取り消しつつ一掬い口にすると、その口ざわりに満足して火を止めた。盆に土鍋を移し、食器とともに持ち上げる。かちゃかちゃと陶器のぶつかりあう小さな音を、冷たい廊下を渡るスリッパの微弱な音が追いかける。片手で盆を支えてドアノブを引けば、くしゅんと一つ、小さなクシャミが部屋に響いた。
「南夕、お粥できた」
「……わ、わぁ……くしゅっ!」
 自分のくしゃみに身体を揺らし、南夕は火照った顔を中岡に向けた。ぼんやりと虚ろな眼差し、頬はいつもよりも濃く赤みが差し、身体も力が抜け切っていた。
 ふらりと上体を起こして起き上がる南夕を見た中岡は小さく息をついて、南夕のベッドへと腰掛ける。平坦だったそこがぎしりと歪み、たったそれだけの振動で南夕の体はいとも簡単に傾いた。中岡の手が抱きかかえ、南夕はその肩にこてんと頭を預ける。
「……中岡さん」
「何」
 申し訳なさそうに目を伏せて、力の入らない身体を中岡に任せる。中岡は南夕を支えたままクッションを南夕の背中に敷き詰めて、寄りかかれるように背もたれを作った。
 そこに南夕をゆっくりと横たわらせて、乱れた髪の毛を手ぐしで直してやる。その手を避けるようにして南夕は弱弱しく顔を背け、中岡の手を拒んだ。
「風邪……うつっちゃ、う……から」
「人の事はいいから、早く食べなさい」
「……ん」
 無愛想ながらも、それでもやはり中岡は南夕の頭を優しく撫でてから、土鍋のふたを開けて粥を小皿に移した。適当に盛り付けて手渡すと、熱で頬は上気しつつも嬉しそうに受け取る。ぱくりとそれをひとくち口にして、いつもより力なく微笑んだ。
「どうしてかなぁ……」
「何が?」
「お粥って……味気ないものだと思ったのに……中岡さんのは、すごくおいしい」
「そりゃ……愛情こもってますから?」
 もぐもぐとゆっくり咀嚼する南夕を眺めて、冗談めかして答える。やはり風邪を引いたせいなのかいつもの彼女とは違い明るさが半減している。例えるならチューリップからカスミソウだ。いや、雀から亀、いやいや薄桃色のイロエンピツからシャーペンの芯。
 なんてことを徒然と考えている間に、南夕が小さな声でご馳走様と呟いた。空になった器を受け取り、土鍋の中身をちらりと黙認する。
「もう、いらない?」
「……ん、ごめん」
「いや、無理しなくていいよ」
 それを下げようと立ち上がり盆を持ち上げると、くいっと下から小さな抵抗感。と、思ったら南夕が中岡の服の端を掴んでいた。何か訴えるような上目遣いで、目は縋るようだ。その表情に目を奪われてじっとそれを見下ろすと、南夕が泣きそうな顔で呟いた。
「行かないで」
なんだ。これは。抗いようのない衝撃を受けた。チューリップでもカスミソウでもない。ましてや雀亀なんて動物、果ては薄桃色のイロエンピツからシャーペンの芯?
 ありえない、南夕はそんなものではない。なんて可愛い生き物なのだと感嘆する。弱りきって自制心や意地が抜けた彼女がここまで可愛く見えるとは油断していた。
 すぐさま持っているものをベッドの小脇の棚に置いて、迷う間もなく口付けた。
「………ふ、……ンッ」
 彼女は今病気で熱を出していて思うようにいかない身体に不安になっているだけだ。病気のとき人は弱気になるもの。だから彼女に他意はない。誘うつもりでも煽るつもりでもなくただ不安だからつい言ってしまった言葉に過ぎない。それはわかっているけれど。
「な、中……んぅ……っ」
 たまらない、どうしても止まらない。こんなときに、目に見える彼女はあまりに扇情的で、いつもよりも数倍色気が増している。
 苦しいといわんばかりに弱弱しく手を突っぱねてくるけれど、止まらなかった。相手は病人だというのに容赦なく求めて絡めて、たがが外れたように唇を重ねた。
 そうしてようやく気が済んで離してみればくたりと力の抜けた南夕がいて。罪悪感に苛まれながら彼女を再びベッドに横たわらせた。
「薬、取ってくるから」
 恐らく聞こえていないであろう彼女の耳元に囁いて、先ほどの熱情も忘れたかのようにさっさと部屋を出て行く。ただ足取りはいつもより速くて、その横顔は珍しくもやや高潮していた。
 厄介な病は、まだまだ流行りそうだ。

fin. 2010/4/10微修正。

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