こっち向いて? 〜中岡さんシリーズ〜

火種訪問〜後編〜

 真島氷波、17歳、幼少の頃より南夕に思いを寄せる事十余年の健気な青年。
 南夕への想いは十年前から変わることなく大事に大事に暖めてきたものだ。それを、それをだ。ちょっと目を離した隙に恋人? 中岡さん? そんな名字呼びでしかない男に持っていかれたというのか。そんなこと、納得できなかった。納得できるはずがないと、理不尽ささえ覚えた。
 そうしてその話を彼女から嬉々とした様子で聞いたときに、氷波の中に嫉妬心がめらめらと湧き上がり、半ば勢いでその中岡さんに会ってみたいと申し出た次第だ。しかし、とりあえずは宣戦布告をかねての忠告を挨拶程度にしてやろうと意気勇んで敵地に乗り込んだはいいものの、さっそく出鼻を挫かれてしまう。
 別に怯んだわけではないのだが、いや、それ以前の問題だった。中岡亜愁、氷波の宿敵となるその男。彼は本当に、話に聞くとおり一筋縄ではいかない、問題のある人間だった。
 初めて目にしてから南夕が部屋を出て行った今現在まで、氷波があえてわざと敵意むき出しの目線を送っているというのに、彼の反応はというと……ないも同然。いつも通りです、と言わんばかりの風情を貫いてきた。
 氷波のように敵意を返すわけでもなくかといって怯むわけでもなく、いぜん飄々とした態度で目の前に座っている。たまにちらりと氷波に視線を向けるのだから気付いていないわけではないだろうに、まったくもって無反応。空気を素通りするかのごとく、ごくナチュラルにかわしている。
 やる気があるのかと聞きたくなり、それでも暫く不毛な沈黙に耐えたあと、氷波は意を決して口を開いた。
「……あの」
「氷波君、だっけ?」
 まるでわざとやってますと言わんばかりのタイミングで中岡が遮った。なんとなく癪に障って鋭い目つきを更に険しくさせるも、氷波は微かに頷き相槌を打った。ふぅん、とそれを眺め、中岡も頷く。
「南夕に会いに来たんだよね?」
「……いいえ、中岡さんにですよ」
「うん、知ってる」
 挑発を込めて中岡にと答えたのにそれを飄々と返す中岡に、氷波の周りの空気にぴしっと亀裂が入った。知ってるなら聞くなと、ますます癇に障った。しかし氷波の変化に中岡はそれほど表情も変えずにそれを眺める。
「俺と南夕が付き合ってるのって、聞いた?」
「ええ。……だから何か?」
 刺々しく返す氷波は、中岡のペースに飲まれまいと気を張っていた。
 そうしてそんな氷波の態度などなんのその、ふいに空に視線を這わせ、思案顔になる中岡。暫しの間また沈黙が続いたと思ったら、解せないと言わんばかりに眉根を寄せた中岡が、氷波をじっと見上げてぼそりと呟いた。
「う〜ん…………君、結局何しにきたの?」
 むかっときた。いや、もっとだ。むかむかむかーっときた。氷波の中の苛立ちが刺激されて爆発を起こしそうなほどに膨れ上がる。しかも中岡のそのさも不思議そうなその顔が、余計にそれを助長させた。
 とことん腹の立つ男だ。このとき氷波は中岡を完全に敵とみなした。人の家だし初対面だからという遠慮は尽く吹っ飛び、氷波はやや皮肉めいた笑みを浮かべてふっと一笑する。
「何しに来た? ですか。じゃあ、言わせていただきます」
「どうぞ」
 にこりと、中岡も笑顔で返す。
 彼は、わからないのだろうか、それともわざとなのだろうか。中岡の動作一つ一つは氷波を挑発しているだけだということを。ひくりと、微かに引きつった笑みを浮かべ、氷波は口を開いた。
「南夕を返してください」
 しんと静まる部屋に、かちゃかちゃと陶器の音が迷い込んでくる。南夕が、ダイニングで用意に励んでいるのだろう。それこそ意気揚々としながら。一方でまさに火花が散らんとしている事も知らずに。いや、既に散っていることに気づかずに。
 それを思い浮かべながら、氷波は注意深く、中岡を見つめた。出方次第では、氷波にも考えがある。もしもこのままのらりくらりとかわそうとするならば、多少勢い盛んでも遠慮なく攻めさせてもらう。元々南夕からの話からもろくな奴じゃないとは思っていたのだ、これを機に一気にかき回せば案外すんなりと別れるかもしれない。
 しかし中岡は何を思ったか、ふっと微笑んだ。それこそ南夕のように楽しそうなという感じでもなく、氷波のような余裕を取り繕う笑みでもなく。ただ穏やかに、それを微笑ましく感じているかのように。
「やっぱり君は、南夕のこと想ってるんだね」
 ぽつりと呟いた中岡のその言葉に、氷波は眉をひそめて中岡を見る。それを解っていて何故、そんな風に微笑んでいられるのだろうか。氷波のことなど、鼻にもかけていないというのだろうか。そう思って言い返そうと中岡を睨みつけたとき、目に映った彼はやや決まり悪そうに、苦笑していた。
「別に南夕は俺のものでもなんでもないよ」
「……は?」
 何を言っているのだろうかと、氷波はあからさまに怪訝な表情を浮かべた。先程付き合っていると自ら言ったのは自分だろうと、至極解せない。
 中岡は、目を伏せると小さく息をついた。
「俺だけのものだったら、いいんだけどね」
 かちゃかちゃと、音が近付いてくる。もう一間あれば、南夕が満面の笑みで入ってくることだろう。そしてリビングへのドアノブががちゃりと下がった瞬間、中岡の一言が、氷波の耳に届いた。
「俺のものにならないから、俺はあの子を気に入ってるんだよ」
 思いもしなかった一言。瞳の奥にはその表情からは考えられないほどの情懐が垣間見えた気がした。おもわず、氷波はぞくりと、胸のうちが逆立つ感覚を味わった。
 開ききった扉からは、両手に入れた紅茶を持って、トレイの上には色鮮やかなフルーツケーキ。何も知らずにこにこと、それを携えた南夕が入ってきた。
「おまたせ」
 ことりと、それを彼らの前に置いて、南夕は嬉しそうに微笑むが、二人の間に流れる妙な雰囲気に気づき、またすぐにきょとんと目を瞬かせる。かたや中岡は穏やかな笑みを浮かべているのだが、かたや氷波はというと妙に、硬直している。それをじっと見てから、南夕は氷波の肩を揺さぶった。
「ひーちゃん? お茶入ったよ? 飲まないの?」
 氷波は一瞬戸惑ったように南夕を見上げたが、すぐにきっと中岡を睨みつけた。そうして間髪入れず、目の前に置かれる南夕の心を込めた紅茶の入ったカップを掴むと、一気に飲み干した。氷波の突如の行動に南夕がぎょっと目を剥く。
「ひっ、ひーちゃんっ! 火傷しちゃ」
「南夕!」
 慌てふためく南夕を見上げ、氷波は不敵な笑みを浮かべた。
「……はい」
 状況が飲み込めない南夕は、困惑の表情でそれを見るしかない。それを意に返さず氷波は立ち上がり、傍らにおいてあった鞄を手に持つと、南夕の頭に手を置いた。
「いつか、むかえにいくから」
「……んん?」
「中岡さん、今日は帰ります。では、また」
 そう言うと氷波は南夕から手を離し、すたすたと出て行ってしまった。そのまま彼がドアを開き外に出て、がちゃんと扉の閉まる音が聞こえてくるまで、南夕はぽけっとその場に突っ立っていた。


 しんとした部屋の中で、南夕は氷波の言葉を頭の中で反芻する。ちょっと、というかかなり、何のことを言っていたのかわからなかった。一体なんだったんだろうと首をかしげたとき、ふわりと、背中に暖かいものが触れる。腰には南夕の手よりも少し大きめの、しっかりとした両手がまわる。見上げると中岡が後ろから南夕を抱き締めて、覗き込んでいた。
「中岡さん……ひーちゃん、帰っちゃった」
「……残念?」
 中岡の問いかけに、南夕は正直にこくりと頷く。まぁ、従兄弟なのだからそれは仕方がないだろう。来たと思ったらいきなり帰ってしまったのだし。
 それでも南夕は身をよじって中岡を見上げると、にこりと微笑んだ。
「でもいつでも呼べるから。だから折角用意したんだし、私が入れたお茶、中岡さんも飲んで?」
 それを聞いた中岡は苦笑すると、南夕をきゅっと抱き締めた。そうして身を屈めて南夕の耳元に唇を近付け、かすれるようにか細い声で、囁いた。
「お茶よりも、南夕が欲しいな」
「……ッ……! な、中岡さん!」
 熱い吐息と共に届いた言葉は、一瞬にして南夕の胸を焦がす。わたわたと耳まで真っ赤になって、南夕は中岡の腕の中でもがいた。しかし上辺だけの抵抗もまた、暫くすればしんとした部屋で治まり、そこには抱き合う二人がいる。少し恥ずかしそうに俯く南夕の髪に指を絡めて、中岡は再度、声に出さずに、囁いた。
 ――俺のものになって。
 静まる部屋を埋め尽くす想いはとめどなく、どれだけ底がしれないのかとうんざりもする。受け止める相手はただひたすらに思いを寄せて、それが向き合っていても奥へ奥へととどまる事を知らない。
 はかりに載せたらどうなるかと、柄にもなく馬鹿げた事までも思ってしまう、ひとときだった。

fin. 2010/4/10微修正。

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