女国外伝

BAD!×3...END?

 さ、さ、さ。
「殺気、殺戮、惨劇」
「いや違う『寒い』。しかし今の発言であんたの脳内が常に極寒である事はよくわかった」
 血が通っていないんだね、知ってる。
 ったく冗談じゃねえよ何が哀しくてこんな極寒で野郎と二人きり廊下で散歩おデートしなきゃならんのだ。明宝さんや露葉あたりならまだ襲い甲斐がありそうなもののこいつときたら俺が襲われかねない。もちろんもれなく冒されるのはギリギリのところで保たれていた俺の生命の保証、権限、尊厳だ。可哀想な俺。同情は要らない。同調は欲しい。ああゆう感じの意味で。
「その気色の悪い緩みきった顔を引き締めろ」
「あっ、すんません……」
 よえー。今この時俺はこの世界のどの生物よりも弱い立場に立っている。情けなさに涙が滲もうとも、隣の修羅に気取られまいとぐっと堪える。ああもうなんで俺がこんな鬼も泣いて逃げ出す修羅場でどMよろしく耐え続けているかって、そんなの説明するまでもない。
 つまり、まあその便所に行って迷子になったついでにこのお方と鉢合わせになったというか、うろついていた所を背後から忍び寄られ刃物で脅されつつその場で半時ほど尋問されたというか、まあそんなところだよ。よくこんな状況で気が狂わないよな、俺。実は精神鍛えられてんのかもね、泣ける。
「……『寒い』と、言ったか」
「へ?」
 ふと呟いたのは、鷹闇様。耳を疑った。疑いたくて、疑った。しかしそれがいけなかったようで。(すくなくともそれまでは)平静だった奴の表情が、俺の応答に瞬時に修羅の顔へと変化した。ぎろりと、刃の刃先よりも鋭い眼光が真っ直ぐに俺を貫く。
「貴様は今『寒い』と発言したかどうかと聞いているのだ戯けが百遍死ね」
 やだ。何でこのお人は普通に会話しようともしないの? 二度目は無いの? 人に向って死ねとか、百とか、もう嫌いよ。寒さとは別の意味で震えながら、俺はよろっとよろめくふりをして奴から距離をとる。背中と手のひらに当たる温度は体温よりも遥かに下回っていて、それをじっくりと味わいながら確かに寒いなと、他人事のように感じた。
「さ、さ、寒いですが、何か」
「そうか」
 人が精一杯の勇気を振り絞って言い返したなんてこいつは微塵も気付いちゃいないのだろう。別に気付かなくてもいいけどさ、人に聞いといて『そうか』だけかよ。何かを期待しちゃいなかったけど、意味もなく拍子抜けだ。
 なんなんだ? と首をすくめつつも恐る恐る見上げると、奴は何か考え事をするように顎に手を当てて俺を見下ろしていた。正直、この間だけで死ねそうだ。
「……なに?」
 耐え切れなくなり問いかけたが先か後か、奴の手が俺の方へと伸びる。意図は解らなかったが本能的に逃げようと身体が横を向いたが、それよりも先に首根っこを掴まれていた。
「ぐえっ」
「以前から性根が弛んでいると懸念していた。いい機会かもしれん、来い」
「ぐっげっ……ぐぅっ」
 これじゃ凍死する前に絞殺死だ。助けを求めて伸ばした指先が白く変色してゆくのを見届けて、俺の思考はそこで途切れた。


「あー……、あー……」
 ゾンビよろしく徘徊中、腕の上がらないいい男多田時生ですこんにちは。腕が上がらないっていうのは『うだつの上がらない』の間違いじゃなく、ましてや職人的な『腕があがらない』って意味でもない。そのまんまの意味です、OK?
 つまり、まあ、気がついたら僕は雪の上に大の字に寝ていまして。いえ、寝かされていまして。起きたら天女が目の前で俺に手招きをしていたとかでもなく、起きたら目の前に悪鬼羅刹が木刀かざして立っていましたということなのです。
 それで、なんで腕が上がらないって? そんなこと聞くまでも言うまでもないじゃありませんか、ねえ。素振りしたからですよ。極寒の中薄着一枚で、雪が一メートル以上積もる庭のど真ん中で、絶賛猛吹雪の真っ最中に、素振り百回ですよ。百回くらいなら腕が上がらなくなるわけないだろうと? 馬鹿言ってんじゃねえよ百遍ぶっ飛ばすぞこのやろう。いや失敬、暴言でした。
 だってさ、一回のカウントをね、あのお方が判断するわけですよ。力が入ってなかったり適当だったり気に入らなかったりその他諸々あらゆる理由理屈難癖つけて却下されたりするわけです。実際何回振らされたことか。腕どころの話じゃない。なんか全身痛いような痒いような。霜焼か皸か、初めて経験した。初体験なんていいもんじゃないよお嬢ちゃん。それでも興味があるなら俺のところにおいで。
「あー……死ねる、死ねるわ、いい感じにナチュラルに死ねるわこれ」
 悪漢に襲われた子の気持ちが解るなあ。こんな、気持ちなんだろうなあ。自分の体とは思えない感覚を引き摺りながら、どこへともなく歩く。早く、早く、暖かい場所へ、辿り着きたい。とうとう力尽きて壁に寄り添いへたり込んだ時、視界に影が差した。
「あら」
「ん……げ」
 こんな絶妙なタイミング、神様の思し召し?絶対俺が嫌いだろ神様このやろう俺だってお前が大嫌いだよくそったれ。
「何でしょう、幻聴……?」
「ぐ、ぎ、ずいまぜんうぞでずゆどぅじでぐだだい」
 『げ』って言っただけでこの有様。解ったこれは神様の仕業なんじゃなくて、ここが地獄だからなんだ。俺が地獄に落ちたからなんだ。だから鬼が俺の背後に回って裸絞とかかけてんだ。納得窒息。
「まあ、こんなにぼろぼろになって、どうなさいましたトキオ様」
「ぐふっ、ゲホッ……ゴホッ」
 半分は君のせいだけどね。解放された喉仏をさすりながら恨みがましい眼差しを背後に向けると、さも心配でたまらないといった表情を作った水城ちゃんが覗き込んでくる。ご丁寧に泣きそうな表情まで作っていらっしゃるが、一粒の涙も見られない辺りまだまだ甘いもんだ。
「あー……もう、いいよいいよ。どうせ俺は虐げられるだけのサンドバックさ」
「はい?」
 もういい。さっさと逃げるが勝ちだ。この子のペースにあわせたが最後命が幾つあっても足りやしない。いつもよりも格段に重く感じる身体を引き摺りながら、壁に頼って歩き出す。床も壁も冷たくて、出会う奴等も冷たい奴ばかり。寒いどころの話じゃない。早く暖をくれ、暖を。
「お待ち下さい」
「うっ?」
 ぐっと止まる歩み。またも後ろから掴まれる。けれど今度は首根っこじゃなく、腰帯の結び目。彼女の背丈と俺の背丈とじゃ結構に差があるから、流石に首根っこは掴めなかったんだろう。自分の背がこの子より高かったことにこんなに感謝したのはこれが初めてじゃあないだろうか。おとと、そんなことに感激している場合じゃない。さっさと逃げねば碌な事にならない、絶対。
「……ちょっと、放してくれない?」
「なにやらお加減がよろしくなさそうにお見受けいたします。よろしければ、私に介抱させてくださいまし」
 う。そんな、可愛い顔して小首を傾げられると。やめてくれ。俺の、俺の、悪い癖が。
「……ね?」
「うん、お願い」
 悪い癖が、でちゃうんだよねこれが。

 で、何をされたかっていうとコレがなんというか拍子抜けといえばいいのか役得? いや棚から牡丹餅? ええいどっちでもいいわ。とにかくありえない。否、ありえてくれてありがとう。地獄だなんてそんなとんでもない。試練だったのですね。神様大好き。膝枕最高。
「お加減は如何ですか?」
「最高です」
 特にこの太股の丁度いい柔らかさ加減とか。手触りでもじっくり味わいたかったけれど地獄の扉を開ける事は火を見るよりも明らかだったので止めた。人間丁度いいラインで止めておくのが一番いい。
 暖かい部屋に膝枕、極めつけは美女。いいねえ最高だねえ。ほのぼのと幸せをかみ締める。思えば、現実から目をそらしているとしか思えないほどの警戒心のなさだった。もちろん俺が。
「では」
「え?」
「少々お耳を拝借」
 何? そう、無防備に、仰向けになった。
「!……っ……っっ」
 人間って不思議なもんでね、余りに怖いとね、悲鳴も出ないんですよ。身体も動かないんですよ。どうすることもできなくなるんですよ。車の前に飛び出した猫が硬直するのと同じ。固まるんですね、全てが。
「私、前々からどうしても気になっていて。人の耳って、どのくらいの深さまで続いているのでしょうか。ご存知ですか? トキオ様」
 ごめん知らない。知らないけどさ、百歩譲って俺の耳でそれを測るとしてさ、針はないんでない、針は。
「まずは右、左……ええと、どちらが先がよろしいですか?」
 どっちもやるんかい。てかどっちも嫌です。
 俺は逃げた。彼女が迷った一瞬の隙を突いて、もんどりうって膝の上から抜け出す。膝枕は惜しいけど、聴力の方がもっと惜しい。だって耳が聞けなくなったら○×だって味気なくなってしまう。ちなみに俺は片耳イヤー型。だからって片耳寄越すつもりもないね。だってほら、たまにはステレオでも聞きたいだろ? 男だったらな。


「……寒い」
 寒い。色々なものがあらゆる点において寒い。心身ともに寒い。誰か助けて。大体なんでこんなに廊下長いんだよ馬鹿なんじゃねえのこんなに長くしてどうすんの百メートル走でもするんですか足袋で。想像すると超うけるんですけどー、あははは。
「ははは……は、は、笑えないヨー……」
 足袋で百メートル走でもマラソンでもなんでもしてくれ。なんでもいいから誰か助けて。もうなんか寒いとか寒くないとかの前に迷っちゃったよコンチクショウ。一体何回迷子になってんだ俺って奴は。
「はあ……」
 今日何回目のため息だろう。俺は今夜ちゃんと自分の布団で眠れているだろうか。温度さえも同化した床にへたり込む。あんまり寒くない。きっと俺が、同じくらいに冷たいから。
「トキオ様?」
 ああ、幻聴まで聞こえてきやがった。それにしても優しい響き。頬にかかる手のひらもまるで本物のように、すごく温かかった。
「今まで何処にいらしたのですか……こんなに、冷え切ってしまって……お可哀想に」
「え? ……あ……明宝、さん」
 地獄に仏ってこのことか。それとも仏の顔も三度まで? いやなんか違うし少なくとも二回目までは仏じゃなくて魔王だった。
 頬に伝わる温度が信じられなくて握り返すと、明宝さんはゆったりと眦を細め微笑み返してくれた。綺麗だ。美人って大抵笑顔にも隙が無いんだけど、この人は違うな。笑ってくれると気分がいい。
「早く参りましょう、お身体を暖めなければ」
「あ、はい」
 あー、これだよこれー。コレを待ってたんだよー。仏ってか女神ってか俺を優しく包み込んでくれる美女っていうか。三度目の正直に感激にも似た思いを噛み締める。やっと俺の苦労が報われるんだ。もう神も悪魔も信じない。明宝さんだけ信じてついていこう。
「では」
 程なくして明宝さんの歩みが止まる。いやいや、RPGじゃあるまいし。暖かくなりゃなんだってどこだっていい……
「隅から隅まで、よろしくお願い致します」
「……は?」
 にっこり笑った、明宝さん。その笑顔は好きだ。でもなんか、でもなんか、よく見たら、あの、あれ? 隙がないっていうより、やけに清清しい? このクソ寒いのに、清清しい?
「全て済ませば、嫌でも身体は温まりますよ。暫くの間お姿を眩ましてしまいましたので、時間がありませんけれど……日暮れまでには終わらせてくださいまし」
 ああそうだ思い出した。俺が便所に行った理由。理由でしかない。このクソ長い廊下の雑巾掛けから逃れるべく、行方を眩ました訳だ。
 笑うしかないよちくしょう。馬鹿だね俺は。三度目の正直ってのはそっちの意味じゃなく、正にこのことだったんだ。

 結局日暮れまで雑巾掛け。笑った俺があの魔の廊下を足袋で全力ダッシュですよ、ホント笑えない。疲れすぎて飯を食う気にもなれず、そのままさっさと布団にもぐりこんだ。


「くそっくそっくそっ」
 腕がいてえ、足もいてえ、全身寒い、眠れやしない。冷え切った布団の中で肩を抱きながらせいぜい一生懸命健康器具よろしくぶるぶる震えてみる。
 横向けになった俺の視界に映るのは、壁に丸く切り取られた白い障子窓。月の光に照らされて、牡丹雪の陰がちらほら舞い落ちる。こういうのをなんと呼ぶのか。天気雨、じゃないな。天気雪、でも夜だしな。
 ああ、くそっ。そんなもんどうだっていい、雪なんて嫌いだ。冬なんて嫌いだ。寒いのなんか大ッ嫌いだ。全てなくなってしまえ。無くなってしまえば、楽なのに。視界に入れているのも、肌で感じているのも嫌になって、頭まで布団にもぐりこんだ。視界感覚シャットアウト。眠れなくても俺は寝る。意地でも眠ってやる。お前らなんか、大嫌いだ。
「……?」
 ふと、冷気が俺の腹やら足やらをさらりと撫でる。ぞわっと鳥肌が立ったその刹那、今度はもぞもぞと何かが進入してきた。温もりをつれて、俺の布団へと。暗闇に慣れた俺の視界に忍び込んできたものは、呆れるほどに小さなつむじ。それが誰かなんて、わからない奴がいるだろうか。少なくとも、今この場に。
 何故だか息を殺してじっとその様子を見つめる俺の懐に、そいつはまたもぞもぞと忍び込んで、すっぽりと収まった。声をかける間もなく、規則正しい微かな寝息が聞こえてくる。俺の手のひらには、納まり損ねた艶やかな黒髪がさらさらと絡まっていた。
「……アホか」
 バレてねえとか、本気で思ってるんだろ。こんなに無防備に、熟睡しちゃったりしてさ。急に色々と馬鹿らしくなって、苦笑ともつかない笑みがこぼれた。それから起こさないようにそっと抱き込んで、背中も収まるように余裕を持って掛け布団で覆い直してやる。密閉した空間の中で惷鳴は身じろぎした。振動で起きかけたからじゃない。丁度いい状態に収まるように動いただけだ。その鈍感なまでの無警戒さが何故だか笑えて笑えて。俺は笑いをかみ殺しながら、惷鳴をそっと抱き締めて目を閉じた。
 冬は嫌いだ。雪も嫌いだ。寒いのも嫌いだ。けれど、こうしていられる間だけは、少しは許してやってもいい。

fin.

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