女国

25.言葉

 簡単に定義できるものじゃない。好きだとか嫌いだとかでもなく、愛情でも友情でも肉親の情でもなく。ただ一言で言ってしまえば惷鳴が俺の中で放っておけない存在になっていたということだけど、その言葉だけで済ますにはまだ簡単すぎる。
 これは俺の勝手な見解だけど、もしかしたら。運命だの必然だのなんて俺は全く信じちゃいない。だけど偶然でもなんでも、俺と惷鳴が出会った事は何か大きなものがあるんじゃないだろうか。これが例え何かの策略だとしても、それでも必要不可欠だったのかもしれない、と。

「いいか?俺の質問には心して答えること。嘘言っても俺にはすぐにわかるからな」
 ちょこん、と目の前に正座する惷鳴。どんなときでも行儀がよく、動作にそつがない。だだっ広い部屋の中には俺と惷鳴だけ。開けた障子も寒いから閉めたし、他のやつらは全員惷鳴が追い払ったし、邪魔者はいないはずだ。
こんなときくらい気を抜けよ、とも思うが、こんなときどころかいつも気を抜いている俺が言う事じゃないな。
 しかしそんな小難しい話をするつもりじゃないのに畏まった姿勢をとられると逆に落ち着かない。どう切り出そうかと冷たい障子に凭れかかっていると、先に惷鳴が口を開いた。
「何故わかる」
 ん?何が?とか思って見返すと、問いかけるような表情の惷鳴と目が合う。ああそうか、何で嘘がわかるんだってことだな。
「そりゃ…俺にわからないことはないから。お前の考えなんざ目を瞑っててもわかる」
 いや、嘘だけど。目を瞑るどころか開いていても凝視しても、かけらもわからない。時々以心伝心するかのようにぴーんと来るだけで、いつもはさっぱりだ。ただこう言っておけば、嘘をついても無駄だと思うかなと量ってみたりして。
 案の定惷鳴はやや驚くようにぱちぱちと目を瞬かせると、素直にこくんと頷いた。けけ、こいつってわかりにくいくせに操りやすいよな。そうして改めて話を戻そうと、俺はゴホンと咳払いをした。よし、本番だ。
「まずはじめにな。お前、昨日俺の布団の中潜り込んだろ」
 びくりと、大げさに惷鳴の肩が揺れた。怪しすぎて清清しいほどに目を逸らして、やや斜めに俯く。ありえないほどに惷鳴の心情がよくわかる光景だ。こいつ…むしろ俺のほうが信じられないが、ばれてないと思っていたのか。アホだ、アホだこいつ。
 噴出しそうなのを必死で堪えてわざと真顔を作って惷鳴をじっと見つめると、暫くしてから惷鳴は言いにくそうに口を開いた。
「いや…も、潜り込んだのでなく私の部屋には布団がなかったので…」
「嘘だろ」
 ありえねぇ、ありえねぇよこのアホめ。なんで俺の部屋にあってお前の部屋にねぇんだよ。意味わかんねーよそんな矛盾した主従関係。なんでわかったの的な目で見られても、誰でもわかるっつーの。なめてんのかこいつ。
「あのなぁ、嘘つくなつったろ。………で?なんで何も言わずに出てったんだ?」
 途端に惷鳴がぱっと顔を上げて、俺の顔を凝視する。今更気付いたのだろうか、俺が超絶かっこいいことに。目を奪われるほどの美男子だという事に。
「私が無断で進入した事については聞かないのか?」
 む、違うらしい。失礼な奴だ。しかし、こんな風に聞き返すという事はきっと俺が怒るか咎めるかするとでも思っていたのだろう。そんなこたぁいいんだよ、来るならきやがれってんだ。そうじゃなくて、俺が聞きたいのは。
「なんで人の寝床入っといて知らん振りしてんだっつの。そのあたりも感じわりーとか思って俺不快な思いになったんですけど」
 一回いたはずのお前がいなくなったときな、結構物寂しく思ってしまった俺をどうしてくれる。プライド傷つけられたっつの。冷めた目でじろりと見下ろすとまた惷鳴は目を伏せて、意図的に逸らした。やましい事があるときはこいつは絶対に俺の顔見ないのな、いい事知った。
 そうして惷鳴は袂をなんとなしに両手で掴みあぐねて、二・三度口を開閉してからぼそりと呟く。
「と、トキオが私を快く思っていないからだろう」
「はぁ?」
 意味がわからない。なんでいきなりそういうことになるんだ。全く言っている意味がわからなくて顔を歪ませると、表情は全く変わらないがなんとなく気まずさの伺える惷鳴の瞳が俺の姿を真正面から、映し出した。膝を両手で握り締めて、なんとも微妙な表情で俺を見上げてくる。
「な、なんだよ…。俺別にそんな…」
「トキオは私を嫌っているのだろう。疎ましいのだろう」
 なんだ、こいつ、いきなり何を言うかと思えば。これじゃあまるで俺が悪者だ。むしろそれはこっちの台詞だと言いたい。昨日の夜も人を追い出して、朝になればいないし会っても目を合わせない、さっきに至っては惷鳴自ら忘れろといっていただろうが。
 なんだかさっきの怒りがぶり返してきて、いらいらしてきた。やっぱり俺には惷鳴の考えてる事なんて全くわからないね。盲目な惷鳴の言い草にカチンときて、俺は惷鳴をきつくねめつけた。
「お前さ、何勝手に人の気持ち決め付けてんの?俺そんなこと一言も言ってないよね? お前聞いたの?俺の口から、ねぇ?」
「………ない」
「聞いてねぇだろ?言ってないもん。嫌いだ疎ましいだぁ?だったらこんな手切ってまで誰がお前に話しかけるよ。それとも何? 俺の手切り損ですか? お前が俺と話す気になったのは、そんなこと言う為だったんですか?」
 平手を差し出すようにして、べらべらとまくし立てる。俺は本来なんでも溜め込んでおけない性質なんでね、この際だからとはっきり言ってやった。無駄に言葉の駆け引きなんざしても、余計にややこしくなるだけだ。特にこうゆうわけわからん単純思考のやつにはな。
 ちなみに手の血はもうとっくに止まっている。見る分には痛々しいだろうが、実際はそんなに痛くなかった。演技力のある俺の手、よくやったと褒めてやりたい。褒めちぎりたい。
 そうして最後にふん、と皮肉交じりに鼻を鳴らすと、惷鳴はやや眉根を寄せて居た堪れなさそうにした。少しだけそんな表情に、口元が緩んでしまう。
「違う、違う。そうではない。ただ…私を…」
 惷鳴はそれだけ言って、また口を噤む。こいつは俺の問いかけに答えるとき、言いにくいときはすぐに口を噤もうとする。他のたわいもない質問なら淡々と答えるくせに、こうゆう時だけは貝のように口を閉ざしてしまう。頑ななまでのその態度がいらだつというよりむしろ妙に切なく感じるのは、どうしてだろう。
 そう思ったときに、また惷鳴をかちりと目が合う。感情がないというよりも今はどうしてだろうか、自分のそれと葛藤しているように見える。それを出すまいと葛藤しているように、危うく揺れる漆黒の瞳。ああ、そうか、やっぱりないんじゃなくて、本当は。
 ようやく気付いて、惷鳴の頭に手を置いてゆっくりと撫でる。俺が触れていることで頑ななそれをどうにか解きほぐせないかと、内心祈りつつ。
「なぁ、俺なんかにさ、遠慮する事ないんじゃねぇの?」
 たった一言かけた言葉に、ほんの少しだけ惷鳴の体の強張りが解けた気が、した。その中身を恐れるように、でも求めるように、ゆっくりと俺の手の下から見上げてくる。人の顔色なんか伺いやがって、本当にアホだこいつは。
「お前皇帝なんだろ?偉いんだろ?臣下の俺に何遠慮する必要があるよ」
「…私は遠慮などしていない」
「してるだろうが。人の顔色ばっか見て、頭ん中で言うか言わないか余計な打算ばっかして。そういうのやめろって言ってんだよ」
 どうせ誰も聞いていないのだからと、言いたいことを言いまくる。一応、ガキが余計な気まわさんでよろしい、という言葉は飲み込んだけど。そうしてわしわしと頭を撫で回してかく乱しつつ、ふっと笑った。ちっせぇ頭だなぁと、手のひらで感じて。
「言えよ、言いたい事はなんでも。少なくとも俺の前でくらい。なーんにも考えないで、思ったことすぐに口にしてみろ」
 聞かせてくれよ、お前の言葉。普段は口数が少ないけれど、そんなの嘘なんだろ?ほんとは。色んな言葉がお前の中にあって、それはきちんとお前の中で生産される。だけどそれはお前によってぎゅうぎゅうに押し込められて、捌け口求めて彷徨ってる。どれだけあったっていいさ。どれだけ溜め込んでたっていいさ。一つ残らず受け止めてやるから。一つ残らず拾い上げて、俺の中に留めておいてやるから。
さらりと揺れる黒髪を何度も何度も梳いていると、だんだんと惷鳴の顔が変化していった。
 なんだか、そう。昼間見たときのように、いやそれ以上に泣きそうな顔に歪んで、口はへの字になって。じっと見つめているといままでぎゅっと締められていた唇が、無理矢理開くように動いた。
「私は皇帝だ。己の判断のみで勝手な行動は取れない。いつも誰かが見ているのだから、いつも強くあらねばならない。弱みなど見せてはいけないのだ。恐れなど抱いてはいけないのだ」
 いつもより雄弁に紡がれる惷鳴の言葉は言えば言うほどくぐもった声になっていき。あまりの様子の変化に正直俺も驚いてしまい触れていた手を止めると、今度は惷鳴の手が伸びてきた。おずおずと、俺の手に触れて両手でぎゅっと握り締め。そうして抱えるように抱き締めて、顔は俯きつつも震える声が俺の耳に届いてきた。
「私は………トキオ、トキオが…わ、私を…」
 指先にかかる熱い息。じんと広がる、小さな熱。
「恐れたのだ…私は。……恐れを感じて、いたのだ」
 何を。
「トキオが私を拒絶する事を。……だから、だから」
 ぶるぶると震える手で俺の手のひらに縋りつき。いっぱいいっぱいな惷鳴の独白。これを言う事にどれだけお前が苦労したか、俺にはわかるよ。どれだけそれが難しい事だったのか、今ならわかるよ。
 ようやく一つだけ見つけ出した、惷鳴の感情。掴んで離さないために、俺は惷鳴の手を握り締めた。
「………離れないでくれ」
 たった一言。たったそれだけ。でも多分ずっと忘れないであろう、惷鳴の最初の言葉。

   

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