極彩色伝

眠る小部屋に天使の羽

 うきうき気分が止まらない。 急ぐ必要もないのにワクワクしすぎて部屋中を行ったり来たり、身体と心が忙しない。
でもこれもしょうがない事なんだ。なんてったって今日はお出かけなんだ。昨日の夜ラミスト様が湖に連れて行ってくれるって言ってくれたから。あたしがいつもこのお宮の中で引きこもっていることに気を使って時間を作ってくれたんだと思う。いつも忙しいみたいだし、顔を合わせられない日も結構あるくらいだから。
 お世話になっているのに気を使ってもらうなんて申し訳ないなって流石のあたしも思ってはいるけれど、『たまにはいいんじゃないかな』って呟いたラミスト様を見たら遠慮する気にもなれなくなった。
 『たまにはいいんじゃないかな』
 きっと、自分に向けても言った言葉なんだと思うんだよ。

「ラウ、ラウ、お出かけまであとどれ位? ……おとと」

 服から頭を抜きながら、ついたての向こうにいるラウを覗いた。 ついたてがおっきいから背伸びしたら思い余ってのけぞっちゃって、倒れそうになっちゃった。あたしがちびなんじゃない。こいつがでかいのだ。

「日が昇りきりましたので、あと半刻ほどですね」

「うっ、もうすぐじゃん」

 お昼御飯を食べてから行くって約束なんだ。多分ね、午前中はお仕事だ。ちょっと心配なのは、ラミスト様が時間を削るあまりお昼御飯を抜いてこっちにきちゃわないかなって事。ラミスト様はすごくすっごく優しいから、そこまでしちゃいそうな気がするんだ。それは嫌だな。お腹いっぱい元気いっぱいでおでかけしたい。『たまには』なのに、無理はさせたくないよね。
 とかなんとか思いながら、あたしはこうしてちゃっかりお出かけに何を着ていこうかなんて悠長に悩んでいるんだけどね。もちろん御飯はいっぱい食べた。美味しかった。思い出して、思わず顔が綻ぶ。今日もラウのご飯は美味しかったなあ、夕ご飯は何かなあ。

「ねえねえラウ」

「はい」

「今日の夕ご飯は何かなあ」

「昼食をとったばかりだろう」

「だって楽しみなんだもん」

 あれ? 首を傾げる。なんだかラウの声が急に低くなったぞ。明らかな変化になんだなんだなんだと思って覗くと、ついたての向こうには散らかった服を畳むラウの後ろのところで可笑しそうに笑っているラミスト様が佇んでいた。
 あわわ、変なこと聞かれちゃった。というかレディが着替え中だぞ、いくらラミストさまでもノックくらいはしなさい。

「ラミスト様!」

「ごめんごめん。一応声はかけたつもりだったのだけど」

 一応じゃないよ。ついたてがあるから着替えているところを見られたわけじゃないけれど、なんとなく気恥ずかしくてぷりぷりと怒った表情で着かけの服をささっと調える。
 うう、まだ決まってないんだ。意外と来るのが早かったなあ。万全の状態で見て欲しかったなあなんて本心を隠しつつ観念してついたてから出てくると、ラミスト様は片眉を上げ陽気に微笑んだ。
 お仕事をしてきたはずなのに、疲れた表情は絶対見せないんだよなあ。疲れたとも言わないけど、疲れてないなんて、言っていないのに。

「どうした? 着替えは済んだのかな」

「う……えと、うん、まあ」

 済んでない、気がする。まあいいや、待たせるのも悪いし。ちょっと残念なような今まで悩んでいたのが馬鹿らしいような気分になって眼を逸らすと、苦笑するラウと目が合う。ラミスト様には言わないでねって、目で訴えたら頷いてくれた。

「イール」

「あう、はい」

 目を話した瞬間に、『いーる』、なんてちょっと優しく伺うように呼ばれて、なんだかどぎまぎした。優しすぎるのも考え物だ。王子様の癖に、何でもっと傲慢とか偉そうとか、ないんだろう。ダルガとかアナトの不遜さが欠片もない感じ。ラミスト様のこういう態度に、たまにあたしは落ち着かなくなってしまう。なんでだろう。なんでかな?
 首を捻ると、ラミスト様は屈んであたしと目線を合わせて、にっこり笑った。さらりと揺れた銀髪は、今日もうっとりするくらい綺麗だ。

「急がなくていいよ」

「へ?」

「好きなものに着替えなさい。置いていったりしないから」

 いいの? ほんとにいいの?
 じっと見上げると、ラミスト様は更ににこにこと微笑んでくれた。うう、でも、この態度はなんだかなあ。落ち着かない理由が解ったかも。優しいって言うか、小さな子供に接するような態度なんだ。それって子ども扱いされてるってことだよね。くそう、なんだか悔しいぞ。あたしはもう子供じゃないもん。ちっちゃくないもん。身長は、まあ、この際無視するとして。

「いいもんこれで」

 口を膨らませてぷいっとそっぽを向いてやる。
 なんだかなあ、こんな事でへそを曲げるつもりもなかったのに。なんだか流れ的に。あたしって実は素直じゃないのかな。というかラミスト様相手だとうまくいかないんだよなあ。
 なんでかなあ。心の中ででっかいため息。これから先どうしよう。ううん、うまくいかない。わからない。
 困って次の言葉に詰まった瞬間、頭にぽすりと手が乗った。ラミスト様の右手が、ゆっくりさらさらと、あたしの頭を撫でてくれる。後に引けない気分だったのが、さらりと溶けた。

「いいから着替えておいで。俺も一緒に見立ててあげる」

 簡単ににっこり笑われるよりも、その丁寧に撫でる手つきがあたしの心をほぐしてくれる。もういいや、なんて思いかけたのになあ。そう言われて簡単にその気になってしまうあたしは、多分結構流されやすいのだなあ。




 湖は首都から少し離れた北の方位にあるらしい。湖の水はこの国の河のように黒いわけではなく透明で清浄された綺麗なものらしく、首都に住む人々やその近辺に住む人々が飲み水として汲みに訪れる日常に極近い庶民の湖だそうだ。
 王様やラミスト様みたいな王族の人たちも同じ水を飲んでいるのかな? それともどこか違うところから仕入れているのかな?それは解らない。でもその湖の水を飲んでみたいなあって、ちょっと思った。
 そしてその湖が日暮れになって差し掛かる夕日が絶景なのだと、ラミスト様は言った。だから夕暮れまで時間があるから着替えていいって言ったのかな。

 そんな事を考えながら普段よりもラミスト様とお喋りしながら、ラウの持ってきてくれた服に色々と着替えてみる。あれが好きとか、こんな色がいいとか、あの形がいいとか、こんなものが似合うよとか、ラミスト様は色々見て色々と教えてくれた。
 なんだかちょっと嬉しかった。久々にラミスト様といっぱい喋れたなーって思ったら、最初のうきうきわくわくよりもずっと気持ちが舞い上がった。
 多分あたしは『たまには外にでかけたい』っていうことよりも、『たまにはラミスト様ともっと一緒に居てみたい』って思っていたのかもしれない。少し甘えたい気持ちになっていたのかもしれない。きっと接する時間が短くて、寂しかったんだな。
 そんな自分の気持ちに気付くと気恥ずかしいようなくすぐったいような、そんな気分に駆られる。誰にもいえないな、これは。
 意味もなくにやにや怪しく笑いながら、最後にラミスト様がいいと言ってくれたものに着替える。鏡を見て、きちんと隅から隅まで整えて、ラウに「いい?」と聞いたら、にっこり満面の笑みを返された。バッチリOKらしい。うむ、仕度準備完了だ。日暮れにはまだ十分時間はあるな。
 お待たせしたなラミスト様、と、覗くと。
 あれ? あれあれ。

「……ラミスト様?」

 さっきまで窓縁に肘を突きながら椅子に座って待っていたはずのラミスト様。俯いた顔は、まとめた髪から零れる銀糸のベールで隠されている。そっと近付くと、少し丸まった背中がゆっくりと規則的に動いていた。気配を悟られないようにゆっくり近付いて、顔を覗きこむ。
 ああ、やっぱり、寝ちゃってる。ぱちくりと瞬きすると、とんとんと肩を叩かれた。ラウが薄い水色の毛布をあたしに差し出してくれた。
 うん、そうだね、寝かしておいてあげよう。湖はまた今度でいいや。ゆっくりそーっと、毛布を肩にかけてあげる。ラミスト様があたしの頭を撫でる時みたいに、丁寧に。

 それから眠っているラミスト様の足元に、音を立てないように気をつけながら慎重に座って、その寝顔を見つめてみた。身体が僅かに上下する度に少しだけ揺れる銀色の髪が、窓から射す陽気を反射してきらきら透明な光を帯びる。
 深い深い濃紺の瞳は見えないけれど、長くて細い睫も綺麗。線の綺麗な鼻の筋に、薄い唇。全部が全部、綺麗な人。眠っていても、疲れた表情はしていない。ただ眠っている、そんな感じ。

 じいっと見つめているうちに、色んな事を思った。
 気を使わせちゃってごめんねとか、お仕事で忙しいのに時間を貰っちゃってごめんねとか、待たせちゃってごめんねとか、謝りたい言葉を沢山思いつく。
 忙しいのに時間を割いてくれてありがとうとか、湖の話を聞かせてくれてありがとうとか、服を一緒に見立ててくれてありがとうとか、そういう言葉も思いつく。
 でもそれでも黙ってラミスト様の寝顔をじっと見つめる。

 珍しい、気がする。思えばラミスト様の寝顔なんて、見たことないからなあ。考えすぎかもしれないけれど、多分ラミスト様は、そうゆうところをあたしに見せないようにしているのだろう。
 疲れた顔とか、悲しい顔とか、怒っている顔とか、なるべく見せないようにあたしの前では笑うように努めている、気がする。勘だけだけど、あながち外れているとも思えない。
 きっとあたしが、ラミスト様に背負われている存在だからなんだろうな。どんなにがんばろうとしても、一人で立とうとしても、ラミスト様に助けられた事実は消えないしあたしも忘れるつもりはもちろんないし、ラミスト様だってきっとそれを意識し続けている。
 自分はこの存在を助けたんだって、責任感を持っているんだろう。異様に優しいのは、その表れなんだろう。頼る側はたまに頼っている相手にも頼って欲しいと思うけれど、頼られる側は多分そんなに簡単に頼れない。頼ってくれる相手に応えようとするから、頼ろうと思わない。真面目で優しい人ほど、そうなんだろうな。少なくともラミスト様は、そうなんだろうな。
 ごめんね、ありがとう。
 閉じた瞼の奥に広がる夢の中のラミスト様に、たくさんたくさん言いたい。
 でも言いたいけれど、今は我慢するよ。
 またじいっと見つめて、あたしもやっと微笑み返した。ラミスト様が、あたしに笑いかけるみたいに。

 ねえ、ラミスト様。
 あたしに頼って、なんてそんな無責任な事は言わないよ。
 でも今眠っている間だけは、あたしが守るからね。ラミスト様の夢の中だけでも、あたしが守って見せるよ。
 だからだからね、湖はいつになってもいいよ。
 あたしが守っているから、いつまでも眠っていて。眠っている間は、守らせて。
 ねえ、おやすみ、ラミスト様。

  

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