極彩色伝

81.Pandora.X

『彼の方は天使にあらず。その実皇子の拾い物で、元は下賎な奴隷の身の上である』

 まさに真実だ。これ以上暴きようが無いほど、真実をついている。
 逆に、どうして、と謎めくほど。的確すぎる。噂の域を逸するほど、仔細を紡ぐ一文。まるで見てきたかのように。
 痛撃な揺さぶりの中で、色はかろうじて咄嗟に悟った。動揺してはならない。動揺を現してはならない。そうでなくば、きっと即座に肯定と受け取られるだろう。肯定。或いは、嘘。今更、考える事じゃあ、ない。
「……ひどい噂だ、なあ」
 色は軽い笑みを返した、つもりだった。心中こそそれとは相反していたものの、目に見えるところまでは装ったつもりだった。
 けれどシュウザが、表情にこそ変化に乏しいが、しかし今の色の反応に少なからず慄いている事を、色は目ざとく察知する。間違った反応だろうか。一瞬焦り、それでもすぐに打ち消す。
 なんであっても、否定、しなくちゃ。いや。否定、では無く、肯定だ。単なる噂でしかないという、肯定。どうにかそう思い込ませなければならない。ラミストが居ない今、色一人ででも。
「噂、と?」
「噂、でしょ?シュウザがそう言ったんじゃない」
「そう思われますか」
「そう思うほかに何があるの?」
 目が逸らせない。このままあの静かな瞳に見据えられていたら何かを気取られそうだ。けれど、逸らしてもまた、気取られるかもしれない。言葉の探りあいなんてできない。あくまで噂。だったら、それだけを徹底しよう。
 こくりと、小さく喉がなった。シュウザ自身はどうやら、当てが外れたような表情を浮べているようだ。猜疑心だけは未だちらりちらりと覗いている。
 それもそうだ。今の色自身でさえ、不確定要素だけで織り成されたような砂上の城で孤立していることを、今ならいやでも理解できる。ただ神の使いだと声高高に叫び散らして、王族のラミストの後押しで辛うじてしがみ付いていることに他ならない。
 色自身でさえこの身を疑っている。自分には身分なんてないし、奴隷だの天使なんて言う枠そのものとまるで違う次元で生きている。正直、自分は高校二年生のごく普通の一般家庭に生まれた次女です、と自己紹介したほうが余程自分自身に納得できる。
 要するに色自身でさえ疑っているものを、この国の国民であり、なおかつ身分のあるシュウザが疑うのは当たり前の事だと言うことだ。
 虎の威を借る狐、なんてことわざがあったっけ、とふと思い出す。ラミストの力におもねって好き放題していた結果がこれだ。むしろ今までこんな糾弾がなかったことにさえ、疑問を浮べたいくらいだ。きっとそれも、彼らに守られていた代物のお陰だ。とことん、気付くのにも遅すぎるほど、愚か。ばか者だ。
 自嘲の笑みが滲み出る。シュウザは色の皮肉った笑みを誤解したようで、不快に眉を顰めた。
「何が可笑しい」
「可笑しくなんか、ない。馬鹿馬鹿しいだけ」
 シュウザが、目をきつく細めた。その手は腰に掲げた柄に添えられ、今にも抜かれんと、乾いた金音が色の耳にも届いた。
「化けの皮が剥がれたか、痴れ者が。閣下、恐れながらこれは天使に非ず。どこぞの愚か者の手引きにより、我らは愚か恐れ多くも殿下を欺き御身の皇位にあやかり取り入ろうとしたけだものです」
「何を、馬鹿な」
「笑い事ではありませぬ」
 ダルガはさも呆れたように苦笑を浮べている。事情も何もかも知っている人だからこそ、なおも可笑しいのかもしれない。彼からして見れば、色がしていることもこのやりとりさえ、茶番にしか見えないのかもしれない。色が何を言っても笑ってやり過ごしていたのは、そういう滑稽さが可笑しかったからなのだろう。
 でも色は、踊らされたままでいるつもりは無い。
「お前もまた曲がりなき生真面目さ、恐れ入るよ」
「そのような戯言を……毒されたか」
「はは、毒された、ね。なんとも物騒な言われようだな、イル」
 ぐりぐり、頭を撫でられる。力が強いせいで色の頭もぐるんぐるん揺れている。その手を全力で払いのけて、色は手ぐしで髪を梳かしながら肩をすくめた。
「失礼しちゃうね、全く。こんな可愛い乙女を捕まえて。神様の罰が当たるよ」
「なにを」
 なおも高らかにダルガが笑う。こいつ、笑い上戸ではなかろうか、と色はダルガをねめつけた。
 全く、ふらりふらりと寄る辺のない態度ばかり取る人だ。軽薄ともまた違う。突き放したようで転びそうになると手繰り寄せて、戸惑っている間にそれ行ってしまえとまた突き放す。玩具にしているのか、それともそれも彼の策なのか、それは色にもわからない。
 余程シュウザのほうが解りやすい。ほら、こんな風に。真っ直ぐに、意思をぶつけてくる。色の首筋には、ひたりと、冷たい刃の感触が張り付いていた。
 身体の芯から恐怖ですくんだ。へたりこまなかっただけ、良かったかもしれない。
「茶番は終わりだ。閣下の余興にはよくよく飽き申しあげる。このような事態においてなおも……殿下の御身が、危険に晒されているというのに」
「全く見上げた忠義者だな、お前は」
「お解りならば疾く御裁可を。今果たさねば御身ご自身の地位ですら危ぶまれる事態になりかねません」
 ダルガの地位?
 見上げようとしたけれど、今は情けなくも指一本動かせない。冗談でも首と胴が泣き別れ、なんて事態にはなりたくない。だって死にたくないし、痛いの嫌だし。
 ちょっと言い訳のようにぶちぶち考えつつ、首に据えられた刃にだけ集中しようと気を取り直す。後で聞けばいい。今は、こっちの事だけ考えよう。無駄にあれこれ考えるからぐらぐら揺れる。揺すられる。弱いだけの心なんて、もう真っ平ごめんだ。
「あの……」
「口を慎め。発言を許可した覚えは無いぞ」
 うん、よし。ぶちっときた。もう駄目だ。もういいや。そうそう、前々から思ってたんだ。
『なんでそんなに上から目線なんだこのやろう』
「いいかげんに、しやがれコノヤローッ」
 がしいっ、と力いっぱい刃を握った。
 ん? 前にもこんなことあったような。目の前の男の面食らった表情を見ながらデジャヴを感じたけれど、もうそんなことは既にどうでも良かった。とにかく頭に血が上っている。摂氏百度オーバー、沸騰中の沸騰、ぼっこぼこ腸が煮えくり返っちゃっている。おでん名人も唸るような結構な煮込み具合でよろしいですこと。
 さあ、もう怖いものなしだ。ストレス発散タイムの幕開けだよ。
「こんなもの室内で振り回してっ、危ないでしょっ! あたしを誰だと思ってんの? 女の子だよっ、か弱き乙女だよっ、馬鹿みたいな筋肉もない、物騒な剣も振り回せない女子供ですよ! それに向ってなに? これ! ブシドー精神もキシドー精神もあったもんじゃないよ! 最低最悪! 卑怯者!」
 卑怯者の辺りで、ひくっとシュウザの顔が引きつった。
 知るもんかい。色なんてさっきからずっとビビリまくって全身引きつっている。筋肉痛になりそうなほどだ。最も、今は怒りで鼻の穴がひくひく引きつっているけども。
「可哀想だと思わないの? このか弱き乙女の繊細且つ珠のような美肌にちょっとでも傷つけてご覧! ダルガが許さないんだから!」
 ぶはっ、と後ろで噴出す気配。後でシメる。コレ決定。
「解ったらこの刃物どけてよっ、失禁したらどうしてくれる! おもらし天使とか変な風評たってラミスト様に知れたらどうしてくれるの!」
 最早後ろでは大爆笑だ。腹の立つことこの上ない。こんな冷や汗流す間もないシリアスシーンで笑う奴があるか。見上げた神経だ。
 ていうか、なんで、なんでダルガってばこの状況に置かれて色を助けようともしないのだろう。守るだなんだと言った舌の根も乾かないうちに。これだから信用ならないんだ。
 未だ刃がそこにあるのにも拘らず、もうなにもかもがどうでも良くなったのか色は威勢よく振り向いて、笑っているダルガの向こう脛を渾身の力を振り絞って蹴り上げた。
 さすがに、爆笑を途絶えさせる効果はあったようだ。凍りついた表情のダルガにふん、と一息つくと、またもや色は威勢よく振り返った。先ほどまで突きつけられていた刀は、まるで所在なしとばかりにシュウザの脇に垂れ下がっている。
 ふん、それでいいのだよ。尊大な態度でそれを睨んで、ついでとばかりにシュウザを見上げた。
「だいたい、あたしまだ怒ってるんだからね! アセムにあんな風にひどいことしてさ! アセムだって子供だよ? 多分あたしよりも年下だし。それなのにあんな風に……殴ればいいってもんじゃないでしょまったく。野蛮人!」
 言いたい放題、逆に言えば言われ放題。シュウザは唖然として色を見下ろしている。何か言いたそうな顔をしているけれど、それを待ってあげるほど色はお人よしではなかった。まだ、まだ、言いたいことがある。
「あとその偉そうな態度っ、何様なの? 少々だか胡椒だか知らないけどさ、ちょっと態度不遜にもほどがあるよ! あたしが奴隷だろうとなんだろうと、あなたが例えば王子様でも王様でも、あたしとあなたの間に上下なんかないんですからね! そこ勘違いしないでよね!」
「なんだと……」
 色が噴火してから暫く唖然としていたシュウザだったが、ここでまた目の色に怒りを帯び始めてきていた。それでも引けない。引いてはいけない。ここで挫けたら、怯えたら、今まで言ってきたことがもとの木阿弥になってしまう。
「なんだとって? こっちの台詞だよ! 言ってる傍から偉っそうに。言っておきますけどね、あなたよりダルガのほうが偉いんだからね! そのダルガに抱っこしてもらえるあたしはもっと上なんだからね!」
 また後ろで噴出す気配。もう放置だ。
 とにかくもうオドオドするのは止めだ。もとより性に合わない。言いたいこと言わずに言われ放題やられ放題なんてやってられっか。
 胸を張って。どうせ嘘をつくなら、誰も疑いすら出来ないような、稀代の大嘘吐きにでも何でもなってやるさ。
「いい? あなたはあたしを疑っているようだからこの際はっきり言うよ。ちゃんと聞いていてね」
 一歩、また一歩とゆっくり踏み出して、シュウザに近付いた。彼に怒りの色が燻っていても、もう自分に手は出さないだろうと思っていた。アレだけ言った後だ、手を出すわけにも行かないだろう。
 ただ変わらないのは心臓の鼓動。最初は怯えに、次は怒りに、それから違う音色へと変貌しながら、色を後押しする。
 ああ、これが、この気持ちが、人と向き合うことそのものなのだ。怖くて、勇気をめいっぱい振り絞らなくちゃで、でも一筋の希望がある。相手が一人の人間ならば、色もまた一人の人間だ。一対一だからこそ、踏み出せる力がある。信じられないほど程遠い身分も、首が痛くなりそうなほど身長差があっても、感情の温度差があっても、それでも一対一だ。一人と一人の人間の間に、それ以上のものもそれ以下のものも産まれない。絶対に。
「あたし……あたしはね」
 だからラミスト様。ごめんね。
 沢山傷つけたけれど、それでもやっぱり思う。どんなに遠くたって関係ない。ちゃんと向き合いたい。一人と一人になって。
「あたしは確かに……シュウザの言うとおり、人に売り買いされてた。ううん……ラミスト様に、買われたの」
 言った。ついに、言ってしまった。でも、今までずっとそのことについては、ラミストは何も言わなかった。言ってはいけないと、口に出して言われたことなど一度もない。ただ、言ってはいけない雰囲気だから言わなかっただけの事。隠さなければいけない雰囲気だったから、隠していただけの事。
 それもきっと、様々な事情はあるにせよ、理由の一端は色にもあったのだと今は解る。正直、考えなかった。考えたくなくて、考えないようにしていた。思い出すのも嫌で、明るく振舞うだけで、それに触れる素振りすら見せなかった。
 もしかしたら、避けてさえいたのかもしれない。思い起こせばラミストがあの時のことについて口にすることなどなかった。色がそうさせた。だって、自分が人に物のように売り買いされたことなんて、信じられなかった。
 今だって、夢のように感じる。いや、それも感じていたいだけなのかもしれないけれど。ただ、色がそれを負い目に感じていたことだけは事実だ。色自身が、その事実を認めてしまっていた。現実逃避をする心の裏で、ひしひしと、常に負い目を背負っていた。
 いつか、真実を知っている人間が現れるかもしれない、と。いつか、真実を語る人間が色を追い立てるかもしれない、と。もしもそんなことにでもなったら、ラミストだってさすがに色を見限るかもしれない。そんな愚かな恐れさえ抱いていた。心の奥底のどこかで、誰も信じていない、誰もかもを疑う色がいた。
 そんな自身を感じつつも、直視できずに、ひたすら周りに愛想を振りまいていた。そういう自分を、周りで見ていた人が少しも気付いていないはずなどない。きっとそれは白けるほどに丸見えで、見ていられるようなものではなかっただろう。
 それでも何も言わなかった、優しい人たち。そんな優しい人たちに、いつまで経っても怯えていた色。悔やんでも悔やみきれない。貴方達を心底疑っているし、気を許す気もないし、信じる気もありませんよ。笑顔で、そんな事を言っていたようなものだ。
 誰が残酷かって、そりゃあ、色が一番残酷だ。怖いからって、なんでもしていいはずもないのに。怖いからって、何も解らない振りをしていいはずもなかったのに。
 そうやって、肝心なことも、大事なことも、目の前に置かれると途端に口を閉ざして、美談を振りまいては、自分の汚い部分だけ知らない振りをして、ふんぞり返る。天使でいたくて、笑っていたくて、安心していたくて、できるだけ安全でいたくて、みんなの傍にいたくて、一人でいるのはいやで、絶対にラミストの傍からは離れたくなくって、なんて我侭ばかり。そんな、全てが自分の為に、自分の恐れの為に、人を振り回して、利用して、あげく惜しげもなくびいびい泣いて落ち込んだりしていた自分。
 ダルガやアナトが時々冷たい眼を自分に向けてくる理由が、やっと解った気がした。今、鏡を見てみれば、自分も同じ目を自身に向けることだろう。こんな卑しい自分には同情の余地もない。奴隷といわれれば、確かにその通り奴隷だ。
 ずっとずっと、自分の奴隷だった。卑しいばかりの自分にへつらっていた。
「シュウザが……あたしを奴隷だというなら、それでも構わない。事実だけ見れば、それはその通りだから。でも」
 でも、いまは、もう。
「でも、あたしはあたしだ」
 そうだ。色は色だ。誰になんと言われようと、例え物のように売られようと買われようと見下されようと崇められようと、それ以前に色は色だ。それは誰にも覆せない。色自身にさえ。
 それをずっと認めてくれていたのは、他でもないあの人だ。あの人が笑って『イル』と呼んでくれるたびに、なんだか安心できた。そうして名前を呼んでくれる人が増えるたびに、安心した。
 だから、あの人が、誰かが、色の名を呼んでくれる限り、色は色でいられる。どこの世界にいたって関係ない。どこにいたって、名を呼んでくれる人がいればそれでいい。奴隷であっても、奴隷でなくても、天使であっても、天使でなくても、他の大勢になんと言われようと構わない。もう、そんなものには惑わされない。
「奴隷が天使でいけない? 天使が奴隷だったらがっかりする? だったら、シュウザはあたしが何になれば納得するっていうの? 大事な事は、そんなことにあるの? どんなに高い身分で縛ったって、シュウザはこの先もずっとあたしを疑い続けると思うよ。だって大事なのは、そんなことじゃないもんね」
「私は……」
「別に疑ったっていいんだよ。信じるも信じないもシュウザの自由だし、あたしがそれを強要する必要も術もないし。でも一つだけ言わせて貰うよ」
 シュウザの、瞳を見つめた。
 三白眼で、目つき悪くて、表情に乏しいけれど、少し揺らいでいるのが見える。割と真っ直ぐな人なのかもしれない。そういう人は結構、嫌いじゃないんだけどね。
 そんな事を思いつつ、でも、きっと睨みつけた。今だけは負けない。引かない。これだけは譲れないから。
「あたし自身を疑うのはいいけど、ラミスト様を疑うのは許さない。あたし自身を否定するのはいいけど、あたしを天使だと言ってくれたラミスト様の言葉を否定するのは許さない。身分なんて関係ない。あなたが、ううん、この世界の人がそれを否定するなら、あたしはそれを絶対に赦さない。それがどんな人だろうが、許さないから!」
 あの人を否定するものは全部許さない。真っ向から立ち向かってやる。迷うものも疑うものも歯向かうものにも、ラミストに届く前に色が立ちふさがってやる。存分に妨害してお邪魔し捲くってたたき出してやる。それが色の、天使としてのけじめであり、務めだ。
 このひ弱な身体じゃ頼りない。だったらせめて、少しでもよりよく、安心できるよう、いつか本当に心から微笑むことが出来るように、その心を守ろう。沢山傷つけたぶんも、お釣りになって返ってくるくらいに。胸を張って、あの人の盾になろう。どんなものからも、どんな人からも、きっとあの人の心を守ろう。その為にこの心を賭けよう。
 それが色にできる、彼への、最大級の恩返しなのだから。誰にも文句は言わせない。だって。
「あたしは、ラミスト様の天使。そしてそれを否定できるのは、この世にたった一人、ラミスト様しかいない」
 色は、この世界でたった一人の、色にとっての天使に傅く。身分も、立場も、国も、世界も、何も関係ない。
 ただ、彼が彼であって、そんな彼の事が色は大好きだから、彼のためにできることをするまでだ。
 これからもまた、傷つけるかもしれない。守りきれないかもしれない。それでも、諦めることだけは、しないでいよう。彼が色を、『イル』と呼ぶ限り。

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