極彩色伝

76.集う人々

 どんな事を話そうか、どんな顔して会おうか、考える事はそんなことばかり。周りにいるのは見上げなければ顔も見えない大人ばかりで、そんな時に出会った等身大の男の子がとても眩しく見えた。彼は少し怒りっぽくて、ぶっきらぼうな物言いで、けれど根は素直そうな子だった。
 ダルガに迫られたことを差し引いて考えてみれば、まさにこれはチャンスだった。この世界で初めての、同年代の友達を作る絶好の機会。思いついてみるとそれはとてもいい名案で、色はわくわくしながらアセムの元へ向った。扉を開いたその向こうで行われていることなど、露知らず。

 その時、ダルガも同行していたのだから、知らないはずはなかった。多分、きっと、あれは色への見せしめだったのかもしれない。悠長に構えてはいられないぞと、その目で確かめさせる為に。その遠まわしであざといやり方を知って、正直、とても惨いと感じずにはいられなかった。だって、ダルガには、それを見て色がどう感じるかなど考えるまでもなく解りきっていたことのはずなのに。あえてそうすることの惨さが、それだけの為に色に見せ付けた惨状が、浮き足立った色の首を緩やかに絞めた。
 色が何を感じるかなんてダルガにとっては取るに足りない問題で、それを利用することさえして、それら全てのことを見過ごしてまで求めるものが何なのか色にはすぐ解った。だから色は責めることも詰ることもできずそれを受け止めた。ダルガのする事が全てあの人に通じるならば、色はその全てに跪くしかない。それしか、できる事がない。喉の先まで込み上げた叫びさえ、歯を食いしばり押しとどめなければならない。
 でも、それとアセムの事とは無関係だ。彼が理不尽に虐げられて、地に這い蹲り呪詛と共に血反吐を吐いているのに、それを目の前で平然と見過ごす理由にはならない。
 アセムは色を『大嫌いだ』と罵った。当然のことだ。自分をそんな目に合わせた者の仲間で、あまつさえ彼を救える立場でもないのに寄り添おうとすれば、誰だってそう思うだろう。
 ただそう罵った彼の眼が、表情が、どうしても見過ごせなかった。まるであの時の自分と一緒で、見過ごせなかった。世界中が自分を嫌っていると、自分だけがこんなひどいめに合っていると、誰よりも辛い目にあっていると思いこんでいたあのときの自分。自分という牢獄の中で叫び続ける彼の中に、あの時の自分を見た。見せ付けられた。
 本当は、窓もない、暗くて湿った匂いのするその部屋がとても怖かったのに。床に飛び散った血反吐を見て、その原因となった堅く握られた強固な拳を見て、身がすくんだのに。それでも身体が動いていた。
 だって、そうだろう。色はラミストに救ってもらえたのに。それなのにアセムが見捨てられるなんて絶対におかしい。自分は救われたのに、同じようなめにあう子供を救わないなんておかしい。
 そんな矛盾を抱えてラミストに会うことなんてできない。絶対に、顔向けできない。だから色は守らなければいけないと決意した。それができるかできないかの問題ではなく、するかしないかの問題だった。アセムは守る。そうでなければ、ラミストが色を救い出した意味さえ、消えてなくなってしまうから。それだけは絶対に、嫌だった。だから色は、心を決めた。





「まったくもう!」

 ぷんかぷんかと湯気を上げ、真っ赤に染まった額を腕で拭く。額だけでなく、顔全体が真っ赤に充血した気分だ。
 ――ダルガってば、アセムをこっ酷いやり方で叩いた癖して、そのまま放置かよ!
 大声で悪態をつきたい気持ちを堪えて、半ば引き摺るようにアセムを持ち上げる。彼は軽いけれど、起こさないように寝台まで運ぶのは相当の労働に違いない。壁際にぴったりとくっ付いている寝台に対して少し身体が斜めっているけれど、そこは色も精一杯頑張った故の成果なのだからご愛嬌とする他ない。
 未だ気を失ったままのアセムにそっと掛布をかけてやり、漸く一息つく。とりあえずアセムを寝かせる事は出来た。あとはこのダルガの馬鹿力で張られた可哀想なほっぺたがこれ以上腫れる前に早急に冷やして、それと、身体にできた虐待の痣にも湿布か何か貼らなければならない。服を脱がせたわけでは無いから全ては見ていないけれど、時折覗く服の下には赤紫を通りこして青黒く変色した青痣があったように見えた。
 せっかく透き通るように白い綺麗な肌なのに、痕が残ってはいけない。自分の不注意で、守ると言った舌の根も乾かずにアセムの頬に傷をこさえてしまった負い目もある。アセムが起きる前に薬と、それから何か食べるものを持ってきてあげようと、色は部屋を出ようとした。
 ――が。

「……はぇ……?」

 思わず気の抜ける声を漏らしてしまった。ぽかんと口を開けて見上げる扉の傍には、何時からいたのか幾人かの大人達が揃って壁際に佇んでいた。見る限り四人ほどいるようだけれど、その誰も見知ったものなどいない。呆気にとられた色は一同を見渡し、そして――また扉を閉めた。

「……うん、いや、気のせいかも。だってなんかおかしいし。幻覚かな、きっと。そうだよね、きっと」

 ドアノブを両手で掴んで、心なしか冷や汗をかきながらも自分を落ち着かせるために独り言を繰り返す。そうだ、もう一度扉を開ければ誰もいないかもしれない。というかきっと誰もいない。いるわけが無い。今までずっとあんな四人の大人が揃いも揃ってこの部屋に聞き耳を立てていたとか、想像するだけでぞっとする。ないない、絶対ないって。よし、いこう。
 必死の想いで自分に言い聞かせ、決意を新たに慎重にドアノブを押す。一回目よりも慎重に覗き込んだ結果――やっぱりちょっと待て。

「げっ」

 少々口汚い声を上げ、色は顔をしかめる。再び閉じようとした扉は、何者かが間に挟んだ手によって遮られ、それ以上引くことが出来なくなってしまった。焦って最初よりも力をこめて動かそうとするも、押しても引いてもびくともしない。
 色は、物凄く嫌そうな顔で上を見上げた。故意にでなく心の底から湧き上がる思いによって作り上げられた嫌な顔だったけれど、多分ワースト3に入るほどに嫌そうな顔だ。そして見上げた先には、扉の隙間からにやにやしながら色を見下ろす、茶髪の青年の顔が垣間見えていた。

「如何なさいましたか姫君」

 やけにチャラついた微笑みに、もったいぶった台詞回し。何かデジャヴのようなものを感じ取りながらも、色は観念してゆっくりとドアノブを外す。それに応じて、そのへらへら笑う青年の手によって扉は開かれ、色は否応なくその四人と相対することとなった。
 一番最初に目に留めたのはやはり扉のすぐ脇に佇むその青年だ。というか、眼を引からいでかと言わんばかりに派手なので、無視できなかった。
 彼の足元には滴るように波打つ赤褐色の布が広がり、そこから黒い紐と金の輪が絡む豪奢なサンダルが覗いている。ひらひらと幾重にも重ねられているのか時たまに赤や橙が合わせ目から覗き、それが腰のところでくすんだ黒の鎖で無造作に止められていた。そこには細身の刀身もかけられ、重みのせいでややそちら側が下がり気味だ。その派手な色合いの布に、暑苦しく肩も首も覆われつなぎ止めるように装飾品がところどころに留められ、歩くだけでじゃらじゃら音がしそうだ。
 腕を組んで佇むその姿はやけに偉そうなのだけれど、顔を仰ぎ見るとそうでもない。軽薄な笑みを讃える褐色の肌をもつ男の瞳は琥珀色に輝き、派手な格好に見合うやや幼い顔つき。背は低くはなさそうなので童顔なのかもしれない。一纏めに襟足のところで結ばれた髪は明るい茶色。太陽の光を吸い込んだように明るくふわふわした印象を与える。
 これほどまで一連を眺めることができたのは、彼がどうぞと言わんばかりにご満悦の笑みを色に向けてきたからだ。派手好きというより、目立ちたがりなのかもしれない。
 けれどあはは、と苦笑いを返しつつそっと他の面々に眼を向けると、後の三人は男と対照的な程に少しも微笑んではいなかった。むしろ『この世に楽しいことなど一つたりとてありはしない!』と断言していそうなほど無表情だ。もしかしたら知っている人が一人くらい……と思って確認しようと思ったけれど、これじゃあ直視すらできやしない。
 ――どうしたらいいのだ! スルーしていいのか?
 扉はもう閉められやしないのでもう出るしかないけれど、この横に一列に並んだ人たちを平然と無視して通ることなどできない。そんな怖い事ができてたまるか。とりあえず、ここは比較的気安そうなこの青年にこれが何なのか聞いてみるほかあるまい。少々胡散臭い気がすることを感覚で感じ取りつつも、他にとる手が見当たらないので色は観念して青年を見上げた。

「あのー……」

「はい」

 うわ。本当なら好印象を与えられそうな青年の微笑みに、色は思わず口を噤む。だって、はい、の後に音符とか、ハートとか、何かついていそうなほど浮ついた返事だったから。なんとなくこの人に聞きたくないなあと、げんなりする自分を抑えようと努めて引きつり笑いを浮かべた。

「なんで、そこに並んでるんですか? ……順番待ち、なの?」

 こんな怪しい面々が『アセム君とお友達になりたいの!』と言ってきてもぞっとする。そういうことだったらアセムの身の安全の為に何が何でもここは通さないことにしよう。さり気無く畑違いの決意を抱きつつ色は問いかけた。
 けれど予想に反して、問いかけられた青年は見当違いのことを言われたかのようにきょとんと眼を瞬く。あ、なんかその表情幼くって可愛いな、と色が思った瞬間。青年はふっと噴出してせせら笑うように色を見下ろした。

「あーあー、そうですねえ、まあそんなもんですよ。あっはっは、順番待ちだって。面白いお姫さんだ」

 ――うわ、何か知らないけどムカツク。一瞬前に思ったことなど瞬時に消し飛んで、代わりにこめかみがひくひく唸る。まるで外国の通販のテンションを写したような男だ。あのデジャヴはこれを示していたに違いない。大体、そんな風に扉の横に並ばれていたらそう思うほかないではないか。
 話にならない、と口を尖らせると、未だ笑い続ける青年の横から誰かが身を乗り出した。長い赤毛を緩い団子で纏めたお姉さんだ。そこのちゃらついた男とは違いごく簡素な服装で、七部袖のシャツのようなものと、ゆったりと垂れる藍色の腰巻と緩めのカーゴパンツに似たものを身に纏い、あとは腰巻と同じ藍色のサンダルを履いている。グレーの瞳を持つ彼女の眼差しは少々切れ長で、全体的にすらっとしていてなんだか冷たそうな印象を覚えた。
 ちらりと目が合った瞬間彼女は色の前まで歩き、突然跪いた。
 ――いきなりなんなのだ。どうしようもなくて、目の前の事に目を白黒させるしかない。

「ラウ殿の名代として、閣下より天使様のお世話を仰せ仕りました、フェイリア・マラッサと申します。以後、お見知りおきくださいますよう」

 すらすらと淀みない自己紹介。声がとてもスマートで綺麗だ。けれどその発音が淀みなさ過ぎて聞き取りきれず、色はもごもごと口の中で反芻しようとした。

「……ふぇ、へいりあ、まろ、」

「どうぞ、フェイと」

 ――ごめんなさい。
 眉一つ動かさず訂正するものだから、何故だか怒られたような気分に陥る。それに従ってとても小さな声で「フェイ?」と呟くと、フェイリアは微かに頷き膝立ちのまま後ろに引いた。
 ――なんだかなあ。もしかして後の三人も何かしらの役割を与えられてそこにいるのだろうか。いちいち自己紹介を聞いていたらいつまでたっても薬がとりにいけやしない。
 そうそう、薬。突然の珍事に翻弄されていたけれど、色は急に自分の本分を自覚した。こうしてはいられない。アセムのほっぺたが心配だ。もう自己紹介は後で聞くことにして、早く行こう。
 ――でも。向きかけた足が、ぴたりと止まる。でも、ここでアセムを一人にして、本当にいいの?急に、不安がざわざわと胸を撫でた。フェイリアと名乗り跪く彼女や、他の三人を盗み見て、躊躇する。
 もしアセムから目を離しているうちに彼になにかされたら、嫌だ。疑心暗鬼になっているわけではない。けれど今は事を為すには至極慎重にならなければいけないと、色はこれまでの数多の失敗で思い知っていた。もう自分の迂闊で事を損なう過ちは犯したくない。
 ――やっぱり、無理だ。アセムを一人にできない。だったら、世話係を任されたらしいフェイリアに頼めば――。
 その時ふと違和感を覚え、色はなんとなしに顔を上げた。さっきまでくつくつ笑っていた青年。今はその眼差しが、色の頭上を越えその先に到達していた。戸口に肘をついて中を覗いている。視線を辿るまでもない。建前の笑みもない、値踏みするような剥き出しの蔑視が、未だ無防備に眠るアセムに向けられている。
 その眼には見覚えがあった。折の中で嫌というほど味わった。肌がひりつくほど感じた、興味本位の域を出ない、温度のない湿った蔑視。
 やめて。見ないで。そんな眼で見ないで。
 震える手が無意識に伸びて、彼の衣服を摘んだ。しゃらりと、装飾が耳心地のいい音を奏で、それに気付いた青年はその観察の対象を色へと変える。眼が合った瞬間、彼はゆったりと微笑んだ。ごく自然な所作で、社交辞令の微笑でうまく誤魔化されたような気がする。それでも、怖いと、感じた。その笑顔の奥に潜むものがアセムに向けたものと何一つ変わりが無いことに気付いて、身がすくんだ。
 ――この人、やだ。

「姫君」

「え、――わっ」

 呼びかけに振り向く前に強引に腕を引かれ、そのまま勢い余って前につんのめる。ぼすりと、誰かの胸にぶつかると同時に、背後で扉の閉まる音がした。
 今度は一体なんだ。ぶつけた鼻を擦りつつ、強引な扱いに批難の眼差しを上に向って向ける。けれどその存在を眼に留めた途端、浮かべた批難の色さえ一瞬でひっこんだ。

「……あ、」

 ――あの時の人だ。一度目は一目見ただけで終わり、二度目はアセムを巡って相対した。見覚えのある三白眼に晒され、色はまたしても身動きする事ができなくなった。未だ掴まれている右腕には力はこめられていないはずなのに、じんじんと痛んでくる気がする。堅く骨ばったその無骨な手は、色の細腕を余裕で掴んでいた。
 この、手で。この手が、アセムを、殴ったのか。この岩のように堅い手が、アセムの細い身体に青黒い痣をつくったのか。
 知らず知らずの内に、その眼を凝視していた。怯えることも忘れて、無感情に向けられる眼差しを見つめ返した。この人が、アセムを――。

「……その華奢ななりで、よくも威嚇できるものだ」

「え?」

「御用ならば付き添いましょう。おいでなさい」

 ふいに掴まれていた腕は解放され、男はそのまま踵を返す。ついてこいと、言っているのか。歩き出した彼の後姿を見てうろたえ、けれど色はちらちらと扉を気にする。
 でも、だって、今この部屋を空けたらどうなるか、予想がつかない。幾らダルガの部下だといっても、アセムへの危害を一番に加えそうな人が遠ざかるといっても、不用意についていく事などできない。
 待って、と言い募ろうとした時、それよりも先に男が振り返った。戸惑う色を見下ろし目を細め、軽く微かに嘆息を漏らした。

「案ぜずとも、その部屋に望んで立ち入る者などあなた様のような方でない限り居はしない。その者達はただの――監視です」

 そうしてまた独白するように言いたいことだけ言って歩き出す。もう色はついていくほかないようだ。半ば強制的な意も感じ入らなくはなかったけれど、そこまで断言するのならそうなのかもしれないと、色はそれに従った。
 ただ――何なのだろう、『あなた様のような方』とは。偉いとか、特別とか、身分をさした意味だろうか。けれどそれにしては他に含む意味がありそうな言い方だった。それに監視と言ったって、二人や三人もいるだろうか。
 色はとてとて小走りで着いていきながら、残る三人に振り返る。ラウの代わりと言った、フェイリアという女の人。戸を押さえつけた、にやにや笑う不審な青年――見れば、色に手を振っている。やっぱり解らない。
 それに――始終眉一つ動かさず、あのちゃらんぽらん青年の横で佇んでいたあの男。色は過ぎ去る直前に、気付かれないように盗み見しようとした。腕を組み寡黙に佇むその人は、口元が隠れるまで灰色の布を首に巻き込んでいる。何にも興味がなさそうなので、この人は本当にただの監視なのだろうか。そう思った。
 けれど――過ぎ去るその刹那、眼が合ってしまう。それは向こうも、色のことを目で追っていたから。猛禽類のような鋭い眼差しが、冴える。その視線に斬りつけられたような気がして、色は咄嗟に目を伏せたけれど、もう遅かった。鍵爪で掴まれたかのように激しく高鳴る心臓。言い知れない、何かを感じた。直感に近い、危機感。
 何なのだろう、あの三人は。最初から遠征についてきていたかどうかも定かでは無い。不穏に思う心は、水に落とされた一粒の濁りのようにじわじわと滲んでいく。けれど色はもう一度振り返る事ができなくて、男の後についていくしかなかった。

  

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