極彩色伝

60.風向き180度転換

 手が離れて、ようやく知った。眼を閉じて、何も見ず、ただただその手に身を委ねていたことに。安心と甘えに寄りかかっていたことに。自らの世界だけを見つめ、手を引く人すら見ていなかったことに。




 今、手を引かれて歩いている。ただただ黙々と、どこかに向って。いつもと違うのは手を繋ぐ相手がラミストではなく、また歩む道もラミストの進んでいった方とは違う向きだということ。
 兵を引き連れラミストが乗った船はとうに出港してしまった。何故かここには半数の兵とダルガと色、それにラウが残り。何も知らないといえば、色は本当に、今の状況すらわからなかった。こんなにも自分が何も知らなかったなんて。考えれば考えるほど、わかることが何一つない。
 心の中がもやもやする。もやもやが気持ち悪くて、苛立ち、哀しくなり。当然のように手を引くダルガを見上げ、色は唐突にその歩みを止めた。必然その抵抗感にダルガの歩みも止まり、色に振り返る。

「どうした、イル」

「……わかんない」

 潮風の混じった生暖かい風が、頬を撫でる。胸に抱えるのは割り切れない気持ち。不可解なのは自身かそれとも己以外全てか。その曖昧さに表情を曇らせ、じっとダルガを見上げた。
 色が何も知らないというならば、ダルガは何を知っているのだろう。自分の手を握る男の手は、大きくて暖かくて、それでも色の手を離そうとはしない。真意の見えない飄々とした彼の態度に、色は眉を顰める。

「なんだか知らんがしけた面をするな」

 つん、と眉間を小突かれる。ととっとよろめいたが、ダルガに手を掴まれていたお陰で倒れる事はなかった。
 いつものようにからかうようなダルガは、先ほどの厳粛さを一片も持ち合わせてはいない。それがますます解らなくて、色は一度は崩れた眉間の皺を一層濃くさせてダルガをじろりと睨んだ。

「なんか、なんかなんか納得いかない」

「……ほう……何がだ」

 にやりと皮肉な笑みを浮かべて色を見下ろす。ダルガはいつもこうだ。ニヒルな笑みを浮かべ適当にあしらってからかって翻弄して。相手を煙に巻いて楽しんでる。なんでもかんでも笑って済ませると思ったら大間違いだ。
 ダルガの手をこれでもかというほどに強く握って、色は拗ねたようにむすっと顔をしかめた。

「何かあたしに隠してるのか」

「さあ、隠すも何も聞かれていないからなあ……」

 まるで聞かなかったお前が悪い、とでも言うかのような口ぶり。楽しげに目を細め、惚けるつもりか空を仰ぎ。むっとした色は勢いよく手を引いてダルガの手から離れた。

「じゃあ聞いたら教えてくれるのっ」

「義務はないがな」

「く、く、ぐむ〜〜〜〜っ!! 」

 腹立つ、腹立つ腹立つ腹立つ。よくわからないけれど物凄く今ダルガは意地悪だ。どうしてそんな捻くれた受け答えをするのかと、異常に苛立ちを覚える。きっとダルガは聞いたって教えるつもりはない。時間の無駄だと、色は踵を返す。

「こら、どこへ行くつもりだ」

 しかしダルガがにしっと首根っこを捕まれ、それすら許されなかった。どうして何もする気がないくせに放っておいてくれないのか。とことんダルガが邪魔者に思えてきて、色は勢いよく振り返った。

「離してっ。あたしラミスト様のところへ行くんだもん」

「何を馬鹿な。単身どのようにして行くと言う」

「泳いで行くわい!」

 少々無茶がある。案の定ダルガは噴出し、大笑いされてしまった。それでも色は本気中の本気だ。一回川に落ち、それでも無事生還出来たのだ。今回だってうまくラミストの下にたどり着けるかもしれない。
 しかしその色の無茶さに、今まで黙って傍にいたラウも慌てて色を抑える。むきーっと抵抗して今にも川に飛び込まんばかりの色を見下ろして、とうとうダルガが笑い混じりに呆れたような声を出した。

「そうやけになるな。八つ当たりしようとも何も変わらぬだろうに」

 かっと、一瞬にして頭に血が上る。斬りつけるような悲しみか身を焦がす悔しさか。勢いよく振り向き、ぶちまける様に叫んだ。

「ああそうだよ八つ当たりだもん! 悪い? だってなんでラミスト様に置いていかれるの? どうして置いてかれなきゃならないの? 何にも言ってなかった! ラミスト様あたしに、何も言わなかった!! 」

 違う。頭の中で、どこか空寒いほどに落ち着いた自分が呟く。哀れむようなダルガの眼差しに怒りは膨張していくのに、頭の隅でそこかそれを他人事のように見つめる自分がいる。不可解に満ちたこの場と、矛盾した自分。わからないのは、腹が立つのは、何も知ろうとしなかった自分。

「わかんない……どうして、全部……あたし今まで、何を見ていたの」

「……イル」

 困惑してよろめく色を支えるように、ラウが肩に手を添える。何もわからなすぎて、混乱しすぎて、おかしくなりそうだ。
 どうして。いつもだったらこんなこと平気で、どこかで何か答えを見つけるのに。何も知らなくたって、平気だったはず、なのに。ぱちんと何かが弾けて、空虚を見つめた時、ダルガの静かな眼差しが目に映る。
 ラミストと同じ紺色だ。ただ、それが、どうしようもなく物静かに、哀れみ、受け入れるような。胸が痛い。苦しい。いつもよりも酷く低く、ダルガの声が耳に響いた。

「ラミストがいなければ、何も見えぬのか」

 ふっと、緩やかな風が横切る。手の間を突き抜けて、所在無く垂れた己の手の存在を知る。温度が感じられない己の手を見つめ、ダルガを見上げ、そしてもう見えもしない船の行く先を見つめる。ぽろりと、零れるように涙が落ちた。

「……あたし、こんな…………弱虫、だったの? 」

 もやもやとした気持ちも、苛立ちも、矛盾も何もかも。原因は全て、ラミストがいないせいだった。ラミストが離れただけでこんなにも、不安で、苛立って、右も左もわからなくなる。今までずっと色は天使の名にあやかってラミストに寄りかかっていた。
 自分は見るのが怖いから代わりに見てくださいラミスト様。目を瞑ったままでは怖いので手を引いていてくださいラミスト様。離れるのは怖いので手を繋いでいてくださいラミスト様。
 こんなに勝手な、むちゃくちゃな、甘えがあるだろうか。どれだけラミストに、色という重みを背負わせていたのだろう。ラミストが心配するのは当たり前だ。だって、色はここにきてから何一つ自分ひとりで背負ったものは無いのだから。わからないのは当たり前。全てラミスト任せだったのだから。自分のこと以外知ろうとも見ようともしなかった色に、他の何がわかろうか。
 悔しさに歯を食いしばる色の目じりを、ダルガの指がそっと拭う。酷く同情めいたその眼差しに、ますます哀しくなってきた。

「……ダルガ、あたしに教えられないこと……いくつあるの」

「……さあな」

 教えてくれないのは、いくつもあるのだろう。色が弱いから、皆色の弱さを知っているから何も言わないのだろう。悔しくてたまらない。なんでこんなに守られてばっかりなのだ、自分は。

「あたし、何もできないの……? また心配かけるだけで、誰の力にも、なれないのか」

「無駄に悩むな。お前がそう考えるからこそラミストも気負うのだろうが」

 ぐっと詰まる。悩むことも、許されない。ならばどうすればいい、と考え、またはたと気付く。ラミストは別れ際に突き通せといった。あれは約束ではなく、色の為の逃げ道だったのではないか。色が悩まず、したいことを出来るように。色の好きなように、動けるように。
 過保護すぎるほどに、そこまで配慮していて。そうさせた自分が、限りなく愚かに思えて。悔恨を吐き出すように大きくため息をつき、色は俯いたまま呟いた。

「これからあたしは……どうしたら、いいの」

「好きなようにするがいいさ。俺がお前を守る。安心して望むべきところへ行くがいい。それがラミストのお前への命でもあるのだから」

 好きなように。この期に及んで、まだそこまでラミストは許すというのか。色はじっと眼を閉じる。大きく息を吸い、そして深く吐いて目を開けた。先ほどとは大違いの滾るような激情が、漆黒の瞳に込められている。きっとダルガを見上げて、真一文字に閉じていた口を開いた。

「もーやだ」

「――――は? 」

「もうやだよ、知らん。知らんもんは知らん」

 突如開き直った色に、ラウとダルガ両者共々目を点にする。色は捻くれたようにふん、と鼻を鳴らして顔を背けた。

「もー疲れた。ああ弱いさあたしは。人様に心配かけて我侭で甘ったれで身の程しらずで盲目さ。ホントならすぐにでも家に帰りたいしでもやらなきゃならないこといっぱいあるしその癖何の力もなくて何もできない無知で口ばっかりで。でも、だから……だからどうした!」

 先ほどとの弱弱しい態度との違いに目を丸くしたダルガを一身に睨みつけ、色はここぞとばかりに一気に捲くし立てる。

「だからそれがなんなの、悪い? あたしだって悩むことなんてあるさ間違いだっていっぱいあるさ。こんな状況じゃ手探りで行くしかないんだしょうがないじゃん。だから!」

 火がついたように饒舌だった口の動きが、途端に勢いを失う。焦げ付いた悔しさを吐き出すようにため息を吐き、また上を見上げて言った。

「迷惑だって、言ってよ。余計な事するなって、はっきり言ってよ。そうやって皆が我慢して優しくして助けてくれたほうが……よっぽど辛いよ……」

 自分の業で抱えるはずだった重荷を人が代わりに抱えるのを、黙ってみていろというのか。そんなに図々しい人間でいろと、言うのか。無理に決まってる。色はそんなに卑怯になりきれない。かといってすべての責任を負うほど強くも無い。どっちつかずだ。だから苦しくて、悔しい。強くならなければ、くやしいままだ。今までと一緒だ。

「……では、どうする」

 面白くなってきたと口角をわずかに上げて笑うダルガに、色は憤然として答えた。

「自分で戦う」

 全部、全て。もうわからないだの知らんだので悩むのはうんざりだ。弱くて悪いか。無知で何が悪い。これから強くなってやる。これからいくらでも探って知ってやる。そして人任せな自分とオサラバする。心配なんかさせないくらいに、周りの人間が色のために損をしないように。自分の尻拭いは自分でする。これ人間として当然。
 もう決めた、とばかりに色はまたきっとダルガを見上げる。にやにやと笑うダルガは、色の言葉に動じた様子も無く。顎に手をあてわざと考えるような振りをして空を仰ぎ、またちらりと色を見下ろした。

「さて、それはかまわんが。そううまくいくだろうか」

「邪魔するの? 」

「場合によっては、な」

 どうあってもダルガは守るというのかもしれない。ラミストもアナトも。もしもそれが色のためなどというのであれば、邪魔されるのはいただけない。これはもはや色のプライドの問題でもある。不可思議な対抗心がめらめらと湧き上がり、色はぼそりと呟いた。

「もしも皆が邪魔するって言うなら……」

「なら、どうする」

 言葉遊びが楽しそうなダルガ。絶対に負けられない。色は本気だ。本気の心が届くように、はっきりとそれを告げた。

「宣戦布告だよ。……ダルガも、アナトも――ラミスト様も。あたしの邪魔をするならば、敵とみなしてやる」

 まさかのまさか、味方のはずの相手に宣戦布告。色はこのとき、目の前のダルガだけではなく姿の見えない彼らにも、当たり前のように対抗心を燃やしていた。
 風向きが変わる。どちらへ向いたのか、風の行方は。ただ色はもう温度のない空の手をぎゅっと握り締め、自分の足で立つことを決意した。

  

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