極彩色伝

56.不可能な夢見

「んでねー…北斗七星がケンシロウで…ほぁたたたたたたって…」

 眠くて眠くてたまらないくせにぐらぐらと頭を揺らしながら熱心に星を指差して説明する。途中で北斗の拳の話になっているが気付いていないようだ。色のわけのわからない話にうんうんと適当に相槌を打っていたダルガだったが、ふと暗闇を見据える。
 かつこつと音がして、そこから現れたのはラミストだった。にやりと悪どい笑みを浮かべるダルガに、ラミストは苦笑するほかなかった。

「…いつも思うのですが」

「なんだ?」

「叔父君は人心を掴むのが本当にお上手だ」

 その言葉は軽いながらも羨むような響きが入り混じっているようにダルガの耳に届く。ふらふらと焦点も定かでない色の肩を抱いて、ダルガは肩をすくめて空を仰いだ。

「そういうお前はとことん不器用な男だな」

「……仰る通りで」

 同じ瞳を持っていても、こうまで違うダルガとラミストの色。自分とそれほど年齢は違わないと言うのに、どうしてこう在れるのだろうとラミストはダルガに微かな羨望の念を抱いた。
 前にも思ったことだ。彼には器があると。それだけの力を秘め、また御する智も豊富だ。ダルガの肩に身を預ける色を見てラミストは微かに表情を曇らせ、目を伏せる。

「お前はイルと似ている」

 ぽつりと、そう言ってとふ、と笑ってダルガは色を見下ろした。既にすーすーと寝息を立てて、器用にも座りながら眠っている。毎度毎度の事だが、色はいつでもどこでもぐっすり眠れる性質だった。

「私が、ですか?」

 ラミストはそんなダルガの穏やかな表情とは対照的に怪訝な表情を浮かべて問い返す。それがまるで皮肉で言われたかのように感じて、あまりいい気分にはなれない言葉だった。自分の中にこんな無垢に眠る色と似通うところがあるなんて、そんなあつかましい事はありえないと思った。
 しかしダルガはふ、と笑うと色を抱き上げて立ち上がる。動かされて身じろぎする色をラミストにそっと預けて、去り際にひっそりと答えた。

「お前ら二人して…人が良すぎる」

 何もかも見透かしたように言うと、それ以上は何も言わずにあっさりとそこから去っていった。皮肉なのか褒めているのかそれとも遠まわしの忠告なのか。真意の読めない男の言葉にラミストが小さく息をつくと、丁度色の目もまた覚めかけてきたようだった。
 寝ぼけ眼でうつらうつらとラミストを眺めて、目を閉じたり開いたりと眠気と葛藤している。

「ん〜…ラミスト、様?」

「…ん。自分で歩くか?」

 微妙に起きたようなのでそう問いかけると、色は眠いながらも言っている事がわかったようでこくりと頷く。ラミストにゆっくりと降ろされて地に足をつくと、そのままラミストに手を引かれ導かれるように歩き出した。

「……ラミスト様ー」

「なんだ?」

「あの時ね、怒った…?」

 ぴたりとラミストの足が止まり、ぼすりと色の頭がラミストの背中に突っ込んだ。微妙な表情でラミストが振り返ると、色は目も開いていないような状態で。
 恐らく無意識に出てきた問いかけなのだろうと、ラミストは微かに笑みを浮かべた。色の頭をやんわりと撫でて、また手を引いて歩き出す。

「怒ってないよ」

「ほんとにー…?」

「ああ、本当」

 怒ってはいない。確かにダルガが言うように凄く心配したりはしたが、色に怒ると言うよりは自分に怒りたくてやるせない思いだった。ゆっくりと、色の歩調に合わせて歩く。繋いだ手の先、色の小さな手のひらが、無性に愛しく思えた。

「ラミスト様ー」

「んー?」

 色の寝ぼけ半分の伸びた声に感化されて、ラミストも伸びた返事をする。なんだか色が夢見がちな声で、夢見がちに自分の名前を呼ぶものだから、不思議な気分になってくる。心穏やかでふわふわとした、そう、なんだか色の手を伝って色の夢の中を感じているような気分だ。

「ごめんねえ…」

「…なんで謝る?」

 なんとなくわかってはいたけれど、聞いてみた。色の口から聞いて、確かめたかったからなのかもしれない。色は、問われたままに素直に答える。

「いっつも迷惑かけちゃって…あたし、天使な事してないし」

 やっぱり、とラミストは苦笑した。色のことだからどうせ、自分が疫病神のように思っているに違いない。前々からそんな素振りはあったが、実際聞いてみるとまた妙な切なさを覚えた。
 ぽてぽてと歩く色の顔はうなだれるようにだらんと俯いていて、階段の前まで来たラミストはそれを見てまた色を抱き上げた。とん、とん、とゆっくり上ってゆく。

「迷惑なんかじゃない。色は十分天使としてがんばってくれている」

 聞こえているかどうか定かではないが、それでも返してみる。身体が微かに規則正しく上下している事に気づいてはいるけれど、夢の中でも聞いていることを願いながら続けた。

「君は知らないだろうけど、皆君に救われている。決して、邪険に思ってはいない」

 眠る彼女に囁き続けるのは、不甲斐無い自分を誤魔化したいが為なのかも知れない、と自嘲する。自分がどうかは知らないが、確かに色は人が良すぎる帰来がある。だからこそ皆救われるのだが、だからこそそのぶん色が傷ついてゆく。その傷すらも気負わせまいと押し隠す彼女をラミストは知っていて、しかしどうする事もできない。
 色の身体を抱く腕に無意識に力を込めるラミストは、その痛みを代わりに受け取ろうとしているかのようだった。

「謝りたいのは、俺のほうだ」

 やるせない思いはとめどなく。色を守りきれない自分が、何よりも脆弱なのではないかと恐れすら感じる。ただの理想論だ。全てのものから、いつだって、完璧に守りきるなんて。
 色は人形じゃない。純粋で優しい心を持った、ただの女の子だ。だから、守りきるなんて馬鹿げた戯言だ。でも守りたい。不安も恐れも何もかもから、あらゆる負をこの天使から取り除きたい。ごめんねなんて、本当は一番言わせたくない言葉だったのに。あまりに優しすぎて、周りのことばかり考えすぎて。それで自分のしたこと全て周りに迷惑がかかってるなんて思い込む。本当はそんな事すらしなくていいように配慮すればよかったのに。一人で何とかしようとする色の姿が痛くて、哀れに思えた。
 頼りきろうとしない彼女を責めたくて、しかしそれ以上に自分を責めたくて。未だ色に負い目を感じさせる自分がもどかしくて。ごめんの言葉を呑み込んで、最後の階段を上った。
 色を抱えたままかちゃりとドアノブを押し開けて、そのままベッドへ向う。色をそこに横たえて離れようとしたとき、色の口が微かに動いた。

「……ありがとう」

 微かに、笑っているように見えて。ラミストは色の髪を軽く撫でてから、その耳元に顔を寄せた。

「俺も、ありがとう」

 ぽつりと一言囁いて、色の寝顔を見下ろす。色のありがとうは、ラミストに向けた慰めのようだ。どこまで人がいいのだろうと思い、ラミストもそれを返してみる。
 今はただ切ないだけのその言葉は、いつか本当の意味を持つときがくるのだろうか。ダルガは似ているといったけれど、確かに不思議と思い合ってはいる気がするけれど。だけどかち合わない。かち合わないから、こんなにも切なさが後を引く。
 その時がくるのだろうかと考えると、途方もないことのように思えて仕方がなかった。





「殿下」

 色の部屋を出てから間もなく、声をかけられる。既にその正体を知っていたラミストは的確にそれがいる方向へと振り返り、じっとそこを見つめた。丁度、階段へ曲がる角。その陰から出てきたのは、ラウの姿だった。ラミストは疲れたようにため息をついて、傅くラウを見下ろした。

「お前は知っていてイルを放っておいたのか」

「御身の危険には命を賭してでもお守りします」

 恐らくラウは色が部屋を出たときからずっと傍にいたのだろう。色が部屋に戻ったから、こうしてラミストの前に出てきた。自分もそうだが色に少し甘くしすぎてはいないかとラミストは苦々しい表情を浮かべた。ラウは目を伏せたまま、頭を下げる。

「イル様を殿下自らお運び頂きましたこと、誠に申し訳ございません」

 まるでそれは自分の役目だったと言わんばかりの言い方。いや、実際そう思っているのだろう。ラウは色に忠誠を誓っていて、言葉遣いは丁寧なれどラミストにも誰にも敬服の気持ちなど微塵もありはしない事はすぐにわかった。
 しかしそれもまたいいのだろう、とラミストは納得する。色のためだけに存在する人間が、一人くらいはいてもいいかもしれない。微妙な心境だが、ラミストはそれを吉として受け入れる事にした。

「ラウ」

「はい」

「イルをよろしく頼む」

 一度裏切りを見せた人間だが、不思議と疑いの目を向ける気にはなれなかった。恐らくラウは色に死ねと言われたら(絶対に言いはしないだろうが)、寸分の迷いもなく命を絶つだろう。色の行動に口を挟まなかった事、誰にも色の行動を知らさなかった事、そしてダルガやラミストが傍に居ようが離れようとしなかった事。諸々の彼女の行動が、色が全てである事を物語っていた。
 驚きの表情で見上げるラウに微かな笑みを向けて、ラミストはまた踵を返した。守るものは多ければ多いほどいい。傍にいるものも多ければ多いほどいい。彼女を孤独にしないよう、重荷を抱えさせないよう。彼女が周りのものを思って苦しむと言うのならば、なんとしてでもそれを取り除く。
 この夜ラミストは、ある決意を胸に抱いていた。

  

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