極彩色伝

54.逆鱗

「「「なんでここに」」」

 なんとも珍しくも合い重なる見知った声。それだけのたった一言が色の胸にぐさりと突き刺さり、色の中から言葉を奪う。あうあうと言葉にならない声で口を開閉し、その狼狽ぶりは哀れとも取れるほどの驚きようだった。よもやばれないと高をくくっていたのだろうが、その手にはややこしく絡まった縄が絡み付いており。何をしようとしていたかなど…何をしようとしていたかなど……ああその不器用さが功を奏したかな、状況証拠だけでは理解しがたいものがあった。
 えもいえぬ表情でラミスト・アナト・ダルガは色を凝視し。対する色はアナトの姿を見つけてますます声が出なくなっていた。
 怒られる、絶対怒られる。子一時間ほどねちねちと説教をされるに決まっている。あまりにリアルに思い浮かべられた未来予想図に色の手はわなわなと小刻みに震え、恐怖で体は硬直していた。
 さてそこで、両者がお互いを睨み合う…もとい、驚きあっているところに、気の毒なほどの色の様子をちらりと伺ったアセムがたまりかねて口を開き…

「……こいつが僕の縄を外そうとした」

 そして、余計な事を言った。色は体の硬直も忘れてその言葉に反射的に裏切り者アセム少年を凝視する。いや、確かに真実には違いないが非情に微妙な点で危うい語弊が生じている、気がする。この言いようだと全てが色の単独犯で色の独断によるものだと判断されやすい、が実際のところどうだろう。確かに色の単独犯で独断だ。しかし、しかし何か腑に落ちない。
 開いた口がふさがらない色の視線に気付いているのかいないのか、アセムは飄々とした態度を貫いている。なんということだろう、これぞまさに絶体絶命。というか色は一体ここに何しに来たのか、もはや本来の目的など記憶の彼方に悠々と飛び去っていた。
 そして何も言い訳のしようがない状況の先へと踏み込んだのは、色が最も恐れるアナトだった。

「で、イル?貴方がなぜここに?」

 ずいっと一歩前に踏み出し、怨怨とした雰囲気を纏いながらやけに静かな口調で尋ねる。部屋を照らす火元はアナトが持っているランプなので、陰影が濃くなり非常に恐ろしい。揺れ立つ灯に照らされるその顔は正視できないほどの迫力を放っている。
 色は背筋に嫌な汗をかきながら必死に目をそらし、片手に絡まった縄を外そうとアセムの影でぶんぶん振りながらしどろもどろに答えた。

「えっ、えと、その……とある風の噂で…海賊の子供がここで拷問されてるって……あの、聞いて…だか、ら…えと、あの〜」

 色の正直で予想もしなかった告白に3人同様に目を丸くする。それから各々思う事は多様のようで、詰問したアナトはますます表情を険しくさせて丁度ちらりと見上げた色を十分に怯えさせ、ラミストは唖然とした表情で色を見下ろしていて。
 そしてダルガはというと当初色の話に目を丸くしていたがまた呆れたように小さく息をついて。各々とも色を縮ませるには十分な効果を与える反応だった。しかしまぁまだ言い訳をする力は残っているようで。うつむきながらもぼそぼそと付け加える。

「あの…最初はそんな縄解くつもりじゃなくて……ただ確認って言うか、気になって…それで…」

「いいえ。……いいえ、もういいです。わかりました」

 色の情けない言い訳を聞くに堪えないといった様子でアナトが容赦なく遮る。途端に惨めな様の己が恥ずかしくなり瞬時に赤面してますます顔を下に向けた。すると長いため息が聞こえ、色をどうしようもなくいたたまれなくさせる。
 ああ、全く自分はどうしてこんな馬鹿な事しかできないのだろうと恥ずかしくなり、しかしこれがあながち間違っている事とも思えず。そんな矛盾した気持ちにもやもやしている色の頭にふいにぽすりと、誰かの手が乗った。
 驚いて見上げるとラミストでもなくダルガでもなく詰問していたアナト本人が色の頭を撫でていて。改めて見てみるとアナトの表情はそこまで険しいわけでもなく、むしろ苦笑いといったものと変わって色を見下ろしていた。
 呆気にとられる色を宥めるように撫でて、アナトはゆっくりと首を横に振った。

「それは全てでまかせです。事実が捻じ曲がった単なる噂。そこまで気を落とさなくていいんですよ」

 でまかせ、あの噂が。女官たちのあの話が。アナトの言葉に一瞬安堵しかけるも、また縛られているアセムが視界に入りそれをすぐに打ち消す。
 だって、現にアセムはこんな風に縛られている。腕も赤くなって痛そうなほどにきつくややこしい結び目だったし、普通のやり方ではない。もしかして今この場をやり過ごそうとしているのではないか。そんな疑念が頭を過って不安げな表情でアナトを見上げると、それに気づいたアナトは何を思ったかすっと目を細め、おもむろに色の鼻をきゅっと、つまんだ。

「ふぎゅっ!」

「妙な誤解はよしていただきたい。彼を縛ったのは否応無しの判断です。こちらだってしたくて施したわけではない」

「……え?」

 抓まれた鼻をさすりながら、間抜け面で聞き返す。再びアナトは小さくため息をつき、憤然たる態度の少年をちろりと眺めた。

「彼が暴れたからです。手が付けられないほどに、ね」

 え、え、え、と数度アセムと3人を交互に見比べる。自分を見下ろす呆れ具合の見える微妙な表情と、我関せずの少年の生意気な横顔。
途端に何がなにやらわからなくなって、色んな事がごちゃまぜになってぐるぐると頭の中を駆け巡る。当惑した色の様子は傍目にも一目瞭然で、アナトは小さく咳払いをしてわかりやすい説明を試みた。

「彼はナースィア人、この国の民ではありません。恐らく隣国のリカディアサラから来たのでしょう」

「り、りか…?」

「リカディアサラ。……とにかく、彼に拷問などとんでもない。隣国の少年にそんな事をすれば国交問題にまで発展してしまいます。我々の首が飛びかねない」

 困ったものだと首をすくめ、仏頂面で睨みあげてくる少年を見下ろした。そして色はというとはとが豆鉄砲を食らうとはよく言ったもので、教えられた事実に言葉もない様子で。
 しかし、では、ではあの女官たちの噂はなんだったのか。ますます深まる不可解さに色の顔が微妙な表情になると、ダルガが皮肉ったようにくすりと笑みを零した。

「どこでそんな話を聞いたのか知らんがな、噂が噂を呼んだというわけだ。
期待に添えなくて悪かったなぁ、イル」

「きっ、期待なんかしてないもん!!」

 ダルガのあんまりといえばあんまりな言い草にむっとして言い返す。そんなわけではない。そんな風に、そんな風に思って忍び込んだわけではない。どうしてそんな意地悪い事を言うのかと色は顔を歪めたが、ダルガはいつもと違って酷薄な目で色を見下ろしていた。
 いつものように笑って済ます訳ではなく、今まで色が見た事のないような威圧感のある眼差しで。

「では何故我らに聞かずにこそこそと忍び込むような真似を?」

「こそこそって!」

「していただろう?わざわざ寝た振りをして夜中に明かりもつけずに」

 淡々と投げかけられた言葉に色は傷ついた表情を浮かべる。確かに、ダルガの言うとおり色は誰にも気付かれぬよう、悟られぬようにと気を張っていた。彼らに直接聞こうとせずに、自分で確かめようとしていた。
 しかしそれは、そうできなかったから。直接聞いて、そうだと肯定されたくなかったから。何も彼らがそんな事をするはずがないと身勝手な思い込みをしているわけではない。だけど、色には受け入れがたいものがあるのだ。そんな事実を、正直色は受け入れる事ができない。
 だから彼らに聞くのが怖くて、自分の目で見て受け入れるなり見過ごすなりしようと思った。聞いてしまって彼らを見る自分の目が変わってしまうかどうか自信がなかったし、それを受け入れられない色を知られる事が怖かった。
 どんな風に思うだろうか。我侭だとか、身勝手だの甘えてるだの、思われるのではないか。彼らが色をどう思うかも、恐れていた。だから。だから無理にでも受け入れようとしたのに。どうしてダルガはそんな風に辛辣に言うのか。
 言うに言えない自分の思いを喉にぐっと押し込めて、黙り込む。ダルガはそんな風に傷つく色を見てもなお、嘲るかのようにくっと笑った。

「ああそうか、またいつもの好奇心か。天使殿は抑えきれないのだな、自らの探究心を満たすことを」

「叔父君」

「…ダルガ様」

 諌めるようにラミストとアナトが苦々しく呼びかけるが、ダルガの冷めた笑みは消えない。それは俯く色に向けられていて、色は悔しくて悲しくて、それでもダルガの言うように自分に深く失望もしていて。言い返すことが、できない。好奇心などで動いているつもりはないが、色はいつも勝手なことをしているから。そう言われても思われても、当然だと思った。
 しかしそうまで言われても必死に唇をかんで思いを殺す色に、挑発的なダルガの一言がとどめのように突き刺さる。

「いい加減にしろ。お前のおふざけに付き合っているほど我々は暇ではない」

 切り裂くような言葉で、言いようのない苦しみが胸中に広がり。込み上げてくる熱いものを歯を食いしばって圧し留め、ダルガを本気で睨み上げた。手は白くなるほどに握り締められている。もう、我慢すらできなかった。

「ふざけてなんかない!なんで、なんでそんな酷い言い方するんだよっ!」

 今にも泣きそうな顔で、しかし今だけは泣く事をプライドが許さなくて。きつく押し上げ苦しいほどの嗚咽を飲み込む色を、ダルガの瞳が苛立ちを交えてふっとほそまり見据える。
 張り付いた笑みが、どんどん消えていく。その表情を見た色の目が恐怖に苛まれかけたとき、彼がゆっくりと口を開いた。

「……酷い?大層な被害妄想だな。ではお前がした事はなんだ?酷くないと思っているのか。……とんだ悪女だ」

 何を、言っているのだろうか。色は酷い事などした覚えはない。ただ、知りたくて、確かめたくて。その一心だっただけなのに。

「………あたし酷い事なんて何も」

「何も?……ふざけるな!どれだけ人を心配させたら気が済むんだ破天荒娘が!!」

 ものすごい剣幕で一喝され、びくりと色の肩が揺れる。弾けたように現されたダルガの憤りに、色は身がすくんでしまった。ラミストやアナトが制する前にかつかつと色に歩み寄り、苛立った眼差しを向ける。猛る様な内情が見えるその紺の瞳は、恐ろしいほどに深く引き寄せるような色合いを放っていた。

「……お前がそうやって誰にも言わずに単独で行動する事が、どれほど心配をかけるかわからないのか」

 溢れ出るものを堪えるように紡がれたその言葉は、色の心をきつく縛り付ける。どうしてダルガがあんな風にきつい物言いをしたのか、こんな風に怒りを露にするのか、ようやく理解した。
 そうして自分の不用意な行動を、今までの事も含めて深く後悔し、周りのものにどんな思いを背負わせてしまったのかを悟る。謝りたいけれど、切なすぎて声が出ない。
 どうとも言えない眼差しで見上げてきた色をダルガの手が恐る恐る引き寄せて、腕に入った瞬間にきつく抱き締めた。

「お前が平気でも…俺は怖い。……もう消えるな」

 耳元に低く響く、絞り出すように呟かれた言葉。抱き寄せる力が強ければ強いほど、苦しくて悲しくて。色は自分の浅はかさを、このとき初めて思い知った。

  

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