極彩色伝

52.女官の噂

「で?ダルガ、どうしたの?」

 とりあえずアナトの事は置いておいて、色はダルガに問いかける。入ってきたからには何か用があったのだろうかと思いダルガを見上げると、少々決まり悪そうな表情が見受けられた。問いかけられたダルガは明後日の方向を向いて時たまちらちらとアナトに目を向ける。

「どうしたの?アナトに用があったの?」

「あー…いや、まぁそうなんだが…。ああ、うむ」

 どうにも曖昧に言いよどむダルガ。一体なんなのだろうかと猜疑心が湧いて色が怪訝な表情をしていると、すっとアナトが色の横を通り過ぎて、ダルガの前に立ちはだかった。
 邪魔だと横にずれようとする色を手で制して、アナトはどこうとしない。その間ちらりと見えたダルガの表情は一瞬険しくなったと思ったら酷薄な色に変わり、色と目が合った途端にそれはすぐさまなりを潜めた。
 なんとなく気になったので先を聞こうと色がアナトの後から身を乗り出そうとすると、くるりとアナトが振り返った。その表情は先ほどから微塵も変わっていないようだが、妙な威圧感を孕んでいる。間近で見るとやはり気圧される迫力があり、色は怖気づいたように一歩下がった。

「う…な、何かあったの?」

「ラウがイルを呼んでいるとのことです。行っておあげなさい」

「え?なんで?」

「さぁ…?大方イルに何か作ったのでしょう。さぁ、ほら、きっと待っていますよ」

 急かすようにぐいぐいと色の背中を押して、部屋から追い出そうとする。ダルガがここに来たわけがそれだけの為だったのか気にならなくもなかったが、ラウが待っているというならば後で聞いてもいいだろうと色は思った。
 そのまま背中を押されるがままに部屋を出て階段を下りる。そうして同じく部屋を出たダルガとアナトが違う方向に歩みだした事には、何の疑問も抱かなかった。




「ラウー。呼んだ〜?」

 ひょっこりと厨の戸口から身を乗り出して、ラウの姿を探す。館の厨はなかなかに広く、常に誰かがそこで料理だの皿洗いだのをしていた。しかし今日は珍しく人の気配がなく、そうとなればラウもいないことも一目瞭然だ。暫くそこをきょろきょろと見回してから色は少々がっかりしたような表情で首をすくめた。
 アナトにラウがどこで待っているのかを聞きそびれた。ラウを闇雲に探すよりもアナトを探して居場所を聞こうと思いつき、色はまた踵を返す。ダルガとアナトが向かった方向を思い出しながら。




 3階右通路の奥。そこがアナトの部屋。階段を下りた色の進行方向とは逆に彼らはそちらの方向へと進んだので、きっとアナトは部屋に戻ったのだろうと色は推測した。ダルガも険しい表情だったし、もしかしたら大事な話し合いをしているのかもしれない。
 いきなり入って邪魔すると怒られそうだと危惧した色は、アナトの部屋の前に立つと扉に耳をぴたりと当てた。中の様子を聞いて大丈夫そうだったら入ろうという魂胆だった。もしかしなくとも、ノックするという選択肢は頭から抜けているようだ。
 硬質な扉にくっついて、じっと黙って耳を澄ます。しかし物音一つしない。いないのだろうかとそっと押し開けるとやはり案の定誰もいなくて、妙にどきどきした自分が馬鹿らしくなった。ついでにアナトの部屋はどんな風になっているのかと悪趣味な悪戯心を出して部屋の中に入って、きょろきょろと見回した。
 殺風景な部屋だ。机と眩暈がしそうなほどの紙の束とベッドしかない。なんてつまらないんだと辟易した色は紙の積み重なる机にそろりそろりと近づいて、インク壷に突っ込まれた羽根をおもむろに掴んだ。にやにやと悪戯心満載な笑顔で白紙の紙を掴み、さらさらと何かを書きなぐる。
 そうして満足のいく内容が書けて羽根を戻したときだった。ぱたぱたと、複数の足音。近付いてくる、この部屋に。びくりと肩を揺らしてあたふたと部屋中を歩き回る色。アナトが来たならば、きっと怒られる、きっと長い長い説教をされることだろう。
 恐ろしい未来予想図に身震いした色は、咄嗟にベッドの下に身を潜めた。そうして間一髪もぐりこんだ瞬間に、部屋のドアが開かれた。失礼します、と歳若い女の声。女官の声だ。なぁんだ大丈夫だとほっとしてそこから這い出ようとしたとき、遮るようにその場に声が響いてきた。

「アナト様の部屋、殺風景ねぇ。掃除のし甲斐がないわ」

 物足りないように呟く女官の声。どうやらアナトがいない間に部屋の掃除に来たようだ。色に言ったわけではないのだが、色は咄嗟に何度も頷き激しく同意した。
 本当に殺風景過ぎる。これでは部屋の中でかくれんぼをしたら5秒もしないうちに見つかってしまうだろうと、今の自分の状況と重ねて勝手に拗ねた表情になる。そうしてその間も、色の目の前では二人の女官の足がゆったりと行き来する。

「まぁいいじゃない、その分仕事が楽だもの。イル様の部屋なんて、すごいわよ」

 くすくすと笑いながら洩らすその言葉に、色はぴくりと反応した。どうすごいというのだろうか。色は至って普通のつもりだったのに。そして色の聞きたい気持ちを代弁するように、もう一人の女官が尋ねる。

「あら、私まだ入ったことないわ。何がすごいの?」

「花がね、散乱してたの」

「…え?」

 おどけたような女官の言葉。色も思わず一緒にえ?と聞き返しそうになってしまった。花、花、花。散乱させた覚えなど無い気が…するはず。今一自信のない記憶に色が頭を捻っていると、笑い混じりに女官が説明する。

「しおれた花が部屋の中に散乱していてね、そのときはイル様部屋の真ん中で途方にくれたように座り込んでいらしたわ」

「…何、それってどういうことなの?」

「私もね、その部屋の有様が余りにすごいから聞いたのよ。そしたら、
『中庭の花があんまり綺麗だからちょっと摘んで部屋に飾ろうと思ったの』
って」

「あらあら部屋中に飾っちゃったの?」

 くすくすと部屋中に笑い声が木霊する。そういえばそんなこともあった気がすると赤面しつつ、また首を捻る。花が綺麗だからっていくらなんでも色だって部屋にばら撒くはずがない。先を思い出そうと眉を顰めたとき、また女官の声が降りかかる。

「いえね、それも違うのよ」

「なになに?」

 先を急かす女官の声はもう楽しそうに弾んでいる。色はというと嫌な予感に顔が歪んできているのだが。

「部屋に飾ろうと思って、花束を両手いっぱいに抱えて部屋に戻られたらしいの。でもそこでまた気付いたのよ、『花瓶がない!』って」

「か…っ…ッッ!」

 もはや聞き側の女官は言葉もないほどに笑っているようだ、足がふらついている。なんということだろう、色はその時ようやく全てを思い出した。
 そうか、そういえば目撃されていた気がする。気が動転していたあまり目を白黒させていた女官に自白していた気もする。
 だらだらと色が冷や汗をかいていることも露知らず、女官はさらにぺらぺらと暴露する。

「しかもね、それで急いで花瓶を取りに行こうとして…」

「くっ…。ま、まだあるの…」

「足がもつれて転んで花を部屋中にばら撒いちゃったらしいのよ。しかも一部体で潰しちゃって」

「ま、まぁお気の毒に…」

 全然気の毒そうな声に聞こえない。色はぶすっと顔をしかめている。

「それでね、まだあるのよ」

「ものすごく諦めが悪いお方なのね」

 大きなお世話だ。ふん、と色は密かに鼻を鳴らす。

「それで花をそのままにしていても仕方ないし、急いで花瓶を探しに行かれて、で、なんだかんだで帰ってきたら…」

「折角摘んだお花が萎れていたって訳ね」

「イル様も萎れた花にがっかりして萎れていらしたわ」

 再び部屋の中に笑い声が飛び交う。こんな事を話されては出るに出られない。やや不機嫌な表情で女官の足を見つめながら、色は頬杖をついた。
 ラウはまだ待っているだろうか、もしも美味しいものを作っていたならば早く食べねば冷めてしまうと、気が急く思いだった。そんな合間にも女官の話は続く。

「可愛らしい方ね」

「ええ、いまいち何の為にこの遠征についていらっしゃるのかわからないけれど」

「天使様だもの、ご加護を頂けるのよ」

「ああそうね、神々しい漆黒の瞳、艶やかな黒髪をお持ちだもの」

「あの方は本当に特別だわ。…あ、そういえば。知ってる?あの話」

「知らないわよ」

「まだ言ってないわ」

「そうね」

 なんだろうかこの不毛な会話は。なんとなく気になって顔を上げると、ばたりと何か音がした。色から見る方向からは女官の足が一人分しかない。頬を暖かい風が掠めたので、窓が開けられたのだと理解した。そうして風に乗って、少し顰められた声が届いてくる。

「海賊の船にね、ナースィア人が乗っていたらしいわ」

「…まぁ、珍しい」

 ナースィア人。聞きなれない言葉だ。あとでアナトにでも聞いてみようと思っていると、急に場の雰囲気が変わった。女官の声が、やけに小さく秘密事を話すかのように押し殺された声になったのだ。

「それも確かに珍しいけどね…そのナースィア人、子供の白血種だったらしいわよ」

「いやだ…それホント?」

「嘘なんかつかないわよ。だから皆気味悪がっちゃって、誰もあの部屋に近付こうとしないわ」

「あの部屋ってどこ?」

「そのナースィア人が監禁されている部屋。一階の最奥の部屋よ」

 ナースィア人、白血種、気味が悪い、監禁、一階の最奥の部屋。一つ一つ言葉を広い、色は頭に押し込める。一度聞くとなんだか、気になって仕方がなかった。そうして息を潜める色のすぐ傍で、女官はとうとう過ちを犯す。

「ラミスト様はそのナースィア人に何か聞きたいことがおありのようよ」

「それって…」

「子供らしいけれど、情けはかけられないわね。相当口が堅いらしいから、今頃辛い拷問を受けていることでしょうよ」


 気の毒そうに聞こえてくる女官の声。それでもそれが何故か何よりも残酷な響きを孕んで、色をぞっとさせた。

  

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