極彩色伝

39.たった一人へ

 まさか、まさか、まさか。恐ろしくてたまらない、だけど確かめずにはいられない。もしもあの子がどうにかなっていたらと思うと、全身がざわざわと波立つ思いに駆られる。
 ある一点に走って、目指すドアのノブを力任せに引く。予想通りに広がる視界は、跪くラウロランナと、部屋の隅にぐったりと倒れ掛かる色の姿。右肩を押さえる手は真っ赤に染まり、その表情は出血のためか血の気がないほどに白かった。
 ラミストの目には色の姿だけしか映っておらず、立ち止まらずに駆け寄った。

「イル…イルッ!!返事をしろっ!!イル!?」

「…う…?あ、ラミスト様…?」

 力なく薄っすらと目を開き、色はラミストの顔をその瞳に映し出した。生きていたことに安堵はするものの、しかし右肩の出血はただ事ではない。
 ラミストは帯刀のため巻いていた腰布を解くと色の肩に巻きつけ、きつく縛ると止血を図った。ぎゅっと、布が締め付けられる音がして、それと共に色は与えられた圧痛に小さく呻く。ラミストは苦悶の表情で真っ青な色の頬に手を添えると、そっと撫でた。

「すまない、イル…。傷つけてしまった。俺は、守れなかった」

 色はラミストの苦渋の表情を見て、無理矢理微笑むように目を細めた。痛みでそれどころではないだろうに、どうにかラミストの苦心を払拭しようとばかりに、見るも痛々しく微笑みかける。

「ううん、大丈夫だよ。ほんとは、あんまり、痛くないから。…大丈夫だから、ラミスト様、泣かないで?」

 どんなに傷ついても、どんなに痛みを負っていても、色は目の前にいる人間を気遣う事をやめない。相手が何も背負わないように、傷つかないように振舞う。どんなに自分が傷つけられようとも。こんなときまで人を思いやる色が悲しくて、何故自分は守れなかったのだと悔やまれて、胸が締め付けられ苦しくてたまらなくなる。
 ふっと、ラミストは目を閉じ、また開いたその刹那、紺の瞳は激情の色に支配されていた。不甲斐無い己への怒りと、色を傷つけた、ラウロランナへの燃え上がるような混沌とした憎しみ。
 すっと立ち上がり振り向くと、先程まで呆然としていたラウロランナはゆっくりと立ち上がりはじめていた。

「………ラウロランナ・テリアス。…お前が、イルをやったんだな」

 湧き上がる激情とは裏腹にラミストの声は抑揚がなく冷静すぎるほどに冷静で、逆に聞くものの恐怖心を煽るような静かな声音だった。
ラウロランナは落ちていたナイフを手に取り、臨戦態勢を取る。しかしその表情は色同様真っ青で、覇気が全くといっていいほどなかった。

「……わ、私がやった。そう、そうだ、お前達を、殺さなくてはならない。
………ラミスト殿下、お覚悟を」

 言葉を紡ぐほどにラウロランナの目に、殺気と狂気が入り混じった光が宿ってゆく。ぎゅっと色を刺したナイフを握り締め、狙いを定めた。しかしラミストは微動だにせずに冷酷な目をラウロランナに向けている。
 空を切る音がして、ラウロランナは咄嗟に伏せてそれをよける。身を翻して距離をとると、アナトが剣を構えてラウロランナに向けていた。

「私を忘れてもらっては困る」

 淡々と言うや否やすばやく一歩踏み出しラウロランナに向かって剣を突き出し、ラウロランナは咄嗟にそれを避けてナイフを投げる。アナトはそれをいとも簡単に避けると間合いをつめ、ラウロランナの黒いローブに剣をつきたてた。
 まるで標本の蝶のように床に止められたローブのお陰でラウロランナの体制がぐらりと揺らいでしまい、懐から取り出した武器で第二撃を放とうとするもいつのまにかアナトが持っていたナイフで払われてしまった。
 そのままアナトはラウロランナの不安定な体制に追い討ちをかけるように足払いをかけ、二者はふわりと覆いかぶさるように倒れこむ。
 仰向けに倒れたラウロランナの首にはナイフがぴたりと据えられ、アナトはその上で冷ややかにラウロランナを見据え、あっという間に主導権はアナトのものとなっていた。息一つ乱していないアナトに対してラウロランナの呼吸は荒く、それでも牙をむくようにアナトを睨みつける。
 しかしアナトの目もまるで阿修羅のごとく鬼気迫り、今すぐ射殺さんばかりの殺気をありありと漲らせていた。

「…悪いが、私は女といえども裏切り者に容赦はしない」

 慈悲も何もない冷ややかで酷薄なアナトの低い声。首にじんわりと滲む暖かい自分の血。ラウロランナは自分の死が確実な事を悟った。これが当然の結末である事も、とうに予測済みだった。
 天使を傷つけた罪は何よりも重いと、胸の痛みによりラウロランナは思い知らされていたのだった。
 一連の流れを見ていたラミストは捕らえられたラウロランナを確認すると色に負担がかからないよう身長に抱き上げ、立ち上がった。アナトに一瞥をくれ、アナトもこくりと頷く。しかしそれまで静かだった色が、ぽつりとか細い声を発した。

「……アナト、駄目だよ。そんなことしちゃ」

 ぼんやりとした目でアナトとラウロランナを見下ろし、じっと見つめる。全員が驚愕して色を見つめ、それでも色は悲しげに首を横に振った。

「ねぇ、駄目。ラウに痛い事しないで。…あたし大丈夫だから、ラウに乱暴しないで」

 色の意図を悟ったアナトは色から目を逸らし、しかしラウロランナに向けたナイフは下げようとしない。
 ラミストは険しい表情ながらも色の頭を自分の胸にぽすりと当てて、何もかも見えないようにした。色は力も出ないため、ぐったりとラミストにもたれかかる。そのまま懇願するように見上げると、ラミストは目を伏せてあやす様に囁いた。

「イル、ラウロランナはお前に危害を加えた。………処罰しなければならない」

「…え?」

 不安げに見上げる色には目もくれず、ラミストは戸口に向かって歩き出す。色は嫌な予感に、ラミストの服を握り締めて引っ張った。

「何…?処罰って…なに?………やめ、やめてよ。やめて、ラミスト様、やめて」

 泣きそうな声で色が懇願しても、ラミストは止まらない。ラミストの肩越しにアナトの背中と倒れるラウロランナの顔が見えて、ますますラミストを揺さぶるように引っ張った。

「やめて!止まって!止まってよラミスト様、降ろしてっ!あたしラウと一緒にいるっ、降ろして!!」

 痛みが増す事にもかまわず色はばたばたと暴れ、布から滲む色の新たな血に焦りを感じて、ラミストは押さえつけるように抱きしめる。宥めるように、諭すように、ゆっくりと耳元に囁きかける。

「イル、暴れるな。出血がひどくなる」

「じゃあ降ろしてっ!あたし平気だって言ったじゃん!」

 むきになって色はラミストを睨みつけ、手で突っぱねてラミストから距離をとろうとする。聞き分けのない色にラミストは苛立ちを感じて、頬に手を当て目線を合わせた。

「…馬鹿、平気なものか。傷の手当をしなければならないだろう?頼む、大人しくしてくれ」

 懇願するラミストの切ない目線を受けて色は大人しくなり、しかし服を握り締めてラミストを見上げた。

「ねぇ、じゃあラウを許してあげて?あたし平気だから、大丈夫だから…ね?」

 とんでもないことだ。自分が無事であったって、ラウが無事でなければ何もかもがだめになってしまう。忍び寄る恐怖心で色の心はいっぱいに満たされ、なんとしてでもそれを阻止しなければと警告していた。
 しかしラミストは無情にも首を横に振り、耐え難い決断を色に迫る。

「王族、乃至その保護下にあるものに手を出す者には死の宣告しか残されていない。これは決まりだ。俺やイルの意思でどうにかなるものではないし、無論どうにか出来ても俺は許すつもりはない」

 酷薄な言葉、強固な意志。ラミストの言葉を受けてちらりとラウロランナに目を向け、あの絶望を思い出す。耐え難い、あれは、受け入れざるもの。色はぶんぶんと首を振って拒絶の意を表わした。

「知らないっ!そんなの知らない、きまりなんかどうでもいいっ。ラウ、ラウを殺すのっ!?嫌だ!やめてよ!」

「………これは仕方のないことなんだ、もうどうしようもない。諦めろ」

 色の避難めいた言葉に流されず再びラミストは歩き出し、色も暴れようとする。しかし色の身体は先程よりも強い力で抑え込まれ、身動きもうまく取れないほどにラミストに支えられていた。強固な意志を見せるラミストの態度に色の顔はいっそう青ざめ、そして悟る。
 今この部屋から自分とラミストが出て行ったら、間違いなくアナトはラウロランナを殺す。そんなことはあってはならない。アナトに人を殺させたくはないし、ラウロランナを失いたくない。自分の目の前で誰かが殺されるのを見過ごすなんて、絶対に許せない。色は開いたほうの手で、ラミストの胸をしたたかにうちつけて叫んだ。

「いやだっ!!!離して、離せッ!」

 しかしラミストはびくともしない。ゆっくりと、歩みを進め、色は今度はアナトを見下ろし睨みつけた。

「アナトっ!やめてよっ、ラウから離れてっ!!」

 アナトは振り向かない。色はますますパニックに陥る。気が狂いそうになるほど、恐ろしい現実が色を蝕もうと手をこまねいていた。

「やだぁっ!やめて、お願い…お願いだから、殺さないで。ラウ、ラウぅ…っ。やだ、離してっ!」

 泣き喚く色にもかまわずラミストは歩みを進め、ついにドアノブに手をかけた。色の視界が涙で滲み、悔しさでラミストの肩を爪を立てるように握る。滲んだ視界に見えたのは、諦めたようなラウロランナの微笑み。色に向かって、声を発することなく呟いた。

 ゴメンネ。

 無情に開くドア。一歩外に踏み出すラミスト。アナトの右手に握られたナイフ。穏やかに微笑んでいるラウロランナ。何もかもがぐちゃぐちゃになり、視界はブラックアウト。なす術のない色は、秘めていた言葉を、口にした。

「や…いやだよっ!死なないでっ……………お姉ちゃん!!!!」

 それは色が無条件に親愛の情を示す、たった一人の人への言葉。

  

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