29.大噴火
アズルカ遠征隊は早朝に出立し、河岸線伝いに着実に歩みを進めていた。
進むにつれて近辺の人賑わいは増えていき、とうとうちょうど太陽が真上に差し掛かったとき、アズルカの対岸にあるバルサワドルという港町に到着した。
そこはまるでファブラザスと変わらないといえるほどに盛んな街で、様々な人種や生き物が縦横無尽に闊歩していた。
せっかく到着したというのに、隊の半分は町の中へと連れて行き、半分を町の外の河岸線に置いていってしまい、ラミストは街についてからすぐにダルガと小隊長達との作戦会議を開き市街長の用意した個室に篭ってしまった。
いまいち何をしようとしているのかがわからなくて、色は暇な時間を有効利用しようとアナトに遠征講座を開いてもらうことにした。
「ねぇアナト大先生、ここってすごい賑わってて王都みたいじゃん。腐敗なんてないしむしろ盛んでいいんじゃないの?」
がたがたといつもより大きな板を設置するアナトを横目に、窓の外の町の賑わいを眺めて色が呟いた。市街長の館はなかなかに大きく、その三階の見晴らしのいい部屋をわざわざ色にあつらえてくれたのだ。町の大広場がよく見えるので、色は窓際に椅子を置いてその賑わいを嬉々として眺めている。
アナトは板を設置し終えるとしゃきーんという音がいかにも聞こえてきそうなしぐさで白墨を取り出し、すらすらと何かを描き始める。また始まったかとちらりと色が板に目を移し、目に移ったその光景に凝固してしまった。
板には真ん中に一本の太い線が引かれていて、その両脇にはもはや何が描かれているかも判別不可能なほどの物体が所狭しと描かれていたのだ。
毎度の事ながらどうして自分はこんなどへたくそな絵を見せ付けられているのかと、色はアナトにわからないように小さくため息をついた。
絵を描き終えるとアナトは矢印棒を取り出しかつかつと線の右側を指した。
「いいですか、こちらが今私達がいるバルサワドルです。そしてここの対岸にあるのがアズルカ」
線の右と左を交互に指してアナトが色に確認するように向き直る。それに対して色はこくこくと冷や汗を浮かべて頷いた。実はあまりに絵が奇抜すぎて何の絵だったかもわからなかったのだ。
アナトはそんな色の様子などは気に留めず、今度は左側の顕微鏡でよく見る何かの細胞のような絵をかつかつと叩いた。
「アズルカは無法者の巣窟といいましたよね。あそこを本拠地とする海賊達は強奪襲撃略奪行為のほかに不法取引の斡旋、違法商売、その他諸々外界の違法物を次々とわが国に積み込んでいったんですよ。他国と手を組み、この町と手を組んでね」
一体何を言っているのかと色が口を開いた瞬間、屋敷の中に甲高い女の悲鳴が聞こえた。そしてなにやら下の階でどたどたと騒がしい声が聞こえたと思ったら、ラミストの声が高らかに屋敷内に響いた。
「パラディス国第4王子ラミスト・ヴィ・パラディスの名の元に海賊との密通、不法取引を行ったとしてこの町を包囲する!おとなしく投降しろ!抵抗するものには容赦しない!」
途端に待機していた兵たちが大広場に現れて、広場は大混乱に見舞われてしまった。いきなりの展開に色が目を白黒させてあたふたと窓と部屋の入り口を行き交いしていると、アナトが色の肩を掴んでまたもとの位置に座らせた。
「あっ、アナトっ!なんか凄い事になってるよっ?何っ?何なの急にっ?」
また立ち上がろうとする色の肩を押さえて、アナトはにっこりと微笑んだ。
「大丈夫ですから、じきに収まります。ここで大人しくしていてください」
「いやっ、そうじゃなくてっ!何やってんの?何が起きてんの!?ラミスト様何やってんの?」
屋敷の中は騒がしく人の悲鳴やら何かが壊れる音がして、それは外からも同じように聞こえてきた。こんな騒ぎの中で大人しくしていろというほうが無理であって、飄々としているアナトを信じられないものを見るかのような目で色は凝視する。
アナトはそのまま平然とした表情で矢印棒をまた掴んで板の前に立った。
「それをこれから説明いたしますので、大人しく聞いていてください」
こんな騒がしい中でアナト講座も何もあったもんじゃないと色は思ったが、なにやらアナトの目が有無を言わせない光を放っていたので、開いた口を塞いで聞く姿勢をとることにした。
それを見てアナトは満足そうにまたにっこりと微笑むと、板に向き直って線の右側を指す。
「今ラミスト様はこの街の取締りを行われていらっしゃいます。この街は己が至福を肥やすため、海賊と手を組んだのです。だから街はあそこまで王都のように肥大して、みな裕福な身なりをしていたでしょう?もう戦いは始まっています。港にも外に待機していた兵に防衛線を張らせました」
確かにこの町にきてから、誰も彼もど派手な格好をしていた。町全体がまるで、浮かれたサーカスのように浮き足立っていた様に見えたのだ。色はさっきとは打って変わって混乱に狂う広場を見つめてそれを思い浮かべる。
「どうして手を組んだの?自分の国を売ったの?」
色の指摘にアナトは真顔になり、そしてまたすぐに自嘲的に笑みを浮かべた。
「人間とは、そういうものですよ。目先の利益に捉われて周りが見えなくなって、結局自滅してしまう。まぁ、この町が海賊に抵抗できる術もなかったかもしれませんが、結果は同じ事です」
色は何の感情も見られない目で下の騒ぎを見つめて、ぼそりと呟いた。
「そうか…この国の人が受け入れてしまったから入っちゃったんだ。…可哀想だ。ずっと今まで守ってきたのに、裏切られた」
「可哀想とは、誰がですか?」
アナトは耳ざとく色の呟きを聞いて眉をひそめて聞き返したが、色はただ悲哀を秘めた目で下を見つめて首を横に振るだけだった。
急に沈み込んだ色の様子を伺おうとアナトが窓際まで近づくと、色がぱっと振り返ってアナトを見上げる。妙に切羽詰ったような、すがるような顔つきだった。
「アナト、その海賊やっつければ、もう悪いものは入ってこなくなるの?」
「え、ええ。海賊が外界との橋渡しとなっているので、ひとまずはそれを断ち切ってしまえば腐敗の進みは止められるでしょう」
「そっか…わかった」
色の不可解な態度に戸惑うアナトをよそに、色はそのままずっと混乱する町に沈みかける太陽を、その瞳に反映していた。
夜も更けてきた頃には騒ぎは収まって、逆に誰もいないかのように街は清閑と闇に包まれた。ただぽつりぽつりとたいまつを掲げ見回る兵士達の姿だけが街の中を静かに移動していた。
ラミストとダルガ、それにアナトも加わって夜遅くまで今後の行動予定について話し込んでいた。
あらかた筋道が立ってきたところで、こんこんと部屋をノックする音が聞こえたのでアナトが扉を開けると、そこに立っていたのは色だった。もうとうに寝ていたとばかり思っていたので一同は目を丸くする。
色はそのまま無言でラミストの元までとてとてと歩み寄るときゅっと服の袖を掴んで俯いたまま口を開いた。
「ラミスト様…明日アズルカに行くの?」
アナトは椅子を用意して、色をその場に座らせた。しかし色は依然服の袖は掴んだままである。
ラミストは色がアズルカに行く事に対して何か不安を抱いているのだろうと察して、安心させるように掴まれていないほうの手でふわりと頭をなでた。
「恐らくアズルカまでの渡航で海賊と一戦交える事になるだろうが、大丈夫だよ。イルは連れて行かないから」
「なんで?あたし連れて行ってもらえないの?」
予想外の言葉にラミスト達は目を丸くした。この間はあんなに嫌がっていたのに、なぜ今になってそんな危険なところに行きたがるのかと理解できない思いだった。
しかし色は請うようにラミストを見つめて、ぐいぐいと袖を引っ張る。ラミストは小さくため息をついて、その手をやんわりと引き剥がした。
「イル、わかってるか?一戦交えると、海賊と戦うと俺は言ったんだ。俺や叔父君は指揮のため行かなくてはならないが、イルは天使としてついてくるだけなのだからそんな危険の伴う戦いにまで立ち合わなくていいんだ」
「どうして?あたしラミスト様を守護する天使なんでしょ?一緒にいなきゃおかしいじゃん」
「イル、理解しろ。君に俺を守ることはできない。それが事実で、自分の身すら守れない君を連れて行っても足手まといなんだ」
ラミストはわざと突き放すように冷たく言い放った。色が本当はただの少女という事はとうに承知の上で、それを突きつけて諦めさせようと思った。何が起こるかわからないのに、そんなところに色を連れて行けるわけがなかった。
しかし色はきっとラミストを睨みつけるととんでもない事を口走った。
「ラミスト様の大嘘吐き。アナトとダルガの裏切り者!」
しばしの沈黙が、部屋を包み込む。
「「「はぁ?」」」
いきなりの色のあまりの言い草に、全員顔をゆがませて色を見つめ返した。まぁ、ラミストはあんな言い方をしたのだからどういわれても仕方ないかも知れないが、アナトとダルガは実は全く関係ない。
しかもラミストもいきなり大嘘吐き呼ばわりされた事に口をぱくぱくとさせている。身に覚えが、ないのに。あんまりじゃないかと言い返そうとしたとき、色がいきなり立ち上がった。椅子がドタンと後ろに倒れる。
「だって離さないって言ったくせにもう離すつもりでいるじゃん!嘘吐き!それに!」
そういうと今度はぐるっとアナトに向き直った。アナトは色の剣幕に一歩後ずさる。
「アナトあたしの事守ってくれるんじゃなかったのっ?じゃあいいじゃん!船の上でも守ってよっ!」
それはあんまりと言えよう。昨夜は守れないと嘆いていたのにふっ切れた後は自分を守れと豪語する色。アナトは少しだけ、なんだか悲しい気持ちに駆られた。
そのまま色は勢いに乗ってダルガに振り向く。
「それにダルガァッ!!」
なんだか一番険しい声で名前を呼ばれて、ダルガはびくっと肩を揺らした。正直、鬼気迫った色の顔が…怖い。
「な、なんだ」
「力になってくれるって言ったじゃん!じゃああたしを、戦いに、連れてけーーーッ!!!」
その場で最高潮になって色は懇親の力を込めて叫んだ。もちろん言うまでもなく、その後彼らは『ハイ。』と一言即答していた。