極彩色伝

26.酷白

 時は深夜。オレンジ色の鈍い光をはなつテントの中で、何やら大の男3人が小さな輪を作りひそひそと語り合っていた。紅一点の色は湯浴みで居ない。ここぞとばかりにランプを囲んでの男同士の密談が始まった。
 アナトは夕刻に襲ってきた刺客4人とその仲間と思われるもう一人の男の事を、ダルガとラミストに報告していた。

「それじゃあ、つかず離れずの気配はその夕刻襲ってきた男だったのか?」

「おそらく、としか言いようがありませんが」

 ランプの明かりに照らされて、ダルガはその深紅を誇る髪をかきあげた。その表情はいつもの飄々としたものが一切なく、見る者に静かな猛獣と対峙しているような畏怖を感じさせるであろう顔つきだった。対するアナトの方も、色が見たら一瞬で泣き出しそうな目つきだ。
 ラミストはアナトが報告をする中寡黙になりじっとランプの中で小さく揺らめく炎を見つめている。その中に何かを見出すように目を細めると、ゆっくりと口を開いた。

「お前が仕留め損ねたならば、手練だな…。探せ。イルに近づかせるな」

「…御意」

 厳格に言い放つラミストは、色に見せた事のないもう一人のラミストの顔になっていた。全てを拒み、身を阻む全てを切り捨てる権力者のごとき威圧感を持って。場がしーんと静まり返った瞬間、ばさっとテントの帳がまくられた。

「うわっ!なにやってんの?百物語?」

 テントの戸口には髪を湿らせた色が立っていた。男3人がランプを囲んでいる光景があまりに異様だったため、驚きで目を丸くさせている。男共はそそくさと自分の寝床に移り、知らぬ存ぜぬといわんばかりに目をそらした。

「なんか怪しいなあ〜?」

 あまりにあからさまな態度に色はいぶかしんで見渡すが誰も目を合わせようとしない。立っていても仕方ないので、そのまま自分の寝床へと進み腰を下ろした。

「ねー何?何してたの?みんな寄り添っちゃって。あ…もしかしてあたしお邪魔だった?」

 色の誤解を招くような発言に、いやすでに誤解している発言に皆一様にぎょっとした。何を想像しているのかなど考えるだけでもおぞましかった。寝転んでいたダルガがあわてたようにがばっと起き上がる。

「寄り添ってなどないっ!馬鹿を言うな…全く」

「だってそんな雰囲気だったんだもん。」

 つまんない、とでも言いたげな色の顔を見てラミストは深くため息をつく。こんな事を考えている天使の命を狙ってどうしたいのかと、刺客全員に聞いて回りたくなった。

「イル、頼むから気色の悪い誤解はよしてくれ。ほら、明かりを消すからもう寝なさい」

 ぱちりと音がしたと思ったらテントは闇に包まれた。ラミストもダルガも横になり目を瞑る。が、色は一向に眠ろうとせずに枕を抱いて座り込んでいた。

「イル?どうしました?寝てください」

 アナトはいつも座ったままで寝ているのですぐに座っている色の影に気付いた。しかし色は押し黙って眠ることを拒絶する。一旦横たわったラミストとダルガが上半身を起こしたとき、色の小さな声が闇の中にポツリと浮かんだ。

「あたし、わかってるよ」

 何を?とは誰も言わなかった。その胸中は先ほどの会話を聞かれていたのだろうかと疑心暗鬼に襲われている。色の言葉を追求できない、というか追及したくなくて男達が押し黙っているとそれすらも察しているかのように色は続けた。

「今日あたしが命狙われたのって初めてじゃないよね。あたしの気付かないうちにアナトがいっぱい戦ってくれてたんでしょ?」

 やっぱりさすがに気付いていたか、とダルガが肩を落とすとアナトが横目でじろりと睨んできた。暗闇でも目を光らせて恐ろしい目つきで睨んでくるとは本当に侮れない男である。
 色はうつむいてぎゅう、と枕を抱きしめている。

「確かに、イルはこれまで何度も狙われていたが何事もなかっただろう?アナトの腕は確かだ、安心しろ」

ラミストがなだめるように言うと、色はうつむいたままふるふると首を横に振った。

「そうじゃないよ。あたし知ってたんだよ、なのに知らない振りしてたの」

 その場の者全員が色の言わんとすることがわからなかった。なぜそんな振りをしていたのか、なぜそれを今言うのか。そのまま知らない振りをしていればいいものを、と不可解に思った。
 誰を見ることもなく枕に顔を預けて、吐き出すような色の告白は続く。

「あたし怖かったんだよ。そんな、そんなのがあたしの周りに起こっているっていうのが怖くて。アナトが守ってくれてるって知ってたのに、自分が怖いからって知らんぷりしてたんだ」

 色は争いが身近にある環境で育った事などない。他人事では見たり聞いたりはしていたが、命を狙う事が日常茶飯事などそんな危険極まりない、命を握られているような状況に立った事などなかった。
 だから自分がその状況に立たされて恐怖を感じた事や、それに対して目をそらしたがっている腑抜けな自分が恥ずかしくて、今までずっと黙っていた。
 だけど、今日の出来事でそれを続ける事ができなくなってしまった。

「怖いと思うことは当然ですよ、私のことは気になさらないでください」

 淡々とアナトが言い返すが、それでも色は首を横に振る。アナトは困ったようにラミストやダルガと目を見合わせた。
 困り果てて皆が黙っていると色は顔を上げて暗闇に佇むアナトを見つめた。その顔は、なぜか笑みを浮かべている。脆く崩れ落ちそうな、作り上げた笑みを。

「今日、アナトあたしに戦うところ見せないように、あんな事言ったんだよね」

 目と耳を塞ぎ大声で献立暗唱。色が怯えるようなものを見せないために、悟らせないためにアナトが色に要求した事だった。やはりあの状況ではさすがに無理があったかと、アナトは心の中で臍をかんだ。

「あたしそれわかったけど言うとおりにしたの。何でだと思う?」

 アナトはもちろん、ダルガもラミストも答える事ができない。なんだか声を発しただけで、色が泣いてしまいそうに見えたからだった。
枕を抱きしめる色の腕に、徐々に力が入っていく。ぎゅ、と枕の小さな悲鳴が、聞こえた気がした。

「人がね、切られたり叩かれたり殴られたり、痛い思いをしているところを見たくなかったの。誰かがそういうことをしてるところを見たくなかった」

 見ていられないほどに、苦しそうに色は自嘲的な笑みを浮かべている。
 ラミストは先日色に教えてしまった事実を思い出して、少しばかり後悔した。あのまま色の考えを諭さないで居れば、このように色が自分の思いに悩む事などなかったのだ。
 きっと色は、アナトに助けられたときに思ってしまった『見たくない』と、戦争を見たくないと言った『あのときの事』を、重ねている。それを咎めるべき事だと、自分を責めている。

「イル、それは」

「それでね!耳塞いで目閉じて何もわからないようにしたの、自分でそうしたくて。…まだあるよ」

 ラミストが自分を責める色からかばおうと、何かを言いかけたが色はそれを遮った。誰にも、自分の断罪を邪魔させないように。優しい言葉に自分がすがりつかないように。
 ラミストも、アナトも、ダルガも、もうこれ以上色に喋らせたくなかった。それでも止めようが止めまいが色は傷つく事がわかっているので、どうすることもできなかった。
 自分への断罪に耐えるように枕を懇親の力で握り締めて、声を震わせ色は続けた。

「その時はそれだけ考えてそうしたけど後から思った。あ…あたし自分の事ばっかりで、アナトのこと守ろうとも思わなかった。アナトはあたしのこと守ろうとしてくれてるのに、だよ?」

「私のことは守らなくていいんです。自分の身は自分で守れますから」

 アナトはいらいらとした声音で答えた。一体どうやってこの小さな少女が自分を守ろうというのか、どうして守れないことを罪に思うのか。今までそんな事を言う者は誰も居なかったため、不可解でたまらなかった。
 ばっと色が顔を上げる。今にも泣きそうなのに、泣いていない。泣く事を拒むかのように唇をかみ締めている。それを見た瞬間、アナトの胸の辺りが握り締められたような感覚に陥った。

「そんな事はどうだっていいんだよっ!あたしが守れるかどうかじゃなくて守ろうって思わなかったことが!…ごめん。ごめ、…ごめんねアナト。あたしっじ、じぶ…んのことばっかり、で」

 声も絶え絶えで、絞り出して色は謝る。自分のずるくて醜い部分をこの告白で改めて見つめなおして、苦しくてたまらなかった。どうして自分はここまで自分の事ばかりで、非力で、ずるいのだろうと思いつめる。
 こうやってアナトに謝って許しを請うことすらおこがましい気がして、やるせない思いでいっぱいになってしまった。
 枕を抱きしめ続けてうなだれる色の頭にふわりと、暖かい手が下りてきた。顔を上げると、ラミストが嬉しそうに、優しい笑みをたたえている。

「イル、やっぱり君は本物だろう?」

 色にはラミストの問いかけがよくわからなかった。それでも頭に感じるラミストの暖かい手のひらに自分が心のどこかですがろうとしている事だけは、感じ取っていた。

  

http://mywealthy.web.fc2.com/



inserted by FC2 system