18.お心のままに
―――翌日、色は国王謁見の前情報としてアナトにパラディス国の事、王宮の事などを色々と教わっていた。
「ぇえっ!王子様9人もいるのっ!?多すぎだよ覚えきれないよっ!」
今は国王の実子についてアナトから説明を受けているところだ。
どうでもいいがまた例のアナト仕様板が置いてある。今色たちがいるのは色の部屋なのだが…。
板には青い虫が9つと赤い虫が4つ描かれてあり、アナトは色の意味不発言をさらりと無視してかんかんと矢印棒でその絵を示した。
「王子は9人、王女は4人程いらっしゃいます」
虫は王子と王女を表していたようだ。一国の王子王女を虫扱いとは末恐ろしい男である。ミリエラが滝のように冷や汗を流しているのをよそに二人の談義は続く。
「ひえー…でもそれが普通なんだよねきっと。あっ!あのデ1・2の人達は?」
「兄であるディアラルド・フォオガ・パラディス様とその弟君のディテイル・フォオガ・パラディス様です」
「ラミスト様が言ってたフォオガ兄弟だね」
「そう。あの方々は非常に個人主義でいらして、兄のディアラルド様はともかくディテイル様などバルド殿でもその扱いをもてあましているほどだそうです」
バルドが要注意人物なのは今までの周りの様子からわかっているのだがそれを上回るほど濃い王子なのだろうか。いずれにしても会ってみないとわからないが。
なかなか王宮の中身は複雑で色んな思惑が渦巻いてるようだ。これもバルドが均衡を崩したおかげだろう、そう思ってふとあることに気づいた。
しばらく思案していたが顔を上げて嬉々として次の絵を描いているアナトを呼び止めた。
「ねぇ!均衡が崩れたってことは色んな影響もあるって事じゃないの?それにどうしてこの国は河の神様の守護があるといっているのに河の外側まで領地があるの?いくらなんでも外側まで守護なんて頂けないでしょ」
アナトの手の動きがぴたりと止まり、ミリエラと顔を見合わせる。なるほどなかなか、色は無智ではないようだった。
アナトは今まで描いていた絵をさも残念そうに消してパラディス国の全貌を描き、パレィル河があるとされる箇所に線を引いた。
「確かにイルのいう通り、影響は様々なところに出てきています。それにはまずバルド殿が行ったあることについてから説明しなければなりません」
「あること?」
「パラディス国の領土拡大です。本来この国は自国を守るだけで他の国に手出しをする事はなかったのですが、バルド殿の計らいによって他国に軍を派遣し徐々に領土を獲得していきました」
だから河の外に領土があったのか。色は色が売られていた当初居た場所はラミストが国境付近だといっていたこと、自分が河を越えて王都に着いた事を思い出していた。
アナトは河の外側を図示して続ける。
「しかし河の外と内側では権力の影響がまるで違います。領土とはいっても河の外側では今も小競り合いが絶えないのです。そういったもののお陰で逆に国に異文化…というより悪文化が介入していまや国の外側は腐敗していっています。人身売買といったものも本来禁止されているはずなのですが…」
人身売買…色が売られたあの場所でも行われていたものだ。きっとそれだけじゃなく反吐が出るような事があそこで行われているのだろう。
色は自分が辿るかもしれなかった未来を想像して背筋に寒気が襲う。本当にあの時ラミストに会えてよかったと改めて思った。
しかしバルドという人間は一体何故そんなことをするのか。何故そのような事を考えるのか色には理解できなかった。
「バルドさんは…どんな人なんだろう」
「あれは人ではない。この国に巣食う魔だ」
ふいに後ろから声がしたと思ったら、戸口にラミストが腕を組んで寄りかかっていた。
また以前に見た険しい顔をしている。侮蔑や嫌悪、憎悪などあらゆる負の感情を含んだような、刃物のように鋭く冷たい目だった。
色はそんなラミストを見てああ、と深い心痛を覚える。普段穏やかなラミストが悲しいくらいに冷たい目をする原因が、その心のうちに封じられているのだと痛いほどに伝わった。
それはきっとアナトもミリエラも感じているのだろう。ラミストがそういう顔になるとアナトもミリエラも目を伏せるのだ。まるでそんな主は見ていられないとでも言うかのように。
色の感情が如実に顔に表されているので、ラミストは微苦笑して色に近づき安心させるように頭をなでた。色の表情がほっと安堵に包まれてふにゃりと笑うので、ラミストも自然と笑みがこぼれる。
「この国のことはわかったか?」
「うん、アナトがどへたくそな絵で解りやすく教えてくれた。ラミスト様は仕事終わったの?」
色がにこやかにアナトの絵をへたくそと、しかもご丁寧に“ど”までつけてくれたのでアナトは涙目になりながらむきになってごしごしと絵を消し去っている。
ミリエラはそんなアナトの様子におろおろして必死になだめているがどへたくそではありませんよ、とか見れない絵じゃありません、だのとフォローになってないことばかり言うのでアナトはますますどん底に突き落とされていた。そんな二人の様子など色の目には入っていなかったが。
騒ぐ二人をよそにラミストは色の向かい側の椅子に座り一息呼吸を入れてから口を開いた。
「俺の仕事は終わったよ。明日は、色が仕事する番だ」
「えっ?できないよ帝王学なんか学んでないもん!」
妙に現実的な色だった。そんな色にラミストは可笑しそうにふっと一笑するがまたすぐにまじめな顔つきになり、色に天使として初めての命を下す。
「イル、国王陛下への謁見が許された。明日俺と一緒に王宮に行ってほしい」
それを聞いて騒いでいた二人の動きもぴたりと止まり色もきょとんとした表情になったが、すぐに不敵な笑みへと変わった。
向かい側のラミストに軽く頭を下げる。
「主様の、お心のままに」
「…………っ!」
色のいきなりの敬譲語に、というより今までタメ口オンパレードだった色が敬譲語を使えるという事実に色以外みな一様に目を丸くさせていた。
「バルド…?バルド」
どこまでも広く、天井には繊細な彫刻が施されている赤樫色の部屋にか細く聞き逃してしまいそうなほどの弱弱しい声が聞こえた。
部屋の中にはキングサイズ以上の大きさのベッドが部屋の中心を占領しており、そのベッドには初老の男性が横たわっている。
バルドは自分より年下の、しかし自分より脆弱に衰えたその存在に近づきその手を握り締めた。乾いた手が重なりあい、潤いの失われた感触が二人の過ごした長い年月を物語っていた。
「はい、陛下。ここにおります」
バルドの存在が確認できて、陛下と呼ばれた男性はまるで子供のように無防備な安堵の笑みを浮かべる。しかし子供のような生気は感じられず、横たわっているからこそその存在を持っていられるかのような錯覚を覚えるほどその男性は弱りきっていた。
男性は一つ一つのしぐさに力を搾り出すかのようにゆっくりと目を閉じる。バルドはただ黙ってそれをじっと見つめていた。
ふいに男性がその乾ききった口唇を開いた。
「…ラミストが、天使をつれてくると聞いたが。本当なのか?」
バルドは男性の体を気遣うかのように穏やかに、ゆっくりと答えた。
「はい、そうおっしゃっていらっしゃいました。本当に天使なのか真偽のほどは私にも存じ上げませんが」
「そうか…天使とは…なぜラミストの元に現れたのだろうな」
そういって男性は儚げにひっそりと笑った。男性の手を握るバルドの手に力が入る。
「天使とおっしゃってはいらっしゃいますが、それが本当に天使とは限りませんぞ」
バルドはなおの事ラミストの言う天使の存在を否定するように言い募った。しかし男性はそれには答えず、ただ規則的な呼吸を繰り返すだけだった。
男性が眠りに落ちたのを確認すると握っていた手を離し、眠りに落ちた部屋を出て行く。
バルドの進む先には、赤くほの暗い廊下が延々と続いていた。